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私の常識と貴方の非常識 ~Twitter(X)で非常識な人とエンカウントする理由と対処~

前置き

Twitter(X)は非常識な人が散見される。日々誰かの異常行動で炎上してるし、フェイクニュースや陰謀論の温床にもなっている。株主のイーロン・マスクも変わり者だ。
そんな魔界のようなTwitter(X)では、自身が非常識と感じる禁じ手を、造作も無くする人間を目の当たりにする。フェルヲにとっては個人情報晒し(匂わせも含)が該当するし、人によってはレスバを非常識と感じることもあるだろう。
社会のタコツボ化現象が存在する一方で、Twitter(X)上で非常識を目の当たりにしてしまう背景は、Twitter(X)は原則的に閲覧投稿がオープン化されているからだ。開かれたSNSであるがゆえに、実社会よりも多くの、自身にとっての非常識行為を目の当たりにしてしまうのだろう。

人は、人それぞれが持つ「常識」という物差しから逸脱したものを「非常識」と感じる。
ここでいう常識とは「法」と「規範」である。

本文では「法」と「規範」を概観しながら、Twitter(X)で非常識な人とエンカウントしてしまう理由を考察する。加えて、非常識な人にエンカウントした場合の対処策を考える。

法と規範とインターネット

「規範」とは行動や判断の基準となる模範や手本である(コトバンク)。
「規範」は、明示的で強制力(罰則)を持つ「法」と比較して捉えにくい。
なぜなら「規範」は「法」と異なり、暗黙的に共有される場合が多く、加えて人々の主観的評価の総和であって経年で変化するからだ。

また「規範」は、暗黙的で主観的評価の総和であるから、ある人たちにとってはルール違反でも、別の人たちには許容範囲ということが起こり得る。
なお「規範」が複数存在する場合、その「規範」は多数派か少数派かという観点や、ある行為で迷惑を被る人たちはどれだけ存在するか、という観点が出てくる。撮り鉄と一般人の対立は好例だろう。

さて、インターネットにも「法」と「規範」が存在する。
インターネット関連の日本国法は、総務省のサイバーセキュリティ関連の法律・ガイドラインで概覧できる。
上記のとおり「法」は明示的であるが、近年は法律の制定・改正が増大(立法爆発)しているのに加え、社会の急速な情報化に法整備が間に合っておらず(法の遅れ:Law lag)、後追いで法制定・改正が重ねられていることから、インターネット関連の「法」は流動的で捉えにくい。

明示的な「法」ですら捉え難いのだから、インターネットの「規範」はより一層不明瞭だ。有象無象の奇人変人が絶叫をしているTwitter(X)では、常識と非常識の分水嶺が頻繁に議論になる。
卑近な例では「奢り奢られ論争」、これも規範(常識)の不明瞭さによって生じる対立に他ならない*1。

但し、そんな中でもインターネットを無法地帯にしないため、インターネット規範を明文化する試みは2000年代より前から存在した。
例えば(一財)インターネット協会の「インターネットを利用する方のためのルール&マナー集」や、サリー・ハンブリッジ著、高橋 邦夫訳「ネチケットガイドライン(スマホは文字化けするかも…)」だ。これらは「読者」「作者」「システム開発・運用者」それぞれの規範が書かれており、2000年代より前に作られた内容とは言え、令和の今でも参考になるものだ。

ちなみに無法地帯とされる2ちゃんねるにも次のような規範(お約束)が存在する。強調されているのは「他人に迷惑をかけるのはやめよう」ということだ。本質を突いた内容ではあるが、「迷惑」の指し示す行為が具体的に何かは、人によって解釈が異なってくる。対立の温床になりうる規範(お約束)とも言える。

2ちゃんねるガイド

Twitter(X)で非常識な人とエンカウントするのは何故?

上で述べた通り、インターネットには「法」が存在し「規範」も明示的に存在する。つまりインターネットにも万人に共有された「常識」があると言える。にも関わらず、Twitter(X)上で非常識な人とエンカウントしてしまうのは何故だろうか。

想像するに、Twitter(X)民が「法」を十分に理解できていない点もあろうが、「規範」が「法」のように強制力(罰則)が伴わないため、遵守の程度は人それぞれの良心に委ねられている点も原因だろう*2。
また上で書いたように、「規範」はある人たちにとってはルール違反でも、別の人たちには許容範囲ということが起こり得る。さらにはTwitter(X)は違反報告制度があってもこれが十分に機能していない(と思われる)点、開かれたSNSという点も相まって、自身にとっては到底分かり合えない「非常識な人」と度々エンカウントしてしまうのだろう。

なお、この状況はけして悲観的なことではなく、ダイバシティ社会の進展に対するトレーニング・Lessons Learnedの場と捉えることもできる。しかし、諍いの温床なのは間違いではないだろう。

非常識への対処策

そんな魔界のようなTwitter(X)で、非常識な人とエンカウントしてしまったらどうすべきだろうか。

相手の「法」の逸脱行為で貴方が不利益を被り、それが許せないのであれば、刑事や民事問わず法的対処は選択肢だろう。今はインターネット訴訟に強い弁護士も存在する。ただ、場合によっては弁護士費用含めると良くてトントン、悪いと赤字になる場合もあるので、訴訟の収支は弁護士としっかり相談すべきだろう。

また、誰かと「規範」が対立した場合は、「法」の範囲内でレスバ議論することもあるだろう。不明瞭な「規範」だからこそ、自分の価値観や意思を示すことは大事だ。
但し、Twitter(X)で見られるレスバの例にもれず、多くは喧嘩別れに終わる。私の考えでは、Twitter(X)上のレスバ議論は、弁証法的な、お互いにとって有意義な時間になることは稀で、多くはお互いが主張を言い合って終わる。なので、主張の表明(説得や第三の答えを探る場には中々なり得ない)と考えた方が良いと考えている。

さて、上で述べた非常識な人とエンカウントした場合の対処策は、どちらも負担のかかることだ。ここで、最も負担のかからない方法がある。
それは、関わらないようにする、つまり自分から話かけない、話しかけられてしまったり相手が豹変してしまったら、無視とブロックをするのである。インターネットスラングで言うところの「そっ閉じ」だ。

状況次第でもあるが、多くは「そっ閉じ」が最も金も時間も使わない対処策だ。何らか怒りを感じるのであれば、筋トレでもして忘れましょう。
こんなことをフェルヲが言うのも変な話だが…

参考書籍

水野祐「法のデザイン」は、情報化社会における法の在り方を考えるきっかけになって面白い。

また、田中・山口の「ネット炎上の研究」は、インターネット上の炎上現象に対し定量分析を試みたもので、なぜ炎上(対立)は発生するのか、そもそも炎上とは何なのかを考えるきっかけになる。

さらに、左藤・富士屋・清水の「しょせん他人事ですから」は、漫画で弁護士の視点からネット炎上やトラブルにおける法的対処について説明するもので、漫画形式ということもあって読みやすく学びになる。

補足
*1 「奢り奢られ論争」は現実社会での規範であるが、「インターネット規範」はインターネット上の振る舞いの規範である。どちらもコミュニケーション上の規範・常識ではあるが、両者で対象とするものは異なる。

*2「規範」が強制力(罰則)を持たないことに対し、インターネットでは炎上等の私刑が採られる場合がある。この状況は制裁の無制限化に加え、インターネット上での議論が萎縮されてしまう問題点が指摘されている。特に後者については、上で紹介した「ネット炎上の研究」で詳説されている。

*3 本文は全文無料ですが気が向いたら投げ銭いただけると大変嬉しいです。また、紹介の書籍はAmazonアソシエイトです。

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