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【主日礼拝】2024.3.31「信じなくても」

  これは2024.3.31のイースター礼拝で、H.Y牧師がお話されたものを書き留めて、話の流れに沿ってまとめたものです。
  本文では、『聖書協会 新共同訳』を引用しています。


【 聖書箇所 】
(旧約)出エジプト記 14章15-22節
(新約)マルコによる福音書 16章9-13節


【 説教まとめ 】

  主イエスは、金曜に十字架にかけられ死なれ、日曜に復活されました。日本では、このことを信じ、キリスト教徒となる人は少ないです。そのため、キリスト教は日本人には関係がないと考える人も多くいると思います。

  しかし、開国した日本は、多くのものを輸入するようになり、明治9年に、日曜を休日とする一週間の習慣を取り入れるようになりました。この一週間は7日であり、日曜は休日という習慣は、キリスト教からくるものなのです。

  私たちは、知らず知らずのうちにキリスト教と関りをもっているのです。それでも、私たちには関係ないと思ってしまいます。それは、主イエスが復活された当時の人たちにも言えることです。

  『マルコによる福音書』では、16章11、13、14節で、主の復活を「信じなかった」と記しています。そして、そのまま「信じた」という記載がないまま記事は終わってしまいます。

  これは、私たちにも言えることではないでしょうか。

  あなたは、「主イエスが復活した」と初めて耳にしたとき、そのことを信じましたか。

  聞いてすぐに信じたという方は、稀ではないでしょうか。それは洗礼を受けた後でも、「本当に復活されたのか」という思いがぬぐえないという方もいるというのが、現実ではないでしょうか。

  主イエスは、十字架の刑に処せられました。これは、ローマ帝国で最も残酷な死刑です。なぶられ、見世物にされ、苦しめられて死を待たされることで殺され、その死の後も槍で刺され、やっと十字架から降ろされる。

  だれもが避けたくなる恐ろしい刑です。

  その遺体は、議員であるアリマタヤのヨセフが引き取り埋葬されますが、日が暮れると安息日となるため、急いで埋葬されました。その洞窟は、石でふさがれ、番兵をつけられました。

  イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、まずマグダラのマリアに御自身を現された。このマリアは、以前イエスに7つの悪霊を追い出していただいた婦人である。  マリアは、イエスと一緒にいた人々が泣き悲しんでいるところへ行って、このことを知らせた。  しかし彼らは、イエスが生きておられること、そしてマリアがそのイエスを見たことを聞いても、信じなかった。

マルコによる福音書 16章9-11節

  主イエスは日曜の朝早くに復活されると、マグダラのマリアにお会いになりました。しかし、マリアの言葉を人々は信じませんでした。

  その後、彼らのうちの2人が田舎の方へ歩いて行く途中、イエスが別の姿で御自身を現された。  この2人も行って残りの人たちに知らせたが、彼らは2人の言うことも信じなかった。

マルコによる福音書 16章12-13節

  弟子たちは、すべてを諦めて田舎に帰ろうとしたのでしょう。しかし、その前にも主は姿を現されました。そして、その弟子たちも、主の復活を告げ知らせましたが、だれも信じようとはしませんでした。

  私たちは、「聖書は昔のもので、非科学的なことを昔の人たちは信じていたのだな」と思いがちですが、昔の人であっても、すぐに信じることはできなかったことが記されています。

  今では、「科学的な実証がなければ信じない」と言われることも多くあると思いますが、それは、今も、昔も同じなのです。

  この信じなかった弟子たちは、その後、伝道者となり、教会を建てていきます。この記者も、読者も、その弟子たちが素晴らしい伝道をしたことを知っているのです。

  そして、そのすばらしい伝道をした人々が、もともとは主の復活を信じなかった者たちであることも知っているのです。

  私たちには、主イエスの復活を信じることが難しくても、今、私たちは教会に集められています。そういった生活の中で、あなたも神を感じることがあるのではないでしょうか。

  「だれかの役に立ちたい」、「よい人になりたい」、「困っている人の助けとなりたい」という思いが働いて、生活していたりしませんか。

  それは主が共にいてくださるからです。

  主は、今も生きて働いておられます。それを信じることができなくても、信じたいと思うなら、あなたは信仰者です。

  お祈りをしましょう。

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