ケニアめしを日本で

8月、2週間の滞在ということで、私たちは友人の家に居候させてもらい、食事もすべて提供してもらった。だから、自分で作ったのは、実に20年近くぶりなのではないかと思う。

息子がケニアの食事を気に入って、とにかくうまいうまいとよく食べた。そうしたら、最後にお世話になった家の人が「日本できっとウガリが恋しくなるだろうから、帰りに小さいパックを買ってあげるよ」と言ってくれた。

ウガリは、トウモロコシ粉を熱湯で練ったものである。昔は雑穀だったが、今はトウモロコシ粉。それを主食にする。私も大好きである。しかし、日本ではトウモロコシ粉はほとんど流通していない。あっても黄色いやつで、ケニアの白いやつとは違う。

という話もしたところ、帰りのナイロビ行きのバスを待っているときに居候先の人に渡されたのが、1kgのトウモロコシ粉のパックだった。それと500gの紅茶(茶葉)。他にもあれこれもらうことになって、帰りの方が荷物が多くなってしまったほどである。(ほかにソープストーンでできたゾウの置物もいただいて、それはもう重かった・・・)。

ちなみに、これをくれた人は、長らく私の調査に協力してくださっている方の長女である。彼女と初めて出会ったとき、彼女は前歯が抜けた直後の小1だった。それがいまや2児の母だ。

さて、ウガリは、トウモロコシ粉を熱湯で練るといっても、小一時間かかる。人々が普段作る量を本気でやったらもっとかかる。少なくとも、薪をたくさん使える私の調査地では、ウガリは時間をかけてつくられる。「同じ」ケニアでも、薪がないところは、ちゃっちゃと練って、まだ粉っぽい状態で出されるという話を聞いたことがある。私の調査地はその意味で贅沢に薪を使えるところだ。

沸騰した湯にトウモロコシ粉を投入

私が経験した調査地の中でも、特に田舎の方ではちょうど枝が三つ叉か四つ叉になっている植物がそのへんに生えていて、それを乾燥させて道具に仕立てたやつで最初かき混ぜる。私は今回、あやうく「すいとん化」するところを泡立て器でかき混ぜて事なきを得た。その後は木べらで練っていく。

最初、現地の人の感覚でうっかり大鍋に湯を沸かしてしまったが、「これでは大量のウガリになる」と沸騰した湯を前に気づき、小ぶりの雪平鍋で作ることに。英断とはこのことである。

ボコボコ熱いトウモロコシ湯が撥ねるので注意が必要

後述するが、鍋にべったりくっついていても、全く問題ない。しばらく練ってから、そのまま火にかけてボコボコ言わせて、そしてまた練るのを再開する。その繰り返しだ。水分がなくなっていくと、かなり力を要するようになる。こんな少量なのに明日利き腕が筋肉痛になっているはずだ。

まとまってくる

もっと練りたいと思いながら、ガス代が気になり始め、もういいか、と思ってしまう。

かき混ぜるときは、手前に向かって文字通り練る感じで
グーの手のひらが上向きの握り方で練っていく

もうあと10分か15分くらい練ればよかったのだが、疲れたので、ボウルによそう。向こうでは中国製のホーローでできた深めの皿に入れて、それを同じくホーローの平皿にひっくりかえす。

まあ、ゆるいよね。もうちょっと固めにすべきところである。
形状としてはこんな感じ

私がいたところでは、カマドの横側にちょっとしたスペースがあり、そこに入れて保管する。直火の近くなのでずっと熱い。ちなみにカマドは、土台がレンガみたいなのでできていて、粘土に牛の糞をまぜたものを塗って整えた作りとなっている(農耕牧畜民で、たいてい牛は飼育している)。

で、ウガリを作ったら、今度はおかずである。今日は豪勢に肉入りである。肉は特別なときでないと自分の家の牛は屠らず、客人などがある場合には肉屋で買ってくる。1kg、500g、250gのいずれかで買う。肉屋には肉が上からぶら下がっている。切ってくれといったら、切ってくれる。野菜もそうだ。肉屋は男性、野菜売りは女性がほとんどである。「ママ・ボガ」(野菜母ちゃん)に言えば、これまたその場で刻んでくれる。

ケニアでこれは私が土産に買った「ロイコ」という調味料の最小パックである。家庭ではほとんど見かけたことがない(空き容器を塩入れとかにしているのは見たことがある)。イベントで炊きだしをするときとか、食堂などで使われていると思う。コンソメみたいだと思えばいい。写真を撮り忘れたが、乾燥している状態だと、「怪しい白い粉」だが、水で溶くと、オレンジ色になる。

みんな大好きロイコ味
予め水で溶いておけと書いてあったので表示通りに。
スーパーの安いステーキ肉を切って油で炒める

牛肉に火を通して、それから千切りキャベツとタマネギ(本来みじん切りだが薄切り)とさいの目切りのトマトを入れて炒める。このあたりはテキトーである。

炒り卵もつけた。豪勢な夕食である。

まあ、それっぽい「ちょっと豪勢なケニアめし」のできあがりである。

なお、先のウガリの鍋だが、慌てて水に漬けることなかれ。

こんなにきれいに剥がせる
さっきの鍋から剥がしただけ

このパリパリしたやつ、まあ、日本でいう「ご飯」に対する「おこげ」みたいな感じか。向こうでちゃんと呼称がある。私がいたところの言葉でウガリ(スワヒリ語)は、kimniyetという。それに対し、このウガリを作ったあとのパリパリしたやつはmoriyotといった・・・と思う。ちなみに、手話で表すと、市販のビスケットと同じ表現だった。子供らがその表現を使ってこれを示していた。となると、「ご飯」に対する「煎餅」みたいな感じか。子供がこれをつまみ食いする。香ばしくてうまい。

とまあ、こんな感じで。本当は今日は鍋にしようと思ったが、鍋という気候というよりも、なんだかケニアの私の調査地の気候のようで、ふと思い立って息子に「ケニアめしでいいか?」と尋ねたら食べたいというので作った。

しかしである。日本で食ってもそれほどうまくないのである。私が作ったのが「似て非なる物」になったからかもしれないが、多分それだけではない。

やはり、その土地の食べ物はその土地で食べたいものだ。

1kgのトウモロコシ粉は、200gくらいしか消費できていない・・・。

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