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私にとってのV6解散とは

解散が発表されてから1週間が経った。

発表した日の夜、Twitterには悲しみと絶望の声が溢れていた。
でも私は、そこの人たちのように感情が出てこなかった「悲しい」とか「寂しい」とか「辛い」とか…もちろん泣くこともできないでいた。

メンバーからのビデオメッセージ

ネットニュースとか報道を目にする前に、急いで公式に行った。
そこにはいつも通りの4人と、
いつも通りに見えて、とても硬い表情の剛ちゃんと、
一番端でいつもとは全然違う固く重い表情の健ちゃんが映っていた。

いつもなら、みんなを和ませようとして井ノ原と二人で笑顔を見せてくれる健ちゃんが、俯きがちに黙り込んでいた。
それだけでもう、この事実の重みが分かった。
誰よりもV6が大好きな健ちゃん。
その姿が苦しくて、息を殺すようにして動画を見た。

彼らはいつだって、自分たちの言葉で真っ先にファンに伝えてくれた。
最後まで、それは変わらなかった。

1ミリも想像していなかった

最初の感想は「そっか…」それだけだった。

「なんで!!」とか「嫌だ!」とか、そういう発想にはならなかった。
だってメンバーが自分たちの言葉で説明してくれたから。
彼らがそう決めたのだから、それが全てなのだ。

もちろん驚いた。

年齢的に踊れなくなったら、ずっと着席のコンサートも悪くないと思ってたし、それでも「愛メロ」とか「over」の手振りはできるし、「愛なんだ」で「イエーーーイ」って右手を突き上げることはできるし、リーダーの還暦は現場で祝うつもりでいた。

「つもり」というか、私だけでなく、恐らく全ブイ担が、そんなこと敢えて考えるまでもなく当たり前に来る未来だと思っていたのではないだろうか。
そのくらい「解散」は彼らからいちばん遠い言葉だった。

感情がフリーズ

「ショック」とか「衝撃」ではなく「青天の霹靂」がいちばんしっくりくる。(この単語を自分の人生で使う日が来るとは夢にも思わなかった)

たくさんの友人が心配してくれて、メッセージをくれたけど、上手く返信ができなかった。今もそうだ。

「涙が止まらないよ」とか「悲しくて仕事が手に着かない」とか、そういうワードを返せばいいのかもしれないけど、それは嘘になるから。
わざわざメッセージをくれた優しさに、嘘の返信は出来なかった。

仕事してるし、ごはん食べてるし、なんならおやつも食べてるし、観たい映画もある。至って普通の日々を過ごしている。
ただ、テンションは上がらないし、どこにも行く気にならないし、何をやっても集中できない。感情で生きてるような自分から、感情が出てこない、涙も笑いも引っぱり出せなかった。

とにかく情報を集める

事実はひとつで、それが全てなのに、情報を集めてしまうのはもはや習性だ。

テレビをみれないというファンの方もたくさんいる中で、私は彼らがどんなふうに報道されるのか、見届けなくてはと思い、金曜夜から月曜の朝までワイドショーを録画しまっくった。

翌日のスポーツ新聞は中身も見ないで全部買った。

テレビで見たのは、泣けるくらい好意的な報道ばかりだった。
もちろんニュース的にサクッと終わる番組もあるけど、結構な数の番組が、時間を使ってくれていた。
「剛ちゃんが退所するせいで」ということを打ち出そうとするフリップやボードが用意されていても、司会やコメンテーターの方はわりと無視で、彼らの今の言葉とこれまでの彼らを称えてくれていた。

正直嬉しかった。
世の中にこんなに好意的に受け止めてもらってるんだと。

あ、ネットニュースはPVを稼ぐための憶測(裏付けゼロ)ばかり書くのでガン無視です(クリックそてPV数に貢献したら負けなので)

手を差し伸べてくれるのは、やっぱり健ちゃんだった

毎週月曜に放送されている「三宅健のラヂオ」。
いつも「なんで分かるの?」っていうくらい、私たちの気持ちを分かってくれている健ちゃんだから、もしかしたら、ビデオメッセージで押し黙っていた彼の心のうちが聞けるかもしれない。そんな期待で待っていた。

そして期待通り、彼は舞台の公演中にもかかわらず「今」を伝えるために、わざわざホテルでリモート収録をしてくれていた。

健ちゃんはやっぱり健ちゃんだった。
公演中で忙しいんだから、新幹線の中くらい休めばいいのに、ファンのメッセージを読んでくれて泣いてくれて。

うわべの励ましではなくて、私たちにちゃんと寄り添ってくれる彼の正直な言葉で「泣いていい」「悲しんでいい」と言われて、そこで初めて涙が出てきた。
出てきたらもう止まらなくて、ダムが決壊したみたいに、ラジオが終わるまで泣いてたし、終わっても泣いてたし、やっぱり解散しないでって思った。

散々泣いたら、少しだけ肩が軽くなった。

って書きながらまた泣いてる。
こうやって、ことあるごとに泣くんだと思う。でも泣けて良かった。
枯れるまで泣けたら、それはそれで本望だ。

誰の担当とか関係なく(私も剛担ですが)ずっとずっと健ちゃんに助けられてきた私たち。
本当は最後に恩返ししたいのに、また助けられている。
健ちゃんの話は、エピソードがありすぎるので、また別の機会に書けたら書きたいと思う。

V6は推しではなく、自分の人生そのもの

「推しがほかにもいて良かったね」と、慰めのつもりで言う人がいる。
グーで殴りたいのを我慢する。
その人に悪意はないのだから。

誤解を承知で言うと、例えば私の推しである林遣都氏。
彼が引退すると言ったら、悲しいとか辞めないでとか、ワーワー騒ぐと思う。それは彼をもっと見ていたいとか、好きだからとか、そういうことだ。

でも、私にとってのV6はそういうのを20年くらい前に越えてしまった。
この25年の間、エヴァに憑りつかれて毎日見ていた時も、恋愛がこじれたときも、鬱で会社を休職してたときも、超気合い入れて働いてた時も、思い出を辿ろうとすると、そのメインエピソードの景色の中には必ずV6の存在が映り込んでいる。

彼らを除いて自分の人生を語ることは不可能だ。
彼らはすでに推しではなくて、私の人生の同志で、人生そのものなのだ。

それが自分の人生からなくなる。

1週間考えて、いちばんぴったりくる例えを思いついた。
ある日、両親に「年内いっぱいで、ちわわの親を辞めることにしました」って言われる感じ。

なんだそりゃと思うかもしれないけど、真剣にその状況を想像してみてください。
すぐに咀嚼できますか?
悲しいとかすぐに思えます?
「え?」ってなりません?フリーズしませんか?
伝わらないかなー(笑)

「解散しても芸能界には残るんだから」は何の慰めにもならない

ステージに立つ彼らをもう見れないのだ。
恐らく個人活動になったら、誰も歌わないし踊らないだろう。
それが何よりも悲しい。

彼らの歌声が好きで、ダンスが最高すぎて、それは6人が生み出すもので。
そこから放たれるパワーを浴びながら、会場でみんなと感じるあの一体感は何物にも代えられない。

彼らのわちゃわちゃする姿も、もう見れない。
みんなピンの仕事では、当たり前だけどしっかりしている。
いじられるリーダーも、ちょいちょい毒を吐くひろしも、子供みたいなことで悪ノリする井ノ原も、典型的末っ子な岡田も、こそこそ話しては楽しそうに笑うゼロ距離な剛健も、もう見れない。

剛健が離れる日が来るなんて考えられなかった。
剛ちゃんのソロコンでTシャツとうちわ持参で何度も見に来てた健ちゃん。健ちゃんが公演中に骨折した翌日、いつもメンバーの舞台を観ないのに飛んで行った剛ちゃん。
アラフォーになってもパンツ下ろし合って笑ってた二人が離れるなんて、ある意味、解散よりも考えられない。

とりあえず、これだけのことを考えられるようになった。
健ちゃんありがとう。
後にも先にもこんな経験はないと思うので、また泣きながらnoteに記録していこうと思います。

最後にしたいこと

それと、健ちゃんがやって欲しいこと受け付けるって言ってくれたので、ひとつだけ伝えたい事がある。

「握手会」ならぬ「ありがとう会」をして欲しい。
彼らに直接感謝の気持ちを伝えたい。

コンサートはチケットが取れるか分からない。
某アーティストの引退の時みたいに、たいしてファンでもない人が、最後だから見てみようかなぁなんて、軽い気持ちで貴重なチケットを奪っていくこともある。

だから、10周年の握手会みたいに、ところてん方式(彼らの前を数秒事に、スタッフさんに肩を押されて横にスライドしていくw)でいいので、直接自分の言葉でお礼が言いたい。

こんなご時世なので、6人はアクリル板の向こうに座っててもらって、私たちが勝手にお礼をいいながら、ところてんで流れていくから(笑)

参加チケットはアルバム3形態セット購入の特典にしていただけると有難い(笑)( ´・ω・`)

それと、エイベックスのV6に関わった全てのスタッフの皆さん、ひとりひとりにお礼が言いたい。

V6を愛してくれてありがとう。
私たちをあの手この手でいつも楽しませてくれてありがとう。
みなさんのおかげで、どれだけ楽しい日々を過ごせたか。
皆さんへの絶大な信頼は宇宙よりも果てしないです。
あと8か月、どうぞよろしくお願い致します。

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