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一生触れられない最初の面白さ 6/2の日記

昨日6/2の日記を書いてしまったが、よくよく考えると6/2に書いただけで出来事は6/1なのでこれは大いに間違えてることが分かった。

6/2の日記が二つある。

でかいものが苦手だ。
でかいものがそれ相応の質量とパワーを持って迫ってくるのが小さいころから苦手だった。

惑星が10個ほどのバカでかい球体に囲われ、それから杭のようなものが飛び出し惑星全体が割れるという夢を見た。ちょうど石割のように。

これがドラえもんのエピソードの一つであり、自分がそれらを苦手になるきっかけになったものだ、みたいな夢だったのだが、前者は嘘である。
ドラえもんにそんなエピソードはない。
けれど大きいものがやってくるのは苦手だったことに間違いはない。
幼少期はド田舎に住んでいたのでバイクのライダーがそれはそれは気持ちよさそうに道をぶっ飛ばしていたのだが、その音が大変苦手だった。
苦手なものって半分くらいは何かしらのエピソードがきっかけで苦手になると思うのだけど、それに関しては何の根拠もなく苦手だった。

でかい動物は割と平気だった。
象やサイ、熊なんかを見ている分にはむしろ楽しい。
それらを見るのが動物園であり、危険が伴うことは実質あり得ないからだろうか。


昔の映画を見ていると作中作的なもので映画がやってたりするけれど、これが全く面白そうに見えない。
私が知らないだけで、無声映画にも傑作があるのだろうか。
好かれていたり、趣があるだけで本当の意味で面白くはなさそうだなと思ってしまう。
当時の娯楽のなさからするとめちゃくちゃ面白かったのだろうか。

だとすると、当時の面白をどう頑張っても知ることが出来ないのか。
面白いものは知識を増やせば増やすほど、その解像度があがって面白くなる。と思っている。
背景に何げなく映っているものが実は何かしらのオマージュであったり、雑草だと思っていたら実は花言葉が重要であったり。
しかし先述の「エンタメというものが初めて生まれた時のエンタメ」の面白さはそういったものに触れれば触れるほど薄れていってしまうのかもしれない。
それに一生触れることが出来ないのかと思うとやはり寂しさを覚える。

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