当時の1等駅「門司」

明治~大正~昭和と見続けてきた現在の「門司港駅」(旧門司駅)
明治22年、あの渋沢栄一が出資して整備された門司港。特別輸出港となりその発展ぶりは今に残る数々の建物が物語っています。その代表が大正3年に建てられ今に残る門司港駅です。当時九州に長崎、若松とここ門司と3つあった1等駅にもかかわらず木造で作られた理由があります(なぜか?)。当時は1等、2等、3等と列車に区別され、正面から見て左側(みどりの窓口と観光案内所がある部屋)が1,2等待合室があった場所で電信室、洗面所、切符売り場も設置されていました。壁の色は黒、使用木材は米松だったのです。
反対側のスタバがあるところが3等待合室で使用木材は杉です。
 一部官営製鐵所の鋼材が使われたハイブリット構造です。ヨーロッパに多く見られる頭端式駅舎、今の駅員さんの制服は新橋横浜間で鉄道が開設された当時に模したもので門司港駅だけの制服となっています。
 乗り場を見ると3番線がありません。(なぜか?)
改札口を出て左側には下関間を往復する連絡船乗り場があったのです。人々が行き交う監視穴も残っています。バス乗り場方面には当時の「帰り水」、「低い洗面所」、トイレ前には「幸運の手水鉢」、当時の「水洗便所」など。資料室には2階の貴賓室のカーテン、食堂の資料、宮内庁の駅の設計図などを見ることができます。
2階貴賓室に使われている木材は槻です。
 表から見ると左右対称で、どこの駅舎でも見られるあれ?がありません。
屋根は石のスレートが使われています。時計はのちに取り付けられたもので、今のシチズン製です。
駅舎のガイドだけで約30分は必要となります。
詳しくは観光案内ボランティアが、ネットでは分からない解説や、関門海峡、下関の風景、お土産などのご紹介するまち歩きをお楽しみください。ご自分で周られてもいいかとも思いますが、この門司港レトロの魅力がわからないと思いますので、せっかくの旅の思い出作りに是非一緒に歩いてみませんか?

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