FFJE article23 仏独関係〜アルザス地方に注目して〜


みなさん、こんにちは! FFJE20期代表のShintaroです。
今日は、フランスとその隣国で深い関係をもってきたドイツの歴史を、両国の国境地域にあたるアルザス地方の歴史に注目して、述べようと思います。

1 アルザス地方について
フランスとドイツ。その二国の名前を聞くと、何が思い浮かびますか?マクロン大統領とメルケル首相が笑顔で握手をしている姿をよく見ることからも、比較的仲のよい国というイメージを持っている方が多いのではないかと思います。
ところが、歴史を振り返ると、常にそのような関係が続いていたわけではなく、仲違いをしていた時期もありました。そして、その時期について語る上で欠かせないのが、アルザス地方です。まずは、当該地域の概観について述べようと思います。
アルザス(Alsace)地方はフランス北東部のドイツ国境地域に位置しています。(ちなみにドイツ語では、エルザス(Elsaß)というそうです。*1 )ライン川西岸に位置しており、かねてからヨーロッパ第一の鉄の産地でした。*2 
少し話が逸れますが、実はFFJEの2018年度渡仏プログラムの中で、小旅行としてアルザス地方を訪れたそうです!以下にその時の写真をいくつか載せるので、ぜひ見てみてください!(いや〜行きたかった笑)

図1.png1

                   à ストラスブール                  

図1.png 3

                      アルザス地方の肉料理       

それでは話を戻しましょう笑。このようなアルザス地域が仏独間でどのように揺れ動いてきたのかを今から述べていこうと思います。このことを述べる上でキーとなる歴史上の出来事が主に四つあります。それは、

①ウェストファリア条約(1648)(独→仏)
②普仏戦争(1870~1871)(仏→独)
③ヴェルサイユ条約(1919) (独→仏)
④第二次世界大戦(1939~1945)(仏→独、独→仏)*3

です。それでは、それぞれについて詳しく述べていきます。

2 ウェストファリア条約(1648)(独→仏)

時は17世紀。1618年から1648年までの間、ドイツを中心として三十年戦争という宗教戦争が起きました。*4 これはベーメンでの宗教反乱がきっかけとなり、神聖ローマ帝国内でカトリック派とプロテスタント派の諸侯が対立するようになってはじまった戦争でした。 *5そして、戦いの後半では、カトリック側(旧教側)のブルボン朝フランスが同じくカトリック側の神聖ローマ帝国(ハプスブルク家)を打倒するために、プロテスタント側(新教側)に立って参戦しました。 *6
そして、戦争終了後には、ウェストファリア地方のミュンスターとオスナブリュックで講和会議が開かれ、「ウェストファリア条約」が締結されました。 *7
この条約は、その後のヨーロッパの主権国家体制を確立するなど、歴史的に大きな意味をもったものでしたが、その内容の一つとして、「フランスのアルザス獲得」というものがありました。*8

3 普仏戦争(1870~1871)(仏→独)

普仏戦争は1870~1871年にプロシアとフランスの間で行われた戦争で、1870年7月19日にフランスがプロシアに宣戦布告し、1871年5月10日にフランクフルト条約の調印で終結しました。 *9そして、この戦争で負けたフランスは、豊かな地下資源と南ドイツに対する防衛の見地から割譲を求めたビスマルクにより、ドイツのアルザス(及びロレーヌ)獲得を許してしまうことになります。 *10
ところで、ドーデの『月曜物語』の冒頭の一編に「最後の授業」という話があるのですが、これは普仏戦争でアルザス地方がドイツ領に編入された時のことを題材にしています。 *11内容としては、ドイツ語で授業をしないといけなくなる日の前日、フランス語の先生は子供たちにフランス語は世界で一番美しい言葉だと教え、最後には「フランス万歳!」と書く、というものになっています。 *12ただ、アルザス地方で話されていた言葉はフランス語ではなくてドイツ語の方言であるアルザス語であった為、この話は虚構なのではないか、ということが言われるようになりました。*13

4 ベルサイユ条約(1919) (独→仏)

時は1914年6月28日。ボスニアの州都・サライェヴォを訪問中だったオーストリア帝位継承者夫妻がセルビア人に暗殺されるサライェヴォ事件が起こります。*14 それを見たオーストリアは、スラブ系民族運動を抑えるチャンスと考え、ドイツの支持を得てセルビアに宣戦布告し、第一次世界大戦が勃発し、結果的に、ドイツ・オーストリアなどからなる同盟国と、英国・フランスなどの連合国が参加する大戦争となりました。*15 最終的には、同盟国側が敗北するという形で戦争は終わりました。そしてフランスは、ドイツの敗北を受けて、その後に締結されたヴェルサイユ条約によって、アルザス(及びロレーヌ)をフランスに戻すことを認めさせました。*16

5 第二次世界大戦①(1940) (仏→独)

ヴェルサイユ条約締結後も、ドイツはロカルノ条約(1925)でそれらの地域の放棄を確認しました。*17 しかし、その後この国際体制は揺るぎ始めます。1929年、アメリカ発の世界恐慌がドイツに及ぶことで、ヴェルサイユ体制・ロカルノ体制打破を掲げたヒトラーのナチ党が急速に台頭、ドイツ国民の支持を集め始めます。*18 フランスのアルザス領有を認めたその二つの体制の瓦解を目指すドイツの大きな勢力。彼らがアルザス地域についてなしうることは一つしかありません。アルザスの編入です。ヒトラーとナチスはアルザスをバーデンと統合し、《上ライン大管区》へ編成替えしたのでした。 *19アルザスの悲劇はこれにとどまりませんでした。徹底的なゲルマン化=脱フランス化政策が実施され、フランス語やフランス文化の遺産はすべて排除されていき、ドイツ軍として徴兵されることすら起こったのです。*20

6 第二次世界大戦②(1945) (独→仏)

そのようなドイツによる過酷な支配も終焉を迎えます。1944年12月、連合国軍がアルザスに侵攻し、アルザス解放戦闘が始まります。*21 そして、1945年2月にドイツ軍はライン川を渡って撤退し、同年5月のドイツの降伏で正式にフランス領となりました。*22

7 最後に

これまで仏独間でアルザス地方がいかに推移していったかということについて述べてきましたが、この400年ほどで5回も移動があったことがわかりますね。このような仏独間の激しい領土争いのあったアルザス地方ですが、第二次世界大戦以降はフランス領として落ち着いています。また同様に、仏独関係も良好な状態が維持されています。
アルザス地方の都市であるストラスブールには、欧州議会が設置されています。*23それは、長い間戦争に翻弄されてその度に国籍を変えないといけなかったアルザスの悲劇を二度と繰り返さないようにしようという思いと平和への願いから、設立されたものでした。*24

FFJEは来年度の新メンバー募集にあたり、以下の日程でオンライン説明会を開催します!

 ①11月20日(金)19:30-20:30   ②11月28日(土)11:00-12:00 

詳細情報はInstagramFacebookにて更新していますので、こちらもご覧ください。

本日もお読みいただきありがとうございました!それでは、また来週!

注一覧

*1 朝日新聞社「アルザスロレーヌ」(https://kotobank.jp/word/アルザス   ロレーヌ-428512 、2020年11月12日 閲覧)

*2 同上

*3 「アカデミア世界史」浜島書店

*4 マナペディア「三十年戦争とウェストファリア条約の歴史的意義」(https://manapedia.jp/text/2414 、2020年11月12日閲覧)

*5 同上

*6 同上

*7 同上

*8 同上   ここでフランスが獲得したのは、アルザス地方に加えてロレーヌ地方のメッツ、トゥール、ヴェルダンでした。そして、1766年にはロレーヌの全てがフランス領になりました。
世界の歴史まっぷ「ウェストファリア条約」2019年7月15日(https://sekainorekisi.com/glossary/ウェストファリア条約/ 2020年11月12日閲覧)
朝日新聞社「アルザス・ロレーヌ問題」(https://kotobank.jp/word/アルザス・ロレーヌ問題-1501979 、 2020年11月12日閲覧)

*9  朝日新聞社「普仏戦争」(https://kotobank.jp/word/普仏戦争-125670 、2020年11月12日閲覧)

*10 Y-History 教材工房「アルザス/ロレーヌ」(https://www.y-history.net/appendix/wh0904-101.html 、 2020年11月12日閲覧)

*11 同上

*12 同上

*13 同上

*14 NewsDigest「終戦から100年 英国・ドイツ・フランスから見る 第一次世界大戦」2018年11月1日(http://www.news-digest.co.uk/news/features/18260-100th-anniversary-of-the-end-of-the-first-world-war.html 、 2020年11月12日閲覧)

*15 同上

*16 Y-History 教材工房、前掲(インターネット)

*17 朝日新聞社、前掲(インターネット)

*18 Y-History 教材工房「ロカルノ条約/ロカルノ体制」(https://www.y-history.net/appendix/wh1502-047.html 、2020年11月12日閲覧)

*19 石坂昭雄「ヨーロッパ史におけるアルザス=ロレーヌ/エルザす=ロートリンゲン地域問題」『札幌大学総合研究』4号、札幌大学附属総合研究所、2013年3月、158頁(https://sapporo-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=6943&item_no=1&attribute_id=18&file_no=1 2020年11月12日閲覧)

*20 同上、158頁

*21 「アルザス:アルザスの歴史」(http://bougakudai.com/LPOP/trvl/03bry/alsace.htm 、2020年11月12日閲覧)

*22 同上

*23 九州大学「ヨーロッパの平和の象徴 – フランス・ストラスブール」
(http://www.isc.kyushu-u.ac.jp/intlweb/study/panel/panel2005/strasbourg.pdf 2020年11月12日 閲覧)

*24 同上