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「趣味」と呼ばないで

私は子供の頃から家の中で何かごそごそ一人でやっているのが好きな人間でした。
月並みなごっこ遊びはもちろん、2歳のときに生まれた弟の世話をする母や炊事をする母を真似してみたり、テレビに出る歌手やタレントの真似をしたり、与えられた人形と遊んだりお喋りしたり、同じく買い与えられた玩具のピアノをとことんいじったり・・。

現在の自分を考えると、大方その幼少の頃の延長であると言って差支えないかと思います。それをベースに学校やお仕事など諸々の外での活動が加わって行ったという感じ。それら<やる事>の間間に<ボーっとする>が重要なつなぎとして存在し、私のライフが成り立って来ています。

多岐にわたる<ごそごそ一人でやる事>の中に、詩を書く、ピアノを弾くというコンテンツが含まれます。

保育園に入ったとき、お遊戯室の片隅にあったアップライトのピアノ。これを目撃したときの衝撃を今もはっきり覚えています。「これが本物だ」と幼いながらも分かったのです。背面が壁に付けられることなく、壁から離れた所にぽつんと置かれていて、360°、ぐるりと見ることができるようになっていました。背中はこうなっているんだ。大きくてごっつい。そして重たい蓋を開けるとぷ~んと漂うあの木材の匂い。

物心ついた頃にはピアノを習いに行っていました。後に母から聞いたところによると、私がピアノから離れない、と先生から言われたのだそう。

私にとってピアノは一つのツールでした。ある程度、88本の鍵盤を自由に使えるようになりたい、その一心で向き合っていました。上手くなりたい、ピアニストになりたい、ではなく、自由に遊べるまでになりたい、と切望していたのです。自分だけの世界へ入るドアのノブ、というイメージでした。

なので、ベートーベン、モーツァルト、ショパン、バッハ、シューベルト、etc・・・偉大な芸術家たちが残したピアノソナタを比較的早い時期に弾くようになりました。一方で、ソナタを弾くレベルになればある程度、鍵盤を自由に使えるようにもなっています。この辺りからレッスンがおざなりになり、家で弾くピアノは良くいえばオリジナル、別室で聞こえている母からすれば「何を弾いているの???」という楽曲になっていきました。私と共に内で育っていた<自我>が露出し始めたということです。

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高校から後になると履歴書のような「自分が何者か」をアピールする書類や自己紹介的なことをする機会にちょくちょく遭遇します。私はここで小さな躓きを経験します。備考欄や特技、趣味を記す欄に何と書けばいいのか分からなかったのです。多分、1、2回は「ピアノをやります」ということを言ったか書いたかはあるでしょう。とにかく<趣味>とか<特技>というワードに異常に抵抗を覚えたのです。また、「ピアノをお弾きになる?いいご趣味ですね。」「詩を書くんですか。素敵ですね。」といったリターン。悪気がないのは重々承知で、でも心の中で「趣味じゃねーよ」「命掛けてるんだよ」と吠える自分を抑えられませんでした。(←スミマセン、お言葉遣いがお悪くて・・)

<趣味>という言葉。決して悪い言葉ではないですよね。でも、世の中に通っているニュアンスだと随分軽い意味合いも含まれている、というイメージが拭えないのだと思います。語彙に乏しい若かりし頃は「命掛けてるのに趣味なんて言うな」と思ったものですが、要はそれなりの集中力と本気を費やし、当然時間や時にはお金も費やし、自分のライフに欠かせないもの、自分という人間に欠かせないもの、という位置づけのものを「ま、無くても困るものじゃなし」的な「趣味」と言われることに強烈な抵抗感を抱いたのだと、現在は冷静に考えられます。

料理もやるし、パンも焼くし、洋服づくりもやる、本も読むし、ブラブラとあてもなく散歩もするし、ワンちゃんとデレデレするのも大好き、ボーっともする。それらを「特技」とか「趣味」という言葉で言い現わすのは今でもちょっと違うかな、と感じます。全てが私のライフです。だから、大人になってからは<無趣味>ということにしています。

決して悪い言葉ではないのに、こんな風に私の中にスッと受け入れられない「趣味」って言葉はいったい何なんだろう・・・?

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同様に苦手なのが「休みの日って何してる?」と問い掛けられること。何と答えたらいいのか、窮します。やはり内心「つまらない質問をするんじゃねーよ」という自分が・・(←スミマセン、再びお言葉遣いが悪くて)
「生きてるよ」という返事しか出てこない・・・。

私の大好きだった父は65歳のとき、ある日突然パタッと倒れてそのまま亡くなってしまいました。その父でさえ「休みは何してる?」なんて言ったことはなかった。「今度の休みは空いてるかい?」「空いてるなら海行かないか?」という会話に。私が年頃のときに色々と没頭しているのを見ては「いつも忙しそうでいいことだな」と母に言っていたそうです。
やはり「休みの日って何してる?」も別に悪いセリフではないのですが、どうしても私にはつまらない、ナンセンスな会話に感じられてなりません。

朝、寝起きに庭をブラブラする1才か2才の私

ええ、お父さん。私は今でも何かしらやっていて、ボーっとしているときには頭の中でああでもないこうでもないと色々考えていて、そんな風に〈私〉を生きていて、そして時々お父さんに会いたいって思っています。

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