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世捨て人になりたいぼっち

最近、世捨て人になりたいと嘆いている。

サンキューさん。画がおもろい




おいらはアマチュアぼっちライフ満喫中の大学3年生だす。

どうせこのまま一生独り身ならば、もういっそのこと、思い切って世捨て人になってしまいたい!などと血迷っている。スマホや人間関係から開放されて土いじりと文をしたためる事にのみ生きがいを見出す、リアル丁寧な暮らしを体現してみたいと思う今日この頃。


ぼっちの辛いところ

ぼっち(バカでか主語)の何が辛いかと聞かれたら、他人と自分を比べてしまい、常に無いものねだりしてしまうところにある。

ぼっちは基本、真っ白な世界に自分一人しか人間が存在しない。俺か俺以外か、なのだ。

だから、「今日は部活の遠征で大阪に行って来たよ」とか、「昨日はサークル終わりに友達と居酒屋行ってラーメンで〆たよ」という話を巷で見聞きすると、発言者が全て同一のイマジナリーリア充君に集約され、ゔっ、ゔらやまじぃぃ‥と髪を掻きむしり始め、妬み嫉みで頭がカチ割れそうになる。


ぼっちは承認欲求の権化

そして、ぼっち(バカでか主語)はあらゆる欲求に飢えている。

マズロー流に従えば、常に所属と愛の欲求・承認欲求に飢えている。大学以外のどの団体にも所属していないので、他人に何をしている人なのかを説明する手立てがない。だから、先輩との繋がりも皆無だし、履歴書に書ける活動経歴もゼロに等しい。

それに、サークル等に入っていれば幹部や備品購入係、会計等の役割をいただけるが、当然そんなものは無く、大学教授に課題の提出を求められるときにしか自分の存在意義を見出せず、提出物を評価していただくことでしか承認欲求を満たすことのできない哀れな子羊に成り果てる。

そんな調子であらゆる欲求が常に在庫品薄状態だから、常に不安を抱えながら生きる亡者となり、依存先が見つかれば異常なまでの執着心を見せる。バケモン爆誕!の瞬間に立ち会う羽目になる。


孤独と孤立は違う

世の中には、「孤独と孤立は違う。自分から孤独を選ぼう」などと、今まで友達が少なくて下唇をハミハミした経験が皆無であろうエセ経営者/心理学者が適当なことを自己啓発本でほざいている。が、そんな綺麗ごとが通用するのは夢や希望を持ったスーパー上昇志向人間のみである。

僕みたいな小心者は夢も希望も月並みであり、よっ友さえも切り捨てて我が道を貫けるほど、度胸と傲慢さとパッションを持ち合わせてなどはいない。


これら悩み全てを解消してくれるロールモデル=「世捨て人」

おいらの中で、世捨て人=昭和の文豪のイメージがある。あと、るろうに剣心の緋村抜刀斎とか。

あの人達が何で食って生きていたのかが永遠の謎である。小説家と言えども借金や酒に溺れて生活苦で奥さんに家計簿で頭をしばかれていた人も少なくないはず。映画でしか見ていないが緋村さんも定職に就いている様子は無い。政府からの臨時短期バイトをこなすフリーターと言っても差し違えないだろう。

つまり、ずっと家に篭っていて何の仕事をやってるか分からない物書きになりたい、ということを言いたかった。それか古本屋の店主さん。

平屋の日本家屋に猫と一緒に住み、人と極力関わらず、それでいてたまに親しい友人と縁側でゴロゴロしたり、猫とわちゃわちゃする物書きになりたい。それか古本屋の店主さん。




ちょっと関係ないけど「ひらやすみ」面白いから最近ハマってる。絵柄が好み。おすすめ。

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