「大人になる」とは?どういうことだすか??
※いなかっぺ大将に関するnoteではありません。
「大人になる」とはどういうことか?
何をもって「大人の仲間入り」と言えるのか?
大人になるとは、について一度考えてみたいと思う。
「大人になる」と一口に言っても、人によって思い浮かべるものはバラバラだと思う。
例えば、
ブラックコーヒーを飲めるようになった時。
ブックオフでデスノートを大人買いした時。
社会人になって会社から初任給を貰った時。
親からの仕送り無しで自立した生活ができるようになった時。
パートナーができて人の人生を預かる責任を実感した時。
子供が成長してPTAに入って奥様方の闇を垣間見た時。
もっといっぱい、人の数だけ「大人になれた」と実感する瞬間があるのだと思う。
僕にとっての「大人になるということ」
僕にとって「大人になるということ」は、慣れによる鈍感さを手に入れること。
よく言えば、成熟。悪く言えば、麻痺。
大人になる過程で、成功や失敗を経験し、そこから反省や分析を経ることで次同じことがあったときに上手く対処できるようになる。これが慣れであり、鈍感さを手に入れる=大人になる、ということだと思う。
例えば、
親がテレビドラマに感動しているところをあまり見たことがない。ドラマ以外の映画や小説、ドキュメンタリーなんかにも反応が薄いと感じるときがある。一度なぜなのか聞いてみると「似たような作品を見過ぎて展開をある程度予測できてしまい新鮮さや驚きが薄れてきてしまった」と返ってきた。
なんとまあ冷めた人間だ、なんて憐れんだが、まあそうなんだろうなとも理解できないこともない。
僕も似たような経験がある。「好きな女の子が突然難病にかかり真実の愛を問う」系の映画を初めて観たとき、理不尽さに衝撃を受け、切なさで泣いた。でも、同ジャンルを5,6本見た辺りで他の作品だとしてもある程度の展開がなんとなく分かるようになってくる。もうそろそろ病が発覚するんじゃない?ほらきた。もうそろそろ2人で病室を抜け出すんじゃない?ほらきた。もうそろそろ彼女の親に見つかって怒られるんじゃない?ほらきたドンピシャ。ひどい時にはセリフさえも予測できるようになってしまう。
俺映画のこと分かってますよムーブを他人にかまされたら腹が立ってしょうがない。でもそれは、その作品のジャンルを網羅してしまうことで既視感による慣れが生じ、脳への刺激が弱まり、当初ほどの新鮮さや感動、恐怖といった感情が湧きにくく、鈍くなって麻痺していくという理屈なのだろう。その人にとっては二番煎じで、面白いとは感じていても目が笑っていない、みたいな。
慣れて、大人になってしまうのが怖い
小説を読んでも感動しなくなるかもしれない。
クレジットカードで2万円分支払うことにドキドキしなくなるのかもしれない。
電車待ちの列を横から抜かされてもイライラしなくなるのかもしれない。
東京タワーを見ても写真をパシャパシャ撮らなくなるのかもしれない。
でも、
町で人が倒れても3回目あたりから冷静に対応できるようになるかもしれない。
面接に緊張しなくなってすらすら言いたいことを言えるようになれるのかもしれない。
一緒に居た人がゲロを吐いても慌てず一瞬で処理して落ち着かせられるようになるのかもしれない。
家が強盗で荒らされても落ち着いて警察に電話できるようになれるのかもしれない。
慣れから来る麻痺は怖いけれど、成熟の方に向かって大人になっていけたらいいな。
なんて、学校をサボって、市役所宛ての郵便物の提出期限切れに気づいて、電車待ちの列を横から抜かされた後いろいろ考えてnoteを書いた今日この頃。
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