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得意・不得意の相対性/今はダメでも

バスケット関連が続いてすみませんが、前回の続編と思われて下さい。

事故に遭ってから大学2年まで

先日投稿した内容でお伝えしたように、高校時代に事故に遭い大学に入った時はほとんど左肩筋肉の半分はない状態で運動神経も戻ってなく、3度目の手術を受けた浪人期間に体力もガタ落ち。

それでも何とか相変わらず走ることは出来たので大学では同好会に毛が生えたような準体育会に加入。そうは言ってもほぼ半数はインターハイや国体経験者なのでレベルは低くないことは確か。

私は1年2年の時はボール係で自宅へ持って帰っては唾でボール(革製)を磨いてワックスを塗る。これを数名で分担して練習や試合会場へ持っていく。バスケットも上手くできず、いつもボールの世話ばかりで辞めようかなと思ったのも 2度ほど。

自分の存在場所が見い出せなかったんだと思います。それでも練習は欠かさずに行きましたが、80人近い部員の中で、プレー面だけでなく自分が頭角を現すことはなかなか出来なかったですね。

自分の中での変化

そんな大学二年生の後半にこのままではダメだなと過去の自分と決別するためにも、事故に遭う前の自分に少しでも近づけるように、「自分の殻を破る」を意識して馬鹿なことも含めて部員皆に自分をさらけ出してみました。

すると話したこともない先輩から「お前、面白いやつだな」と声をかけられるようになり、その辺りから私は少しずつ皆から注目され始め基礎体力やバスケットの感覚も少しずつですが戻ってきました。

高3の秋まで出来ていたことが事故を境にバスケットも性格も変わってしまったかのように思っていましたが、少しずつ本来の自分を取り戻し始めたのかもしれません。

ここでお伝えしたいことは、単に大学の思い出ではなく、ある意味、得意・不得意というのは普遍的なものではなく、波があるのは当たり前、ましてブランクがあれば言うまでもありません。

そういうごく当たり前のことが分からなくなっていた時期だったかもしれませんが、結果的に三年生になる時に先輩たちから私にキャプテンになれと。

理由は簡単。「ほぼ全員インターハイ経験者のツワモノわがまま二年生たちを押さえられるのは私が適任だ」とただそれだけの理由で、バスケットが上手いからではないのです。

ですが、日本高校選抜チームのキャプテンまでいましたから、そういうプレイヤーたちと練習を重ねてチームを引っ張っていくと私のバスケットも少しは変わったようで16大学で春のトーナメントと秋のリーグ戦連続優勝。

決して自慢をしたくてこの投稿を書いているのではないことだけはご理解の上で後半をお読みください。

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またもやケガ

私は夏合宿を終え秋の段階でスタメンとなっていましたが、秋のリーグ戦初戦の試合数分前の練習中に、後輩が私がドリブルしているボールを取ろうと振り下ろした彼の手が私の右手親指に思いっきりひっかかりあえなく右手親指脱きゅう骨折。いつもいつも大事な時に、ケガや病気…

あれだけ練習したのに、始まったばかりの試合を横目に誰もついてこず一人で呻きながら最寄りの病院へ。私は自分自身のバスケットピーク時の秋シーズンを棒にふり一度も試合に出たことがないキャプテン。(恥ずかしい!)

その指がほぼ治ったのは、秋のリーグ戦が終わってかなり経ってから。

私の人生いつも馬鹿なんです。

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スーパースターとの再会

話は大きく遡りますが、地元の中学高校時代にスーパースターのような存在の人が同年代にいました。彼は中学で九州大会優勝、高校はバスケット強豪校、その後実業団に入るそんな超スーパースター。

私の親指のケガがほぼ治ったころ、東京在住で九州の同じ地域の出身ということで、たまたま一緒にバスケットをする機会がありました。相手はかつての憧れのスーパースター雲の上の人と同じチームで試合をすることになるなんて、人生分からないものです。

練習段階でかつての彼のキレが少し落ちたのか?それとも試合前の練習だからなのかと少し???となりました。いざ試合が始まると彼と私のレベルは変わらずほぼ同じ!

かつてのスーパースターと自分が同格にプレーをするなんて夢にも思っていなかったのですが、親指を骨折したとはいえ私のバスケットは知らないうちに伸びていたのか!?

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上の写真が試合直前のケガで一度も出場できなかった秋のリーグ戦で優勝した時の表彰式です。この時のゲストが「竹内まりあ」さんでした。

私の仕事で伝えたいups and downs

過労死寸前で脱サラ後に今のものを伝える仕事に出会うのですが、私のように、スポーツ、学問、仕事もある時期は得意で、ある時期は全然ダメな人もいると思います。

前の投稿で書いたように高3進路親子面談で「息子さんの行ける大学はありません」と言われたくらいですから。

得意でなくなった時に、諦めて止めてしまえばそこで終わりですが、その底を抜けた時に別の視界が開けてくることは誰にでも経験があるのではないでしょうか?

口で言うほど簡単ではないですが、私の経験したことを生徒たちや若い人たちに伝えたいのです。

「今はダメかもしれないけど初めからではないはず、だったら別のやり方があるかもしれない」と。

私の受験は中途半端でしたが、画一的な指導の下でダメと言われる生徒たちの持つ潜在能力を見落としたくないのです。それが私の仕事だと思っています。

最後に、そのスーパースターとプレーした年明けに私の高校のバスケOB会があり二次会に向かう時に、偶然そのスーパースターと地元商店街で会い親しげに彼と私が話をした後、私の同期たちが皆唖然として「えっー、なんで彼がお前なんかを知っているのかー!?」と質問攻めに。

その日だけは私はスーパーヒーローでした。

あることが得意か不得意かだけではなく、人との関係性も相対的なものではないでしょうか!?

それは毎回書きますように闘病においても同じで、もうダメなんだと思えばいくら病院に通っても治らないと思うのです。

本人と内なる本人、本人と病との相対性。

一度は克服した病だけにそれを知っているだけに、Never say never!「出来ないなんて言うな!」ともう一人の自分に対して言い聞かせています。(何度も心折れましたが…)

何故なら、There are many ups and downs especially in the course of my life!だから。

でも、私なんか物理は永久にダメです。高校3年時の物理教師がひたすら何やら黒板にだけ向かって書きながらしゃべり続け、何を言っているのか全く分からない。以来、物理が完璧にトラウマに!

ですから、本稿内容は全てに通じる話ではないというのが前提です。

今回は少し自慢話が入り気味でしたが、最後まで読んで頂き有り難うございました。

本稿の前編です。


※全身痛再発7年目で外部の学校には指導に行けませんので、サポートは本当に有り難いです。投稿内容にご納得の上、何らかの形で英語指導の機会を与えて頂ければ幸いです。よろしくお願いします。 HP⇒https://feedback01.webnode.jp/ 福岡県 北九州市 小倉南区