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駄菓子屋の思い出

今日一日限りで、よく行くスーパーマーケットが駄菓子屋さんを開店していた。駄菓子屋さん、と言っても、通常の売り場ではなく、イートインコーナーの一角に場所を取り、その場でお会計をする、ということで、シンプルな駄菓子屋さんだった。
それでも100種類ほどをそろえたらしく、朝一番ではとても子供でにぎわっていたし、大人も(子供たちの親)しれっとカゴに追加することが多くて、やっぱりみんな好きなんだな~ っていうのが店長の言。

ということで、私も今日はそこで思いっきり買って帰った(上の写真)が! なんと300円にしかならない。びっくり。そうかー。そうだよな、となんだか感動してしまうくらい「選ぶ楽しさ」が駄菓子にはあるんだ。

私の実家(広島)からほど近い所にそこそこの公園があって、その一角に駄菓子屋があった。売り場というか、斜めになった一畳ほどのカウンター(というか、陳列棚)と、その奥におばあちゃんがいつもいて、遊びに行くときのおやつはそこで調達するのが当たり前だった。
小学校に入ってすぐくらいに学区内に小さなスーパーマーケットが出来たのと、公園より近い酒屋にも店頭に駄菓子が少しあったので、そこで買うこともあったけれど、友達と遊んだりするときにお菓子を買うのは主にそこの駄菓子屋だった。

今回の「駄菓子屋さんするよ~」という話を聞いたら、やっぱりその駄菓子屋さんを思い出してしまう。年を取ったから、ということもあるのかも知れないけれど、意外に最近、子供の頃に親しんだ色々なことを思い出すなぁとか。

その駄菓子屋は店の名前とか看板もない店で(確か、なかったはず)子供たちはいつも「駄菓子屋」「駄菓子屋のおばあちゃん」としか呼んでいなかった。我が家では親がそのおばあちゃんの名前を「イケダさん」と知っていたため、「イケダのおばあちゃん」と呼ばれていたが、子供心に(と言っても多分小学校で社会科を習い始めてからだと思うけれど)「公園という公共の場に、なんでイケダのおばあちゃんはお店を出しているんだろう?」と思った記憶がある。

親にどう聞いたかはさだかではないが、たしかその時に「イケダのおばあちゃんは戦争で旦那さんを亡くされた」「あそこが公園になる前からずーーっと駄菓子屋をしていたので、公園が出来てからもあそこで駄菓子屋をしていいことになった」というような話を聞いた覚えがある(信ぴょう性についてはまったくない。記憶としてあやふやだし、親が適当なことを言った可能性もあるので)

ただ、子供心にそれは理解できたし、広島という町の生い立ち、歴史を思えば、それは十分ありうる物語のような気がして、納得したのを覚えている。

イケダのおばあちゃんは、やさしいおばあちゃんでもあったけど、愛想はよくなく、そして厳しいおばあちゃんだった。礼儀正しく、いいお客さんである子供には優しかったけれど、マナーの悪い子(順番を無視する、くじなどでズルをしようとする、ごみのポイ捨てなど)や商品をちゃんと扱わない子(やめるときにキチンと元に戻さない、勝手に開けようとする)にはとても厳しく叱っていたのを覚えている。子供心に「イケダのおばあちゃんの前ではきちんとしないといけない」という緊張感があった。

でも考えてみると駄菓子屋というのは、子供が初めて「自分で社会とかかわる場」「初めて自分で買い物をする場」だったなぁと思う。私自身、社会人二年目にGMSの菓子売り場を担当したけれど、駄菓子コーナーを作るときに考えたのはやっぱり「子供に『買い物』の楽しさを感じて欲しい」ということだった。そこにはこのイケダのおばあちゃんの存在があったのかなと思ったりする。
今、スーパーマーケットでも駄菓子を売っているけれど、セルフレジや電子マネーも増えてきて、昔、私たちが教わったみたいに「50円だったら、これとこれは買えるけど、これは買えないよ」みたいなことを教えてくれる場ってどこになっているんだろう?

学校や地域のバザーとかでそういう場がある、ということも聞いたこともあるけれど、それはやっぱり特別なことでしかないし、そう思うと、あのイケダのおばあちゃんの駄菓子屋、というのは社会のマナーとかルールとか、そういうことを実践で学ぶ貴重な場だったんだなぁとあらためて感じる。社会が変わっていくのは当たり前のことだし、仕方なくもあり、成長もあるのだろうけれど、久しぶりの駄菓子屋体験で、そんなことを考えた一日だった。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました。お役に立ちましたら幸いです。 *家飲みを、もっと美味しく簡単に*