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キャリア形成における「本音と建て前の境界線」と私の夢

私は現在転職活動に勤しんでいる。書類審査を通過し、面接に行くことが多くなった。面接では、他の候補者に比べ、いかに自分が有能な人材であるかをアピールしなければならない。加えて、転職候補先の企業の事業内容・企業文化に共鳴していることもアピールした方がいい。30分、1時間程度の面接の中で、自分を偽らなければならない。勿論偽り度合は面接によりけりである。

私は面接という茶番じみたゲームの中で、人と駆け引きするのが非常に得意であり、面接という茶番じみたゲームの攻略方法を考え実行することが人よりも得意である。面接前に想定される質問を頭の中でぐるぐるとシミュレーションし、面接官のタイプにより、回答をポケモンのメタモンの如く変化させる。適切な回答をするだけではなく、言葉に気持ちを乗せる努力も怠らない。全ては内定を貰うためだ。勿論、自分を偽っている。よって、内定を受領し、入社後に苦労する事が多々ある。私は今の会社で2社目である。給料もそれなりに貰っているが、面接時に自分を偽ってしまったため、仕事は全くできない。

私は、父の仕事柄、幼少期より国内・国外を転校することが非常に多かった。新しい環境に適応するため、表面的な人間関係を築き、直ぐに転校する。数年単位でこれを繰り返していた。どうも私に内在する「面接という茶番じみたゲームの攻略本」はこのように育まれていたようだ。

20代後半に差し掛かり、自分の人脈の棚卸しをする時期を迎えた。幸か不幸かな、様々なフィールドで活躍している友人に私は囲まれている。そして、困った時に彼・彼女等にアドバイスを求めたら直ぐにレスポンスを貰える。去る小・中・高校の卒業式に校長先生が壇上で、「卒業は生徒一人一人の努力の賜物である」と言うが、私の場合「全はて父の努力の賜物である」と思っている。小・中・高学校の中間・期末テストではよくカンニングをした。とても良い友人に囲まれていた。こんな頭が悪く不出来な私に快く手を差し伸べてくれた友人たちには今でも感謝している。

こうして私が人生に迷走している中、夜中の2:00に某大手人材会社の友人からキャリア相談に乗るとの連絡が入った。他愛もないLineでの会話をしている中で、私の迷走具合に痺れを切らしたそうだ。そして、平日の業務時間中にも関わらず、長めの3時間ランチを設定し、私の闇に向き合ってくれるそうだ。このように私は非常に人に恵まれている。

僭越ながら私の将来の夢は、エンターテイメント業界のロビイストになることである。ここでいうエンターテイメントとは、スポーツ、音楽、アニメ、映画等娯楽産業を指す。私の転校先での孤独を救ってくれたのは、環境に適応させてくれたのは、紛れもなくサッカーであり、転校先で友人ができるまで私の孤独を癒してくれたのは、ゲームであり映画である。そして、ロビイストとは影響力を持つ特異な才能を持つ人々であると理解している。エンターテイメントの世界でのロビイストを私は目指している。いや、現時点では夢を見ているだけであるが。

私が考えるロビイストとは投資家として、株主と企業の経営陣の利害や目線を合わせるために双方の橋渡しをすることや影響力がある組織(例えば、FIFAやハリウッド)の中核を担い、日本にもう一度ワールドカップを招聘したり、日本の演者等のハリウッドでのプレゼンスの向上に努めることだ。両者はエンターテイメントに対するアプローチは異なるものの、両者の行動の原理原則は概ね通じるものがある。

エンターテイメント業界のロビイストになる。壮大な夢である。私の父は、世界初、ゲームの映画化をハリウッドという場で成功せたプロヂューサーである。世界を駆けずり回っていた。幼少期より海外で生活する中で、父が奮闘していた姿は鮮明に覚えている。

余談ではあるが、私が体調を崩し、病院に行った際に待合室で雑誌の頁を捲っていた。かれこれ8年程前の出来事である。雑誌にはそこの病院の院長のインタビュー記事が掲載されており、その院長は体調管理の重要性を説いていた。体調管理を怠り、48歳という若さにして才能があったエンターテイメント業界のプロデューサーの他界した話について、院長は語っていた。どうやらそのプロデューサーは死を間近にし、人にとっての幸せとは何かをよく病室で語っていたらしい。

後から知った話であるが私の父とその院長は面識があったようだ。

エンターテイメントには非常に影響力がある。人を楽しませることだけではなく、政治的にも非常に影響力がある。

米国は民主主義が根付いている国であるが、ポピュリズムに走る国でもある。昨今のトランプ政権の暴走具合を見たら明白である。

完全に主観ではあるが、世界の覇権国家である米国に影響力を持ったSonyは、コロンビア・ピクチャーズの買収により、米国の社交界への進出を果たした。その瞬間、Sonyは英語というツールを通じて米国以外の思想・考え、価値観をエンターテイメントという表現方法で、世界中の人々に届けている。よって、Sonyは偏った思想・考えの支配がもたらす弊害の火種の消化機能として、世界平和への貢献の一助を担っていると私は本気で思っている。勿論、アングロサクソン系の思想が世界を支配していることは否定しない。

エンターテイメントとは、マクロレベル視点での戦争の火種となる、政治的対立、宗教的対立を緩和する効果があり、他方エンターテイメントには、ミクロ視点での個々人の孤独の解消を始めとし、異なるバックボーンを持つ人々を共感、共鳴、共生、そして共存させる摩訶不思議な魔力が宿っていると個人的に考えている。

本稿、テーマからだいぶ逸れてしまった。キャリア形成における、「本音と建前の境界線」により、同様な苦しみを感じながら、日々を過ごす20代後半の青年は多いことであろう。なにはともあれ、私はエンターテイメントが好きだ。いつの日か、自分がロビイストとして世界平和に貢献することを夢見て。夢の実現の暁に私と同じような闇を抱えている青年の手助けができるよう願っている。

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