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ほんとうは別に、言いたいことを言えずにいたわけでもなかった

招待コードをもらってblueskyを始めた。

せっかく人の少ないSNSにきたので、観たり読んだりしたものの話をもっとしようと思っている。エゴサーチやネタバレにあまり配慮せずに思ったことをもっとすっきりと書きたい。

この2年くらいだろうか、Twitter上で作品の感想を書くのがとても難しいと感じるようになった。ファンや関係者が検索経由でやってくるからだ。

作品自体や俳優の演技や音楽などといったものが素晴らしければ、わたしは褒める。絶賛すべきだと感じれば絶賛する。そうしたツイートがファンの人たちに届いて、こちらにもリアクションがたくさん届く。俳優や監督や作家などの本人たちにも届く。わたしが褒める声が拾われているということは、当然、貶すときの声も届くはずだ。

ある小説を途中まで読んで、つまらないと思って読むのをやめたことがある。大きめの賞をいくつかとっている小説家だし、映像化されている作品だったから、ちゃんと批判的な意見を残しておこうと思って書きかけた。投稿する前に、その小説家はエゴサーチするだろうかと気になって検索すると、ちょうどネガティブなツイート群を繰り出している真っ最中だったので、いろいろ思って書いたものを消した。直接その人を傷付ける可能性があった。それは本意ではない。

他者を意識すれば、当然、意識した言葉を書くことになる。 いらない誤解を招かないように十分に配慮した言葉を選ぶ必要も出てくる。少し過剰に褒めることで読者を気持ちよくさせたいとも考える。 そういうことを気にしているうちに、書きたかったことがわからなくなっていく。

blueskyに投稿し始めてから、自分がTwitterに疲れてしまっていたんだと気付く。Twitterを見ることにもTwitterで書くことにも疲れていた。

意思疎通のできない人に絡まれたくないし、面識のない人をうっかり傷付けたくもない。

でも、面白いけれど惜しい部分がいくつかある映画を観たとき、惜しい部分のことはちゃんと指摘したい。
それに、性的マイノリティの人権が尊重されるべきだと思っているし、マイノリティでなくても男性であっても金持ちであっても外国人であってもなんであれ人は尊重されるべきだし、インボイス制度については経理職をやっている立場として事務は面倒だけど賛成しているし、ふるさと納税は自分の信念に反するのでやっていないし、男が日傘を差してもいいし、だからといって男が日傘を差さないことを嘲るような態度は誰であれ取るべきではないし、とにかく、

本当は書きたいことがいろいろあるのに、Twitterに書けないことが多かった。言いたいことも言えないこんな世の中だ。書けば炎上するかもしれないし、よくわからない人に絡まれるかもしれないし、知らない誰かを傷付けるかもしれない。そんなことはしたくない。

いま、「本当は書きたいことがいろいろあるのに」と書いた。たぶんそれは嘘だ。書きたいことがいろいろある、なんてことはない。書きたいことは本当はちょっとしかない。

Twitterの「おすすめ」タブや「もっと見つける」欄によって、別に見たいわけでもないものを文脈なしに見せられる。アテンションを獲得しやすいツイートばかり見せられている。

だからなおさら、別に言いたいことがあるわけでもないのに言いたいことがあるような気がしてしまう。言いたいことがあるような気がしてしまうけれど、それを言ってはマズイことが起きそうだから黙っておく。

もともと別に言いたいことはなかったはずなのに、余計な我慢を強いられている。見たいわけでもないものを見せられて、言いたいわけでもないことを言いたくなっている気がして、言わないようにしようとして苦しくなる。おかしい。とてもおかしい。

いまのTwitterに疲れてしまっている。別の場所で、かつてのTwitterのような書き方をしばらくしてみて、やっとそれがはっきりした。

あの場所には、好きな人も気にかけている人も大切な人もたくさんいる。でも自分を疲れさせてまで続けなくてもいい。

https://bsky.app/profile/ffi.bsky.social


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