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糞フェミでも恋がしたい (その4)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。

糞フェミになったのは、結局は親のせいだ。父親と母親の、えげつない、地獄みたいなセックスのせいで、何度も何度もそんな淫乱で果てしなく動物的で情愛に満ちた交尾を見せられたせいで、私の理想はまったく現実離れしてしまった、狂ってしまった。私の父親のような、つまり、人間的にも社会的人も圧倒的で、雄の臭いと性的な魅力に満ちた、そんな男にしか興味が持てなくなってしまった、感覚がおかしくなってしまったのだ。

当たり前のことだけど、世の中をいくら見渡しても、探しても、そんな男は居なかった。そんな男に、むりやり押さえつけられ、処女膜をぶち破って、強姦されたかったのだが、そんな望みは叶わなかった。母親が手に入れた幸せを、娘の私は手に入れることが出来なかったのだ。だから私は、男を嫌いになった。男そのものを嫌いになった。どうせ手に入らない理想ならば、そんなもの、無い方がいいに決まっている。

私が糞フェミになったのは、そういう反発からだったのだと、当時は気付かなかったのだけど、今はわかる、そして、無理もないことだったと思う、だって私の父親のような素敵な男は、ふたりと居ない、そんな理想を探して歩くくらいなら、何か別の、決して交わらない道を選んだ方が、楽な人生に決まっている。今の自分のこの真っ黒な感情と向き合って、誰かを傷付けて時間を過ごしていった方が、まだ希望が持てるに決まっている。どんなに嫌だろうが、そうするしかないに決まっているのだ。

しかし困るのだ、自分の心はそれで納得させ、押さえ込むことが出来たとしても、自分の性欲は黙ってはくれない、いまも思い出す、あの母親の喜悦の表情や、くぐもったいやらしい絶頂の声、その突き抜けた快楽の印こそ、私の心から望むもの、それさえあればどうなってもいいのだと、私の穴も、私の子宮も叫び続ける。それも、あんな風に、暴力的に、むさぼるように、被虐されることを、心の底から望んでいる、それは自分で誤魔化しようがないほど、はっきりとした衝動の形で、毎日の暮らしの隙間に入り込んでくる。それは恋だ。ありったけの熱量をもって叩き付ける恋だ。

恋がしたい。糞フェミでも恋がしたい。したいのだ。したいのだ。恋がしたい。猛烈に、恋が、したいのだ。

結局、認めなければいけないんだろう。糞フェミとしての私が、フェミニズムという曖昧な武器を振りかざして、男を嫌い、真っ黒な感情の命じるままに攻撃し、憎み、槍玉に挙げ、嘲笑し、蔑み、軽蔑の視線で、そのありとあらゆる欠片を排除すべしと叫んだのは、つまり自分がどうしようもなく雌であることと、その満たされない欲望の、裏返しであったのだと。父親と母親への嫉妬の故だったのだと。そう思うと、とても惨めな気持ちが、ゆっくりゆっくり、奥のほうから染み出して来て、私の頭の上からつま先まで、ぐずぐずに崩して、とても醜い何かにしてしまう。

惨めにも、私は糞のような糞フェミだった。

そんな時だった、彼に出会ったのは。

つづき→ https://note.mu/feministicbitch/n/nd41b527f632a

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