VRChatと生命 2
まえがき
これは就活等で頭がおかしくなったついでに書いていた怪文書を加筆修正した、怪文書2(かいぶんしょつー)です。
本文
はじまりの時代
「今ははじまりの時代なの」と地球外少年少女というアニメでも台詞があったから、今がそういう時代なのだということは広く知られた考え方なんだと思う。そういえばポストアントロポセンなんて言葉がwiredに載っていた気もする。人類は地球の主役ではなくなる、AIとかの台頭によって、みたいな。
われわれはなにかのとばりに立っている。それがなにかは分からないし、分かったところでなにができるわけでもないが、気になる。なので暇つぶしに書いておきたい。書いておかないと忘れるから。
で、以下はそれぞれ違う時間間隔で記述された世界人口の統計。
産業革命以後、ほとんど指数関数的に増加した世界人口は今後、100億人前後で安定すると予測されている。発展途上国の貧困が解決され、幼児死亡率が低下し、食糧が足りれば、という条件付きで。
これを見て明らかなのは、現在われわれが生きている時代というものの異質さだと思う。ちょうど人口が爆発的に増え続けている、まさにその瞬間が今のように見える。それまでは一定数でほとんど安定していた。
"革命"は現在でも続いていて、それは人口が安定すると推測される時代まで続くのではないか。そんな印象を受ける。
というわけで時間を遡って、また現在にもどってくるという形でこれが何を意味するのか考えてみたい。あ、ted…なんか外人がそれっぽいプレゼンテーションしてる動画は全部日本語字幕出ます。
宇宙のファインチューニング
この宇宙の物理法則はものすごく精密に微調整されているように見える。生命が誕生して進化するのに都合が良いように。なぜ?みたいな昔からよく言われている話。
これはもちろん絶対的存在が素晴らしい力で生み出したものだからだ、みたいなインテリジェント・デザインなどとつながるわけですが、話が終わってしまうためスルーします。
結論から言えば、現代の自然科学においては「たまたまそうだったから」ということになるそうです。マルチバースとか言われているのがそれです。
もともと超弦理論がこの謎に対して回答を出すはずだったのですが、残念ながら行き詰まったため、昔から言われていたインフレーション理論、その一つのシナリオである「宇宙は無数に発生する」というところから、物理法則の異なる宇宙が今は観測できないが無数に存在しており、我々の住んでいる宇宙はその中の一つである。と考えるようになったらしい。
それ説明になってるか?と思うんですが、まあ分からないんだからしょうがない。これはすごく過激なダーウィニズムに見えます。つまり宇宙ですら、適者生存で生き残っているのだと言っているから。
生命
生命の定義は教科書的には以下のようなものだったと思う。
自他を区別できる
代謝が行われる
増殖する
進化する
細胞膜(壁)があって、物質をエネルギーに変換して、増えて、遺伝子によって進化するものが生命だ、みたいな。だからウィルスは増殖する物質扱いになる。(自他の区別も怪しいし代謝は寄生先頼みだから)
生命の起源
それで生命ですが、どのようにして生じたのかに関しては未だに結論が出ていません。教科書には熱水噴出孔とか、間欠泉でできたのでは?とあったような気がします。が東大の理論物理学者が根も葉もないことを言っていました。
要するに宇宙というのはインフレーション理論から考えると観測可能な範囲よりも遥かに広く広がっており、その広さを考えるとランダムな化学反応のみで生命は十分生じるのではないか、という話。
これまではランダムな化学反応ではあまりにも生命誕生の確率が低すぎるため、なにか特別なシナリオがあるはずだ、という前提に立って、様々な学者が様々な説を考え出してきたし、今も考えているはずなんですが、そもそもその前提がまちがってない?という。
これは「ハビタブル惑星がたくさんあるし、有機物も水も豊富なのだから、宇宙に生命はたくさんいるだろう」と言っていた天文学者や生物学者の考えと全く反対で、ドラマチックなシナリオもなく肩透かし感が凄いのですが、納得できる説でもあります。観測可能な宇宙で生命の誕生した惑星は、この地球ぐらいになるみたいですが。
環境形成と適応進化
さて教科書的に生命の性質は上のように定義されるわけですが、他にも重要な性質があると思います。それは環境形成という性質です。
これに関して、よくシアノバクテリアが例に挙げられます。一定以上に酸素に触れると死滅してしまう細菌だらけだった太古の海で突然、酸素発生を伴う光合成を始めて爆発的に増加した、とんでもないバクテリアです。
これにより海だけでなく大気中にも酸素が満ちるようになり、なんとオゾン層まで形成されてしまいました。さらに酸素が嫌いだった細菌たちも酸素を利用するように進化することになり、それがあまりにも効率的だったため多細胞生物の誕生にまで至ります。
つまり生物がエネルギー産生に用いる効率的な元素と、有害な紫外線をはばむバリアを同時に作り出してしまったのです。このバクテリアがいなければ多細胞生物の発生もなかったし、陸上進出もありえなかった。
このように生命には、「自ら作り出した環境に適応して進化する」という不思議な性質があります。これが環境形成と適応進化です。
システムとしての地球
なんか書くの面倒になってきたから炭素循環とか全球凍結とかプルームテクトニクスで検索してくれ。
つまり地球活動によって生じる火山とか、あるいは外から飛んでくる隕石とか、そういう活動が多様な環境を作り出し、ときに絶滅を促し、結果として生命の進化を促しているのではないか。惑星というシステムは、生命誕生と進化の場として非常に洗練されているように見える。そういう話。
人類の誕生と拡散
さてそのような生きている惑星の上で環境形成と適応進化を繰り返して多様性を増大させてきた生命ですが、その道のりは平坦ではなく何度も大絶滅(上のグラフの黄色い三角形の部分)を繰り返し、そのたびにより多様性を増してきました。
そしてその多様性が頂点に達した時期に、不思議な生物である人類が生まれました。彼らは知識を共有できたので、それまで長い時間をかけて遺伝的形質として獲得しなければならなかった様々な機能を、瞬時に手に入れることができました。
獲物を狩りたかったらそこら辺の石で尖った武器を作れば良いし、寒かったら毛皮を剥いで身にまとえばいい、というように。一世代でそれほど機能を変えられる生物は他に存在しなかったため、人類は霊長として瞬く間に全地球規模に拡散することになります。
生まれたところで天下とったのだからそこにとどまっていればいいのではと思わなくもないんですが、なぜかとんでもない離れ小島にまで拡散しているのがわかります。好奇心とか環境の変化とか色々あったんでしょう。
科学革命
でまあ、そのあとしばらくグダグダ文明っぽいものを作りつつ色々していたんですが、17世紀のイギリスにニュートン先生が現れて現象と数式を結びつけて以後、科学を通じて文明というのは急速に発展していきました。
それまでも原始的な道具を作ったり大規模な組織化による巨大な建造物の構築みたいなことをやっていたわけですが、自然科学の本格的な勃興はそういった人類の環境形成を全く別の次元へと導きました。
少なくとも自然科学は、我々が手に入れた最も正確に世界を把握できるツールであったので、経済も文化も文明もかつてない規模で進歩するようになり、ついには地球環境そのもの、生命そのものを滅ぼそうと思えば滅ぼせるという領域にまで到達します。
物理機械と論理機械
コンピュータは論理機械です。本質的に論理、01が示せればいい、真偽がわかれば、その範囲で可能な計算をすべてできるし、その範囲で解決可能な問題を時間さえあればすべて解決することができます。
ガワは関係ないので真空管だろうがリレーだろうがシリコントランジスタだろうが何でもいいわけです。だからいくらでも小さく速くできる。
これは物理的な制約を受ける他の機械とは全く異なります。単純に、今の自動車が100年前の自動車にくらべて100万倍速いとか、そういうことはありえない。これは物理機械ゆえの限界があるからです。論理機械にはそれがない。したがって理論的には、無限に速くなります。
バイオインフォマティクス
二十世紀半ばごろのDNAの構造解析から生命現象も突き詰めると情報現象であると明らかになりました。ATCGの配列から作られるタンパク質で生命は成り立っている。じゃあコンピュータで扱えるじゃん!ということでバイオインフォマティクスという分野ができました。
ヒトゲノムの解析に関しては確か前世紀末にすでに終わっていたと思うのですが、そのゲノムから生成されるタンパク質、プロテインの解析、プロテオミクスはまだまだ全然進んでいないので、ヒトのことよくわかりませんという状況のようです。
ただ重要なのは、将来的には生命現象をコンピュータ上で自在に扱える可能性を示唆している点だと思います。なぜならデジタルに記述可能だからです。
加速主義とその帰結
民主主義ぜんぜん機能してないよね、みたいな話が盛んにされているので、そういうことにしておきましょう。ひ○ゆき、民主主義とかで検索するとでてくる。
で機能してないのでトランプみたいな人を支持して民主主義が壊れてることを示そう、みたいなことを考えたアメリカの金持ち連中がいたりするそうです。つまり壊れかけているんだから、いっそのこともっと徹底的にぶっ壊して、壊れていることを徹底的に示して、そして新しい創造を呼び込もうじゃないか、みたいな。(ピーター・ティール、新反動主義)
そういった考えをより過激に推し進めた人たちもいて、国家なんてほぼいらないし、市場こそ正義なので無制限に拡大するべきだし、遺伝子操作やAI等の破壊的な技術も含めた革新を徹底して推進することによって、既存の社会そのものを過激に進歩させて、壊して、新しい社会を創り出すのだ、とか考えてるそうです(暗黒啓蒙、加速主義)。
どこで流行ってるんだって話なんですが流行ってるらしい。ニック・ランドという人が提唱者で、だいたいそんなことを言っている。僕は読んでないですが。
『暗黒啓蒙』の結論部でニック・ランドは次のように述べている。動的アイデンティティの獲得がこの思想の最終的なゴールだと。バイオテクノロジーによってヒトという形を自在に変えていくべきだ、と。
金融商品化するヒト、世界
デジタル化にともなってヒトの持っている様々な要素が明確なデータとして取り扱えるようになり、したがってヒトそのものがより徹底された商品として市場を流通するようになるのでは、みたいな。
中国における社会信用システムのようなものが、より洗練された形で、貨幣とは別の価値基準として機能するのではないか、という話でもあります。
これはコト消費からヒト消費になっているーみたいなビジネス系の話ともつながる気がするし、vtuberとかyoutuberとかSNSを見ていてもなんとなく感じるところだし、クラウドファンディングとかクリエイターエコノミーと呼ばれる経済圏を形成している一連のプラットフォームで行われているdonateとかサブスクリプションとかにも、そういう雰囲気があります。
こういったことがデータ化という形で、今では不可侵なものとして扱われているヒトの心とか感覚そのものが、金融商品のように市場を流通するようになる。徹底的にデジタルである世界を想像すると、そんなちょっとディストピアっぽいイメージが湧いてきます。
これは産業革命時の工場労働者が置かれた状況みたいに、市場の論理に対して個人も国家もなにもできないので、たくさんの人がとんでもない状況に置かれてしまう、みたいな話でもある気がします。
市場の行き過ぎに対して、死んだ民主主義で動く国家がきちんと介入できないため、大変なことになっているし、なってしまう、みたいな。
公共財としてのWeb3
ブロックチェーン界隈の人々は既存の情報技術に備わっている機能を、ブロックチェーンベースの自律分散システム=Web3によって拡張できる、と主張します。これによってある特定の人々が関わる必要のあった社会的な機能のいくつかは、アルゴリズムによって民主的な形で代替可能になる、と。
これはすごく単純化して言えば金融システムを使って送金する際の手数料が必要でなくなるとか、様々な形で取られ放題な個人データを自分で管理できるようになるとか、ものすごく便利になったgitみたいなものを通して会社的な組織を運営できるとか、そういうことらしいです。(DeFi、ミドルマンの排除、データの個人主権、DAO)
でこの「公共のものになる」という性質が公共のものと親和性が高い(?)ため行政だったり司法だったりもこれで作れるんじゃない?みたいな話もされているみたいです。そこから先へ進んで、いや国家自体を構築できるじゃん!作っちまおうぜ!みたいな話をしている人たちもいる。
通貨をデジタル化すると機能しなくなってる資産の再分配みたいな国家の役割を通貨自体に埋め込めるので便利そうです。つまり税金逃れしまくってる金持ちからちゃんと税金とって、貧乏人にばらまく仕組みを通貨自体に内蔵できるから。
人々が実際にどう思っているのかをデータとして取り出して、それによって意思決定をしていくべきだ、という無意識データ民主主義のような発想は、そんなような文脈から生じたように見えます。
つまり、壊れてしまった公的な機能を修正し、市場の行き過ぎへの適切な介入をするために情報技術を用いていく。そのためのシステムがWeb3なのだと。
科学の礎としての計算機科学、シミュレーションとAI
計算機科学には他の学問に対して道場破りみたいなことを挑んでいく性質があります。計算すれば解決できる問題があるから計算しろ、と恐れ知らずに首を突っ込んでいくような。数学、物理学、生命科学、気象学、経済学その他色々。今やコンピュータ無しには成立しない学問分野は数知れないようです。
で実際コンピュータがなにやってるかというと色々あるんでしょうが、シミュレーションというのは新しかったようです。単純な数式繰り返すの得意だから、繰り返して強引に解決してやるよ。
90年代に複雑系という学問領域が流行って、「単純なものから複雑なものが生じる」という捉え方のもとにシミュレーションを使って様々な試みが行われました。
その根底にあったのは、生命や自然を人工的な手段で複製、創造したいという欲望だったように見えます。コンピュータとシミュレーションがあればそれが可能なはずだ!と。その後どうなったのか知りませんが、最近は流行ってない感じです。
なんにせよ科学の一つの柱としてシミュレーションというのは確固たる地位を築きました。それは真理は単純なものだと思いたがる人たちにとって、素晴らしい道具だったに違いない。
で最近の流行りはAIなんですが、これはぜんぜん、真逆のものに見えます。つまり現象の根底に単純さを見出したりとか、そういう人間っぽいことを一切しません。
「複雑なものは複雑なまま理解すれば良い」 とにかくデータをぶち込んで、ニューラルネットワークに現象ごと焼き付けるみたいな力技で、分かったっぽい感じにする、みたいな。
これに関して様々な評価と限界の指摘がされているわけですが、基本的に一つの感覚しか扱えないのでヒトのような概念獲得ができない(シンボルグラウンディング問題)ため、その手の(?)問題解決ができない、みたいな話がよくされている。
それでもmidjourneyとかを見ると、何もわからんでもわかったぽい感じにするというアプローチは結構うまく機能することが実感できます。
ただ、いずれにせよここにおいて複雑さは単純さに還元されたりしていません。複雑な現象が複雑なまま"理解"されていて、これはシミュレーションのようなアプローチと全く違うもので、それでいて真理に近そうに見える。
それで機能するっぽいんだったら、もうこれは使うしかないっしょ!便利だし!これからはAIくんも新しい科学の柱としてやっていきます!ということで物凄い数の論文が量産されることになりました。
これがどこまで行くのかはまあ分かりません。門外漢だし。
"ヒト"の終わり
ずっと以前から一部の神秘主義者、つまり神秘的な体験をその思想の根幹に置いているような人たちは常に次のように言っていました。「個と全体は同じものだし、全ては一つなのだ」
知っている中で最も古いものはウパニシャッドです。これは紀元前何百年とかにだいたい完成したインドらへんの哲学書っぽいなにかなんですが、アートマンとブラフマンは同じものだと理解することが大事だ、みたいなことが書いてあるそうです。アートマンは個人、ブラフマンは宇宙全体、みたいな意味。
この自他の区別がなくなったふしぎな世界に関しては、様々な人が様々な形で語り継いでいます。プラトン(イデア論)カント(物自体)ソシュール(言語相対論)西田幾多郎(純粋経験)ジョン・C・リリー(アイソレーションタンクでの経験)シュタイナー(超感覚的世界)
たぶん探せばいくらでも出てくるんですが、あんまり深入りするとキリがないし、危ないのでやめましょう。なぜなら厳密に扱えないし、厳密に理解できないからです。なんかそれっぽい深淵そうな言葉で、それっぽい深淵そうなことを話されるので、惑わされるし。こんなこと言うと怒られそうだけど。
それでこれらの重要っぽい経験は、残念ながら普通の人にはよくわからない感じです。言葉以前の世界らしいので、言葉で説明できないし、説明されてもよくわからない。謎の修行体系を作ってその経験に至る密教っぽい試みも多々されていたし、悪用もされた(オウム真理教のようなカルトに)みたいですが。
しかしながら最近は便利になってきて、工学的にそれが体験できるっぽくなってきました。ブレイン・マシン・インタフェースとかがそれです。
これは動画見てもらった方が速いです。時間指定してあるので数分見るだけなので頼む。だいたい、文章でなにか語るって形式はもう古いし、終わってるし。
身体というのは情報的に環境とつながることによって、哲学的・神秘的にではなく、実際に物理的に消失していくし、自他を区別する境界は工学的に変化させられるようになる。
そうなると当然ヒトは、今ヒトと呼ばれている形ではなくなっていくし、ひょっとすると精神もヒトでなくなっていくのかもしれません。コンピュータと工学がむすびついて生じた不思議な力が、生命のあり方を根本から変えていくわけです。
ラディカル・アトムズ
上の動画のような情報と物理的実在の境界が溶けたような存在、情報の側から情報そのものが分け隔てている界面を破って物理的な世界へと染み出してくるような、そういうものをtangible bits(触れるビット)と呼ぼう。
そしてこれは今は解像度が低くて、はっきり言ってなんの役にも立たないが、いずれ解像度が上がっていけば、私たちはアトム(原子)をビットで自在に扱えるようになるはずだ。そのようなビジョンを示すためのモノとして、この頭のおかしなマシンは重要なのだ。
そのとき物質と情報の区別はつかなくなるし、物質は情報から生成され、情報は物質から生成されるようになる。それを可能にする未来の技術を、radical atoms(舞踏原子)と呼ぼう。
ここで示されているのは、単に物理的な実在の裏に情報世界が広がっている、みたいな意味ではなく、物理的な存在は同時に情報的な存在だし、情報的な存在であるがゆえに、自在に変化していくことが可能なのだ、ということなんだと思います。たぶん。
そこにおいて環境や生命は、瞬くプリズムのように変幻するようになるでしょう。
VRChat 2
それでこのゲームにはお砂糖という文化があります。恋人関係のことです。
目の前に存在している人はせいぜい数万ポリゴンのグラフィックに、声がくっついただけのものです。人によると思いますが、たいていは目の前に存在しているその人が好きなのであって、現実に存在しているその人が好きなのではありません。簡素であるがゆえに魅力的なグラフィックでコーティングされた、目の前の人が好き。
この感情はVRChatというプラットフォームによって作り出された感情です。プラットフォームによって書き換えられた二人の間にだけ、生じたものです。
SNSのようなプラットフォームには人と人の関係性を変えるという性質があります。お砂糖というのはその劇的な表出です。本来、現実で出会っているだけであれば、生じ得なかった感情が生じているのですから。
それにしても私たちは勝手に(?)存在を書き換えられた上に、勝手にそんな感情を抱くようにされてしまっている。技術によって。それって倫理的に問題があるのでは?VRのせいでこんなメチャクチャな性癖になってしまった!許さん!みたいな。
個人的には困ってないし、生活が豊かになってよかった、ぐらいにしか思ってないので、どうでもいいのですが。
たまに不思議に思うのは、科学と工学という体系の発展とともに、私たち人間が謂わば"解体"されてきているように見えることです。一見、浮世離れした研究に見える系外惑星探査ですら、ドレイク方程式を用いれば、文明の持続時間というヒトにとってクリティカルな事実が明らかにされてしまいます。
科学と工学、知ることと作ることの両輪が発展していくということが、私たちが私たちを解体し、再構築していく過程であるなら、それは結局、自分はどうなりたいのかという問いに、個々人がより根本的な形で答えていく過程になるのではないでしょうか。
このプラットフォームで起きていることは、その一端なのかもしれません。
だから、私たちがここで感じたり考えたり作ったりする小さな一つ一つは、これから起きる巨大に明るいなにかの、本当に最初の、始まりの部分なのだと思うわけです。
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