「救いなき愛の中に囚われ続ける破滅的な男」Met HD配信「エフゲニー・オネーギン」感想

Metの配信で「エフゲニー・オネーギン」を見た。

2007年公演のもので今は亡きロシアの美貌のバリトン、ディミトリー・ホロストフスキー氏が当たり役のタイトルロールを演じ、Metの女王フレミングがタチヤーナを、ラモン・ヴァルガスがレンスキーという豪華キャスト。

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ストーリー:放蕩の貴公子オネーギンは親友のレンスキーに連れられて、田舎貴族の屋敷を訪ねる。地主の娘の二人の姉妹の内、タチヤーナの妹のオリガとレンスキーは婚約しているのだ。そこで純朴な田舎の地主の娘タチヤーナに手紙で告白されたオネーギンは傲慢さからこれを断る。(タチヤーナが手紙を書く「手紙の場」が有名) 

タチヤーナの16歳の誕生日パーティー、オネーギンは群衆に陰口を叩かれて面白くない。こんなパーティーへ連れてきたレンスキーへの当て付けに、オネーギンは軽い気持ちからレンスキーの婚約者オリガといちゃつく。レンスキーは激怒して決闘を申し込み、オネーギンは受ける。レンスキーが決闘の前に歌うアリアは非常に人気があり、有名。結果レンスキーは死んでしまい、オネーギンは親友を殺したことに絶望する。

数年後、オネーギンは傷心の旅からやっと戻ってきた。パーティーで彼は貴族の夫人として美しく成長したタチヤーナと再会する。彼女に心奪われ、冷たい心に入る熱い燃えるような愛を感じた彼はタチヤーナに手紙で告白する。まだ彼を愛していることから苦悩するタチヤーナはそれでも夫のために彼と一緒になれないと言い、届くはずだった幸福を嘆きながら彼を拒絶する。オネーギンは恥辱に呆然とし、絶望の中幕は降りる。


この演目は確か以前渋谷のシアターオーブで公演されたものを一回、ウィーン国立歌劇場のものを一回見たことがある。

シアターオーブで見た際は伝統的な演出、ウィーンのものを見た際は時代を現代に読み替えた演出だったのだが、今回は時代設定は当時のまま演出が少し台本のト書きとは変えてあって、印象に残った。

幕が開くと手紙(落ち葉?)が降る中、椅子に崩折れるオネーギンが見える。これは台本にはない演出である。これは後で分かるのだが、タチヤーナからの愛の手紙とオネーギンからの遅すぎた愛の手紙がこの歌劇では重要なモチーフになっており、手紙の降る中に崩れるオネーギンは、そこに宿る実らなかった愛の中に囚われていることを示しているように見える。

愛に囚われたオネーギンの回想だから、この演出では秋から始まり(最後の色がある季節?)、舞台全体の色は褪せたオレンジのミレーの絵画のような農民たちとの交流のシーンから、輝かしく彩り豊かな舞踏会へと変化する。そして青い光の中で登場人物たちがシルエットだけとなる演出が行われ、彼らは決闘を行う。親友の死に呆然と立ちつくすオネーギンの後ろに、倒れたレンスキーの死体が残り続け、そのまま舞踏会の華やかな音楽が鳴り響いてくる。オネーギンが立ち位置を動かずになすがまま、舞踏会の衣装に舞台上で着替えさせられるシーンは、オネーギンの心から親友の死が離れない演出として秀逸であると思った。また舞踏会のシーンは通常だと華やすぎるほど華やかな都会の舞踏会の空気と沈鬱なオネーギンの対比が印象的なのだが、今回の演出では舞踏会の登場人物がドレスも含めてみな黒い衣装を着ており、まるで葬式のようである。照明も逆光のような当て方で、観客側からは舞踏会参加者の顔がよく見えないようになっていた。この演出は一貫してオネーギンの記憶や心象世界をおそらくテーマにしており、親友の死によって世界が闇に閉ざされ、色を失ったオネーギンの心境をよく表していると思った。この場面で現在タチヤーナの夫である貴族がタチヤーナが闇の中の光のように自分にもたらされたことを歌うのだが、オネーギンがタチヤーナへの愛を自覚した瞬間、暗さに閉ざされていた舞台の背景照明が一気に明るくなり、暗く絶望に沈んでいたオネーギンの世界もタチヤーナへの愛で光がもたらされたことが暗示される。いわば秋を過ぎて「冬」を生きていたオネーギンの人生に愛が差し込んでくるのだ。しかし「過去は戻せない」と歌うタチヤーナの言うように、秋には収穫できた愛の実りも冬に摘むことはできない。彼にとって救いになるはずの愛は、永遠に失われてしまったのである。そして舞台は冒頭と同じく、オネーギンが椅子に崩折れて幕となる。青春の夜明けをレンスキーは愛する人に捧げた。しかしオネーギンは実ったかもしれない愛を想いながら、これから永遠に終わらない青春の晩年を生きていかなくてはいけないのである。

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