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須賀神社(湖北 菅浦)

 須賀神社と申します神社は日本各地にあり、そのだいたいが素戔嗚命をお祀りしているものと思います。今回は湖北の須賀神社にお参りいたしました。

 この須賀社は淳仁天皇をお祀りしています。
 淳仁天皇がかつて琵琶湖の北端の菅浦に保良宮(ほらのみや)を建てたのがお宮の始まりと伝えます。保良宮は近江のいくつかの地に伝承地があります。淳仁天皇は恵美押勝の乱にあって廃位され、淡路に流されて崩御したといいますが、菅浦ではここに隠棲して亡くなられたと伝えています。須賀神社の背後の山中にその陵があると申します。

参道と山

 歴史の真実はわかりませんが、菅浦の人々がこのお宮を大切にしてきたのは事実です。境内のある領域からは土足の立ち入りは許されず、はだしでの参拝を続けてきました。いまはスリッパが貸し出されますのではだしでなくとも大丈夫なようです。


この石段から上は土足で立ち入ることは許されない

 菅浦は狭隘な土地であり、山が三方に迫って南は琵琶湖です。琵琶湖岸はわずかに陸路が通じていたようですが村民は東西の出入り口に門を構え、部外者の進入を監視していました。
 

西の門 
「四足門」と呼ばれその名の通り四本の柱で支えられる

 須賀社は村人に大切に守られ、静かな時間が流れています。湖北の水は清く、山と家並みは黙して語りません。お宮はなお優しく里と湖を見下ろしています。境内は大きくありませんが、不思議な空間です。

参道から琵琶湖を見下ろす

 菅浦は奥琵琶湖の中でもさらに奥深いところです。
 人目をひくような華美なものや享楽があるわけではありません。
 しかし近江の静かな味わいがここにはあります。土地の古い歴史は私たちを惹きつけてやみません。

菅浦の東を包む葛籠尾崎 
その岬の湖底からは多くの縄文土器や弥生土器が出土している

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