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短すぎたデスゲーム〜漫画『クックロビンを殺すのは』紹介〜

はじめに

皆さん、「デスゲーム」はお好きだろうか。
「欲望のために誰かを犠牲にする」という背徳的なテーマを孕んだこのジャンルは、近年一大ジャンルとして確立し、『未来日記』『ダンガンロンパ』『ローゼンメイデン』等、多種多様な名作を産んだ。
人と人とが殺し合う緊張感、敵味方問わずキャラに生まれるドラマ性、翻弄される主人公や仲間たちの生存戦略……先の見えない展開に心躍らせる方も多いはずだ。
2009年に連載開始された『クックロビンを殺すのは』も、そんなデスゲームものの一つであり、しかし時間が足りず大成することができなかった、極めて「惜しい」作品である。

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「逆境を求める狂気」小枝野みなみ

『クックロビンを殺すのは』を一言で表すなら「狂気のヒロインとの交流を通じて主人公が成長する」物語である。これだけ聞くと同じ雑誌で連載されていた『未来日記』の類似作品かと思われるかもしれないが、その狂気は全く正反対のものである。

ヒロインである小枝野みなみはあらゆる分野で優秀な成績を修め、容姿もモデル並、家も裕福という才色兼備を体現したかのような完璧超人であるが、それ故に「なんでもできてしまう」ということに退屈していた。
そんな時、ある日突然巻き込まれた「主人公(以下、騎志)を殺した者は何でも望みが叶う」というルールのデスゲームを利用し、彼女は「満足」を得ようとする。

その方法とはなんと「騎志を餌にした他の参加者の殲滅」

デスゲームものにありがちなヒロインらしい献身や愛情表現は一切無く、「自分が楽しむこと」を何よりも優先して動く。さらに「ピンチになればなるほど気持ちが昂ぶる」という厄介な性格も併せ持っており、騎志を敵の攻撃から守って何度も負傷しながらも、それを苦ともせず敵と対峙する。とにかく思考や行動が一般人はおろか他作品のヒロインと比較しても逸脱しており、彼女を推し量ることは困難極まる。
体に穴を開けられ、自らの血にまみれながら「素敵な逆境」と嗤い、驚異的な身体能力と頭脳で立ち向かっていく姿は文字通りの狂人であり、「味方であってよかった」と思わせる威圧感である。

敵の攻撃から騎志を庇ったり、寝食を共にするなど、他の作品ならば「騎志を想ってのこと」のようにも見える行動が、彼女の場合は「ピンチを生み出す機会を作る手段」でしかなく、しかも彼女自身がそうなる状況を率先して作っている節もある。
そのような常人では推し量れない狂気的な言動と、時折見せる物憂げな表情のギャップが、彼女の本質を読者に読み切らせない。騎志はそんな彼女に対して怯えながらも、行動の中にただの狂気だけではない「何か」を見出しながら、彼女に向き合い接していく。
彼女の行動は本当に「自分が楽しむため」の行動なのか、彼女が「満足」を求めた先にはどんな結末が待ち構えているのか……最後まで目が離せない。

個性溢れる参加者たち

デスゲームものの魅力の一つといえば「ゲームを賑わすサブキャラクター」だ。個性豊かなキャラクターがゲームに巻き込まれ、命を削り、そして散らしていく姿は、読者にさまざまな感情を呼び起こさせる。『クックロビンを殺すのは』にも、そんな個性的なキャラクターが多数登場する。
人を操る能力を持ち、騎志を急襲する〈雲雀〉の翼エト、何者かと会話しながら圧倒的な力を持って攻撃を仕掛けてくる〈牛〉、病床にありながら千里眼を使って騎志に協力する〈蝿〉の東雲裕紀など、「クックロビン」の童謡になぞらえた個性的な参加者が登場する。

中でも個性的なのは〈魚〉の海老丘由良で、アフロ髪で美化委員長というインパクトもさることながら、殺し合いを止めるためにゲームに参加したという強い正義感の持ち主で、騎志が「ゲームを止めたい」と目的を定めたことで協力関係になる。
自身を「吾輩」と呼び、やたらと感情表現が豊かで、初登場時には騎志の台詞に感涙しながら登場する……というとても暑苦しい男なのだが、しかしその正義感は本物であり、彼の熱い心と存在は騎志を救い、殺人ゲームを止めるという意思をより強固なものにしていく。彼の存在がこの漫画において重要な立ち位置になり得たことは、どの読者の目にも明らかだろう。

彼と同時期に現れた〈鶫〉の小鳴も、個性が強くて面白い。まだ年端もいかない可愛らしい少女の見た目に反してその残虐性は作中随一で、他の参加者に対して危害を積極的に加え、時には無関係の一般人に対しても刃を向ける。まるで遊びを楽しむかのように「他の参加者は全員殺す」と言い放ち、一度逃した東雲に対して執念深く追い続けるなど、彼女の「迫ってくる恐怖」はホラーのそれに近しいものを感じる。
個人的に作者の要龍先生は「冷気を感じる少女の瞳」を描く名手だと考えており、彼女にはその魅力が存分に活かされている。もし彼女に魅力を感じたなら、先生の代表作の一つである『復讐教室』も併せてお勧めしたい。

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余談ではあるが、各巻カバー下には書き下ろしのイラストが掲載されており、2巻の表紙を飾っている彼女にもイラストが用意されている。(1巻は小枝野、3巻は騎志と小枝野)
このイラストも作中とは一味違う、無邪気さと残忍さが入り混じった魅力的な一枚となっているので、一見の価値はある。
(Kindle版ではカバー下がフォローされていなかったので、他媒体で購入された方には是非情報をいただきたいところである)

この他にも重度のシスコンの雛子や金の為に暗躍する〈梟〉など、個性的なキャラクターが作品を彩る。彼らからの襲撃や潰し合いによってデスゲームの情勢が混沌としていく中で、仲間と共にデスゲームを止めるために奔走しながら、常人とは全く異なった思想を持つ小枝野との交流の中で、彼女の狂気じみた行動の中に見える「本当の心」に気づいていく騎志の成長が描かれていく物語となる……はずだった。

足りなかった「時間」

「デスゲームもの」において最も大切なもの、それは「時間」だと筆者は考える。
主人公がヒロインや他の登場人物と触れ合う時間、それによって主人公が成長していく過程を描く時間、サブキャラクターのドラマを生み出す時間……長くかければ良いというものではないが、デスゲームものが他の作品に比べて描写の必要性が多くなるジャンルである以上、どうしても時間が必要になる
『未来日記』は外伝含めて全15巻刊行されているし、『ローゼンメイデン』は新装版では7巻で完結している。『ダンガンロンパ』もメインとなる推理パートのほか、サブキャラクターとの交流を深めるパートも用意され、周回する事でキャラへの愛着が深まるようにシステムが構築されている。

では本作『クックロビンを殺すのは』はどうかというと、なんと3巻
他作品に比べ、あまりにも短すぎる

例えば、先程の項で上げた海老丘由良との交流や小鳴との戦闘シーンは全て2巻の中で完結しており、小鳴の襲撃から由良との交流までが大変スピーディである。おっ、と思った時には既に別の展開が始まっているので、展開を追う際に情報を取りこぼしやすく、じっくりと読み込んでいく必要性が生まれる。

また、作中で説明されていない部分や設定も多く、キャラクターによっては
・詳しいプロフィール
・能力の詳細
・デスゲームに参加した目的

などが説明されないままに完結しており、キャラを把握するための情報に空白ができている。一部のキャラクターなどは本名すらわからないままに退場しているし、その結末が満足に描かれなかった者もいる。

キャラクター同士の関係性、心理的描写、各個人のドラマ……それを描くには3巻という冊数は、あまりにも短すぎた。
じっくりとストーリーを育て、長いスパンで連載することができれば、それまでのデスゲームものとは全く違う作品として大成していたかもしれないし、個性的なキャラクターに根強いファンがついたかもしれない。最初に触れた小枝野の破天荒さは他の作品にはないものだし、特に「デスゲームの中で彼女が騎志をどう扱っていくのか」ということについては、もっと詳しい心理描写を交えて読んでいたいと思った。
そういう意味でこの『クックロビンを殺すのは』は、一年ほどの連載期間で終わらせるには大変「惜しい」作品だったと言えるのではないだろうか。

「空白」を楽しむ

しかし、逆に言えば、この短い連載期間が生んだ「設定の空白」は考察のしがいがある部分で、作中に提示された情報から参加者の目的や関係性を考えるのは非常に楽しい。
個々のキャラクターにはそれぞれ突出した魅力や強烈なインパクトがあり、短い物語の中でも「生きていた」という実感がしっかり持てる人物ばかりであるため、想像のしがいがある。

「何故、この人はゲームに参加しているのか?」
「この人の能力と、そのメリット・デメリットは?」
「この人物はなぜこのような行動を取ったのか?」
「黒幕と参加者との関係性は?」

など、読者に与えられた想像の余地は幅広く、無限の可能性を秘めている。
例えば先に触れたシスコンの雛子については登場したシーンを探したり参加者としての名前を推測して、彼女が何故その役をあてがわれたのかということを考えてみるのも面白いし、小鳴の関係者と思われる小舞の目的や行動の理由は、不確定な要素が多い分様々な推測が立てられる。
もし気に入ったキャラがいれば、それらの動向に注目して作中の描写を拾い、明かされることのなかった設定やゲームに参加した背景について考えるのも面白いのではないだろうか。

おわりに

『クックロビンを殺すのは』は、優れた物語性と個性豊かなキャラクターを擁しながら、その連載期間の短さから充分な魅力を発揮できないままに終わりを迎えた、不運な作品である。
この作品からはデスゲームものにおける「時間」の必要性を改めて実感するとともに、そんな中でも魅力あるキャラクターを描き出すことによって読者に強力なインパクトを与え、語られなかった物語を想像させることができるということを教えてくれるだろう。
デスゲームものに興味があり、様々な作品に触れてみたいという人は、是非一度手に取って読んでみてほしい。

【おまけ】
筆者の考察の一環として『クックロビンを殺すのは』の登場人物の一人の動向について注目した文章を用意した。
多少のネタバレを含むため、可能であればお手元に作品をご用意された上でご覧になっていただきたい。


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