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他人を「面白くない」と非難する人間はたいてい「面白くない」という真理

【懺悔】

僕は常日頃、「周りの大学生は面白くない人ばかり」だとnoteに書いている。

周りの大学生はユーモアのセンスに欠けていて、大学生特有の薄いノリや浅い会話に満足してしまう痛い人ばかりだ。と、こんな論調で今まで周りの大学生を罵ってきた。


しかし、僕が「周りの大学生は面白くない人ばかり」だと声高に叫ぶほど他の人から見たら僕自身が「面白くない人」に写る。

居酒屋にて、「自分は現状に満足しているから夢や恋人がいなくても不幸じゃないぞ!」と周囲に向かって吠えるようにして口に出せば出すほど返って「不幸な人」に見えてしまう現象に通ずるものがあると思う。自分が幸せだと思えている人はそもそも、他人との間に「幸せ/不幸せ」の価値尺度を持ち出さない。このケースは、「自分はもしかしたら不幸かもしれない…」という後ろめたく思う感情があったからこそ「いやいやそんなことはない、俺は幸せなんだよ!」と自己暗示の意味合いを含めて周囲に「不幸じゃないぞ!」とアピールしているわけである。「俺は幸せなんだから憐れみの目を向けないでくれ」と。

つまり、僕が「周りの大学生は面白くない人ばかり」だとnoteで主張するのは、視点を変えると自分自身のことを「面白くない」と自己嫌悪している裏返しであると言える。



事実、僕は面白くない

先ほど書いた論理はめちゃくちゃ正しい。事実、僕は「面白くない人」に分類される。

僕には、人を笑わせたいと思って「変なことを言ってウケを狙う」という周りからしたら大変迷惑しい悪癖がある。

例えば、

休日、繁華街で遊んでいる最中に友達が急に神社に寄ろうよと提案してきた。でも僕はあまり乗り気ではなかった。そのとき、

「僕はあんまし行きたないな~、だって何されるか分からんやん・・・。ほら、、あそこにおる一見優しそうに見える神主さんがやで?いきなりさあ、、僕らにどついてきようもんならさあ、ええ!?、、、どないすんの自分っ!?」

と、変なことを言ってボケた。神社はお参りするぐらいしかやることが無いので、それを逆手にとって神社を治安の悪い夜の飲み屋街みたいにして見立てたのだ。

書いていて思ったが全然笑えない。友人も1人は失笑で、もう1人からは普通に無視された。読んでくれているあなたもきっと同じ気持ちだろう。文章からおもんなさがにじみ出てしまっている。


「ぼやき君って面白いね」と言われたことがない

大げさに言ってしまったが年に数回ぐらいしか言ってもらった記憶しかない。高校生の時なんかはもっとひどくて、1日に5,6回は「面白くない/つまらない」と人から言われてきた。


僕が面白くないのは関西のせいだ!

僕は大学進学を機に関西から非関西圏へ引っ越した。

関西ははっきり言って魔境である。一歩踏み入れてしまえば星の数ほどいる面白い関西人に食いものにされてしまう。幼少の頃より関西ローカルのお笑い番組ばかり見てきたテレビっ子が多く、彼らは笑いに貪欲な環境で生きてきた。だから15年も関西で生きようものなら一般人以上芸人未満のプロ関西人がそこいらに爆誕する。

でも、関西と言っても極稀に芯からおもんない人間もいる。そう、アマチュア関西人とは僕のことだ。

関西は日常的に面白いことを言うぞ!という雰囲気がある→自分も笑いを取りたくなる→でも当然面白くないからスベる→反省して変なことを言うのを控える→周りがずっと面白いことを言うから自分も笑いを取りたくてウズウズする→スベる。

この繰り返し。


何が言いたかったのかというと・・・

面白い人が心底羨ましい。

他人を「面白くない」って非難して自分を保つ方法しかないのがとてもしんどい。

noteってさ、面白くてセンスいい人ばっかりやん?そうちゃう?昨日も今日もたぶん明日も、声出して笑った記事何個もあったんやけどズルない?そんなん!?


読んでくれた人から「ふっ、面白れぇ男・・・」って1回でも思われてみたかった。

「ふふっ」ていう面白さじゃなくて、「お前おもろすぎやてぇ!!!」って言って人が腹抱えて笑ってるとこ、死ぬまでに1回ぐらい見てみたい。切実に。

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