山下達郎さんのコメントを受けて、ある歌舞伎ファンがいま考えていること

あの事件以来、書くことのできていなかったことを書く。市川猿之助さんのことだ。

前提として、わたしは歌舞伎ファンであり、約1年前から月に一度は歌舞伎を観に劇場へ足を運んでいる。猿之助の舞台も観たことがある。素晴らしい役者だと思った。

また、山下達郎さんのことはあまり認識がなく、今回の松尾潔さんとの件について特になにか思うことがあるわけではない。

市川猿之助は当代きっての歌舞伎役者だった。おそらく当分の間は表舞台に戻ってこないだろう。二度とないのかもしれない。一家心中をはかり、両親の自殺幇助をしたとして逮捕されている。

わたしは自殺をよいことだとも仕方のないことだとも決して言わないし、猿之助さんたちが行った行為を許すようなことはすべきではないと思うが、一方で、死のうとしたが生き残ってしまった人を罰してよいのだろうかと思わないわけではない。ただ、今はそのことは問題にしない。

わたしがあの日から気に掛かっているのは、一家心中の動機となったのであろうスキャンダルのことだ。その当時、猿之助さんが周囲の若い男性たちに対して性的暴行を頻繁に行っていたというような趣旨の記事が公開された。

わたしはこのスキャンダルのことを、第一報のあとは追いかけていない。一家の自死に関する話題も基本的には見ていない。このような態度が適切だとも正しいとも思ってはいない。思ってはいないが、わたしにはそうするしかない。正しくなさのことは知っている。

わたしは歌舞伎ファンであり、今日も大阪松竹座の七月大歌舞伎を観てきた。素晴らしかった。昼の部の「吉例寿曽我」は実に華やかで、「京鹿子娘道成寺」の尾上菊之助は本当に素晴らしく、「沼津」の人情もとてもよかった。「俊寛」の仁左衛門は圧巻というほかなく、「吉原狐」ではわたしの推しである中村米吉が目一杯に輝いていて嬉しかった。

わたしは歌舞伎ファンであり、だから、歌舞伎がよいものであってほしいと思う。梨園がよい場所であってほしいと思う。「家」「家柄」というものがはっきりと存在し、毀誉褒貶の激しい伝統芸能の世界であるのだから、よいことばかりではないだろうとは思う。しかしそれでも、よいものであってほしいと願う。

だから、猿之助さんのスキャンダルについては、きちんとした状況になってほしかった。性暴力や虐待があったのであれば批判され罰せられるべきだし、仮にそうではなかったのであれば名誉は回復されてほしい。それらのことは、自死とは関係なく明かされたかったと思うし、本来であれば、それが自死の原因になったのであれば尚更、明かされたほうがよいと思うけれど、こういう状況になった以上はもはや難しいだろう。

人が死んでいるのに、いまさら暴き立てることだろうかと人々は言うだろう。ある意味では、彼の両親が命を落として守ろうとしたのだ。そう、そのような意味付けこそ退けるべきであると思う。思うのだが、個人的な感情としては難しさがある。

そんなことを、あの日からずっと考えている。本当は、「ファイナルファンタジーX」を題材にした新作歌舞伎がいかに素晴らしかったかや、現在U-NEXTなどで期間限定配信中なのでぜひ多くの人に観てほしいといったことを書きたいのだが、この件がなにか邪魔をし続けている。

山下達郎さんがラジオで「何も言わなかった」こと、むしろ「言わなくていいことばかり言ったこと」について、傷ついたりガッカリしたりしている人たちを見た。

そうだよな、と思う。そうなんだよ、と思う。ちゃんと言ってほしい。ちゃんと言ってほしいんだよな。ちゃんと言えない人であってほしくない。それを信じるわけにはいかないから。

光る場所の影で尊厳を踏みにじられた人が、救われうる世界であってほしい。少なくとも、声を上げようとした人が尊重される世界であってほしい。

芸能界も音楽界もよくあってほしい。歌舞伎の世界もよくあってほしい。それだけを願う。

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