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豊かな食ってなんだろう? という話

先日……といっても、もうすでに2週間以上が経ってしまったのだけど、伊丹市にある、スーパーマーケットを3件、巡ってきた。回ったのは、イオン、関西スーパー、阪急オアシス。行った目的はMR/マーケットリサーチ。

なぜそこかと言えば、阪急オアシスの新店舗が出来てて、ここが面白かったよ、と教えてもらったから。地図で調べたらたまたま近くにかなり大型のイオンがあって、すぐ近くには関西スーパーがあって、だからついでに寄ってきた、それだけのことだったんだけど。

ずいぶんと、久しぶりにこういうお店を回った気もするし、片道2時間ちょっとなので、行き帰りに色々考えられた、ということもあったのかも知れない、その分スーパーマーケットということについて、いろいろ考えることが出来た。
その中で、一つ考えたこと。

豊かな食って、なんだろう?

ここ(note)で発表させてもらっているスーパーコンシェルジュという小説で、私はその冒頭の辺りで、店長に「豊かな食ってなんだと思う?」ということを発言させている。この時に考えていたのは情報の話だった。その頃まだ、情報格差ははっきりあって、情報発信力も企業によってずいぶんと違っていて、当時の私には情報が豊かさの指標になるような気がしていた。

今回の伊丹で感じたのは豊かな食とは「選択できる」ということではないか、ということ。選択できる、というのは前提として「選択肢がある」から「選択できる」

例えば昼食をとるために入ったレストランがあって、100円のラーメンと5万円のフレンチフルコースしかなくて、それで選択できるか、と言えば出来ない、と誰もがそう答えると思います。普段の食事に1万円をぽんと出せる人であれば5万円のフレンチも別にためらわないかもしれない、むしろ100円のラーメンを敬遠するかもしれない。でもほとんどの人には5万円のフレンチは選択肢に入らず、100円のラーメンを食べる「しか」ない。

そんなことを考えたのは、関西スーパーで、おびただしい量の少量パック、一人前パックを見たから。一人暮らし、自炊という生活をしているのだけど、地方で、果たして上のレストランのような状況がないと言えるでしょうか。
そしてそれで「選択肢は用意している、選ぶ選ばないはお客様の勝手だ」と言っているような商売をしていないでしょうか。未だに両親と子供二人の家族を「標準家族」として売り場づくりをしていないでしょうか。世の中の世帯数の半数が単身の今、はたしてそれが本当に「あるべき姿」なのでしょうか。

結論として、おそらく単身者は都市部の方が暮らしやすい。単身でいる限り地方には動かない、戻れない、そういう人が増えて行き、潮が引くように、あるいは潮が満ちるように、都市部への一極集中が進んでいくのではないか、そんなことを考えた一日でした。

豊かさとは、選択できる、ということ。今日食べるごはんを選択できる。飲むお酒を選択できる。それに合わせるつまみを選択できる。自炊する、という選択ができる、外食する、という選択ができる。
はたして、地方都市ではそれが可能なのでしょうか。私はとても懐疑的です。そんな思いを伊丹から帰ってずっと抱いているこの頃です。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました。お役に立ちましたら幸いです。 *家飲みを、もっと美味しく簡単に*