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みんなのフォトギャラリー公開 紫陽花2

先々週分の週間まとめ記事です。
例によってInstagramのつぶやきの逆輸入です。

【きらめく】

きらきら光り輝く。
「彼女の話には才気がきらめいていた〔=横溢する才気が至るところにうかがわれた〕」

(三省堂新明解国語辞典)

ただ光ってるばかりでは、きらめかないのですね。
光ったり消えたりすることで、
光がきらっきらっ、ときらめく。
出るところばっかりでは駄目なのです。

いつも勝とうとするのではない。
自分に与えられた才能を知って、
ここぞというところで光らせる。
そうすることで才気がきらめく。

ありのままの自分を知れば、
弱さも強さとして構えることができますね。

【彩り】

いろいろな物を取り合わせて美しさやおもしろみを増すこと。

(三省堂新明解国語辞典)

一人ひとりが魅力的で、
美しかったりおもしろかったりするのは理解したうえで、
誰かまた別の一人と居合わせることで、
美しさやおもしろさが増す。
ここが、ヒトの人間たる所以だと思います。

まだ出会ったことのない人と新しく出会うことで、
美しさやおもしろさが無限に広がっていることを想像すると、
シンプルにわくわくします。

そしてインターネットは、
人との繋がり方を大きく進歩させました。
人と繋がるための最大のハードルだった物理的な距離を、
インターネットは軽々と乗り越え(どこでもドアか)、
人と繋がるきっかけを世界中に広げました。

そして膨大な選択肢から、
ほんとうに自分に大切な繋がりだけに絞り込んで、
自分の時間を遣うことができるようになりました。
幸せに生きるための前提が大きく変わりました。
※変化にどのように気づくかが、
世代によって微妙に異なるところがまた面白いところです。

もののみかたを持ち変えることで、
時代の彩りに目を向けた豊かな人生を送ることが
できるようになるのだと思います。

【暈す】

①色の濃淡の境をぼんやりさせる。
②断定的表現を避けるようにする。

(三省堂新明解国語辞典)

「タイパ」という言葉に象徴されるように、
なんでもスピーディに処理することが好まれる
昨今のデジタル時代。
あいまいな表現は疎まれがちではないでしょうか。

確かに、たいして愛していないものに
時間を費やす必要はありませんが、
そういうことは、もはやロボットやAIがやってくれ、
段々と人がやらなくても良くなりつつあります。

そうなってきたときに、生きとし生ける人間はなにを為るのか?

AIやロボットと競って「タイパ」を追い求めたところで、
おそらくもう勝ち目はないでしょう。
そもそもゼロかイチしかない世界は全く心が震えません。
(頭脳は気持ちイイかもしれませんけどね)

このとき人間ができることは、
とにかく心から好きなことを為ること。
対価があろうとなかろうと、対象に愛情を注ぐこと。
ゼロイチの世界を超えて無限のグラデーションで
表現やモノを創ること、あたりではないかと思います。

こうなると、あいまいな表現や暈すといった行いは、
たいへん愛すべき対象のように思われてくるのです。

【粒揃い】

一組のグループなどについて、期待通りの能力や条件を備えた人がそろっていること。

(三省堂新明解国語辞典)

ひとつひとつの大きさや質が良質で、
均一に揃っていることを指します。
ですが、人の集まりが「粒揃い」というときには、
均一に揃っているという意味あいは薄い気がしてなりません。

たとえばイチロー選手が10人いるチームを「粒揃い」と
言うかというと、どこか強い違和感を覚えます。

人の集まりが粒揃いだと言うときは、
同じ能力を備えた人がそろっているではなく、
一人ひとりに期待される能力や条件が個性豊かに勢揃いしていて、
集まりのなかで目覚ましい成果を発揮して輝いているときに、
「ああ、このチームは粒揃いだ」と言いたくなるんですね。

新解さんはこの辺のニュアンスを絶妙に書き分けていて、
一人一人の能力が均一に揃っている、とは、書いていないのです。
(他の国語辞典では、均一さを説いているものもありますよ。
でも、ぼくは同調圧力が苦手です。)

みんな違って、みんないい。
むしろ違うことのほうがいい。
そういう懐の広い環境で、
一人ひとりがのびのびと生きていけるのが、
お互い幸せなんじゃないかな、と思うのです。

【語らう】

打ちとけて話し合う。

(三省堂新明解国語辞典)

誰かに何かを伝えるとき、相手の顔や目を見ながら、
という割合が減りましたね。
買い物はネット通販。
店に行っても、セルフレジ。
遊びはオンラインゲーム、相手はアバター。
チャットツールの話はまるでつぶやき。
どこにも、相手の顔が見えません。

大学生の時にインターネット大陸に上陸した世代のぼくは、
ほんの20年位前、初めてネット通販の確定ボタンを押すとき、
かなり緊張しました。
(今では息をするように買い物をしますが)
そして、自分の言いたいことを言いたいときに言い放つ、
チャットやメッセンジャーが苦手です。
必要以上に相手の顔を思い浮かべてしまい、
会話のスピードに追いつけません。
次第に発言が少なくなり、縁遠くなります。

こんな感じなので、デジタルツールというのは、
聞き役の存在が消えていくんです。
ネット社会は発信者の世界。聞き役の人はROMと呼ばれ、
いいねを押すのが精一杯。
ゼロイチカウントに究極の没個性です。
一方の話したい人は、
自分が認められているかどうか確かめられず、
発信にますます力拳が入り、
聞き手の存在がますます見えなくなる。
ネット社会は、そういうまだ偏った社会なんですね。

なので、ネット社会に打ち解けられなくても、
気に病むことはないんじゃないでしょうか。
聞き役不在のネットに心を奪われて、
大切な聞き役がいる語らいの場を見失うほうがはるかに勿体ない。
もちろんSNSでも共感しあえたら、
それはとても幸せなことだと思いますが、
目を合わせてあなたの話を聞いてくれる聞き役は
、ネットでなくても会える人でしょう。
それを忘れないことが、
ネットに振り回されない一つの方法だと思うのです。

【素直】

他人の言うことを、逆らわずに受け入れる様子だ。

(三省堂新明解国語辞典)

たくさんの人と関係ができるのは良いことですが、
他人の言うことは人それぞれです。
全ての人に対して素直に振る舞うことは難しくなります。

目の前に他人がいないネット社会では、
頭の中で人間関係を作らなければなりません。
頭の中の人間関係に登場する他人が、
ほんとうに他人なのか自分の想像なのか区別が難しいです。

素直という言葉ができた頃の他人は、
現実に目の前にいた人でしょう。
いまのネット時代の他人は、
実は自分の頭の中に棲んでいることが多いと思います。

頭の中に棲んでいる他人が、
頭の中であれこれと言うのは、ほとんど空想でしょう。
実体のその人は本当にそう言うかもしれないし、
そうは言わないかもしれない。
こんなリスクのうえに四六時中立っていると、
頭の中の自分は一向に休まりません。
そして自分の本心がすっかりなおざりになってしまいます。
本当に一番信用できるのは、自分の本心です。

自分の本心に素直になること。
意識してやらないと難しいところが、
情報洪水時代の悩ましいところですね。



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