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《フィーヤン30周年記念》安野モヨコ×新旧担当スペシャル座談会!①

今年30周年を迎えたフィール・ヤングと、昨年画業30周年を迎えた安野モヨコさん。1995年に連載を開始した『ハッピー・マニア』から現在連載中の『後ハッピーマニア』まで、新旧担当をまじえながら当時から今までの作品のこと、フィール・ヤングのことを赤裸々に振り返ってもらいました。

《『FEEL YOUNG』2021年8月号掲載分を4回に分けて公開致します》

安野モヨコ Moyoco Anno
高校在学時に「まったくイカしたやつらだぜ!」でデビュー。主な作品に『ハッピー・マニア』『働きマン』『さくらん』『シュガシュガルーン』などの作品がある。『鼻下長紳士回顧録』で第23回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞。現在、小誌で『後ハッピーマニア』、「I’m home.」でエッセイ『ふしん道楽』を連載中。
吉田朗 Rou Yoshida
元『FEEL YOUNG』編集者(現在は引退)。『ハッピー・マニア』を立ち上げたかつての担当。

小林愛 Ai Kobayashi
『FEEL YOUNG』編集者。『後ハッピーマニア』を立ち上げた現担当。


この雑誌に入るには覚悟がいるなと思った(安野)

(テーブルに置かれた創刊当時のフィール・ヤングを見ながら)
安野 わーなつかしいなあ。森園みるく先生の名前が大きく載っていて……全体的に「大人感」がすごくある。

fy9108表紙_差替


小林 パラッと開いてみたらベッドシーンがすごく多かったです(笑)。かなり開放的な感じでした。

安野
 この頃はそうなんだよね(笑)。多田由美先生もいらっしゃる……多田先生は革新的でめちゃくちゃかっこよくて。みんな真似したもんだよ(笑)。

小林 創刊の頃、安野さんは……。

安野 デビューはしていて、でもいつでも打ち切られそうな雰囲気の連載をしていたと思う(笑)。

吉田 別の雑誌の専属だったと思うよ。

安野 そうですね。岡崎(京子)さんと(桜沢)エリカさんのアシスタントをやっていたから、仕事場でフィール・ヤングは見ていたし、話は聞いていました。

――お2人を通して見るフィール・ヤングはどんな雑誌でしたか?

安野 すごい作家さんばっかりが描いていて……恐ろしいところだなと(笑)。ここに入るのは相当覚悟がいるなと思っていました。もちろん、最初に吉田さんに声をかけていただいた時はすごくうれしかったですけど、自分が描けるようになるとは思っていなかったです。

――吉田さんはどういう経緯で安野さんに声をかけられたんですか?

吉田 前から安野さんのマンガは読んでいて。桜沢さんの仕事場に行った時に、みんなが原稿をやっている中で、一人だけふわふわーんて遊んでる人がいたんですよ(笑)。

安野・小林 (笑)

吉田
 「あの人、仕事しなくていいんですか?」って桜沢さんに聞いたら、「彼女はみんなの何倍もやっているんだけど、手が早いからもう終わってるの」って。それが安野さんでした。「え! あなたが安野モヨコさんですか? じゃあフィール・ヤングで描いてくれませんか?」とその場で言いました。

小林
 人のお宅で(笑)。

安野
 覚えてます。その時、吉田さんは腰痛がひどくて、「ピクニック少女」みたいなポージングだったんですよ。うつぶせに寝て、頬杖ついて、足をパタパタさせながら「あなたが安野さん?」って。

小林
 (笑)

吉田
 それはちょっと覚えてない(笑)。僕、フィール・ヤングをはじめるまでマンガの編集をやったことがなかったから……この人おもしろい!と思ったら「描いてくれませんか?」って言う、というパターンでやっていて。

小林
 現場で新しい人に声をかける、みたいなことがあったんですね。

吉田
 今はツイッターで連絡とったりもできるけど、当時はインターネットもないしね。

小林
 今は、デジタル原稿の方が増えたから、アシスタントさんも自宅で仕事されていたりして。現場でお会いすることも少ないんです。

吉田
 そうだよね。デジタルが普及して作家さんが自由になってきたなと。

安野
 それはあると思う。

吉田
 昔は編集者がOKを出さないと発表する場がほぼなかった。だから他社では編集者が偉い、みたいな感じだった気がするなあ。

安野
 そうそう。だから吉田さんがあまりにも気軽過ぎて驚いたんですよ。変な圧をまったくかけてこないし、安心してしゃべれた。すごく仕事しやすい方だなと思っていました。

――それはフィール・ヤングの方針だったんですか?

吉田
 いえいえ、その頃はほぼ2人だけで作っていたので、雑誌の方針も特になかったと思います(笑)。

あなたが描くなら、なんでもいい(吉田)

新装版ハピマニ_1

――『ハッピー・マニア』はどういう経緯で生まれたのでしょう。

吉田 1本描いてください、って読切りを描いてもらって……それが『ハッピー・マニア』でした。人気があったからまた1本描いてください、とお願いして。

安野
 そうそう。読切りで毎回違うキャラクターを考えるという余裕がなかったから、じゃあ次の読切りでもあの続きを描きます、と。

吉田
 もしほかのを描きたければ、ほかのでもいいですよ、と言っていました。

安野 そういう感じだった(笑)。どういうものがいいですか?って聞いても……。

吉田
 あなたが描くならなんでもいい、と。打ち合わせはムダ話ばかりでしたね。

安野
 自由に描かせていただいていました(笑)。

――吉田さんは当初、うちの読者はみんな恋人がいるから、それを想定して
描いてください、と安野さんにおっしゃったそうですね。

吉田
 そうです。安野さんは内心「そんなわけない!」と思っていたっていう(笑)。結果、それは正しかった。

安野
 吉田さんにそう言われる前にも別の雑誌で「アンケートを見ていると、うちの読者にはみんな彼氏がいます」と言われたことがあって。その割合が高すぎて、絶対に見栄を張っている人がいる!と思いました。

――90年代という時代を感じますね。当時は彼氏がいないことは恥ずかしいという風潮だったように思います。

安野
 そうそう! 今なら、いない人は素直にいないと書きますよね。趣味が楽しくて、彼氏がいなくても十分人生が充実していますっていう人もたくさんいるから、わざわざそんなことを言い張る必要もなくなった。あの頃は「恋愛していないとね……」っていう空気でした。マンガでも、エリカさんの描く恋愛は素敵過ぎたし、(内田)春菊さんのマンガではいつもセックスしていたし(笑)。

――確かに、その影響もあったかもしれませんね。

安野 でも春菊さんの描くセックスは、エロマンガのものとは全然違っていて。「こういう性格の人ってこういうセックスするよね」というところまでちゃんと描いてあるので納得感があるんですよね。セックスしている時の女の人の心をちゃんとマンガに落としこんでいる。

吉田
 出会ってときめく、とかそういう思春期的な要素はほとんど描かれていなかったね。森園さんが描くものもそうだったな。

安野
 森園先生のマンガに出てくる人たちは全員、精神が大人でしたね。人として完成されていた。

吉田
 最初の頃は、安野さんより年齢が上の作家さんたちが多かったよね。
安野 岡崎さんとエリカさんが私の7歳か8歳上で、二ノ宮っち(二ノ宮知子)とりさっち(伊藤理佐)が2歳上。(やまだ)ないとさんは、その間かな。(南)Q太さんは?
吉田 二ノ宮さん、伊藤さんと一緒だね。

小林 「フィール・ヤング!」っていう作家さんのお名前がたくさん出ましたね。

安野 すごいメンバーだよね。みんな内容もめちゃめちゃおもしろいし、それぞれのスタイルがあって、センスのよい人ばっかりだった。そういう大人たちの中に、私みたいな子供が急に一人紛れ込んで「ギャー!」って言ってるみたいな感じだったと思う(笑)。

(インタビュー・文/門倉紫麻)

▶▶▶②に続く!▶▶▶

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