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『森は生きている(12月物語)』という戯曲 自分の季節観を形作ったもの【KOZUKA 513 shop paper vol30 2021/11】

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子供のころに演劇の舞台を見 本でも読んでとても思い出に残っている物語
『森は生きている(12月物語)』(サムイル・マルシャーク)
わがままな王女のお触れ 欲にかられた継母
真冬の森に季節外れの花を摘みに行かされた少女が12の月の精と出会って幸せになる というような話
その中で 子供心に印象的だったのが 12の月の精の描かれ方
3~5月の精は少年の姿で描かれ
6~8月は青年 9~11月は壮年 そして12~2月は老人の姿だ
2月生まれの自分は少し悔しいような思いも抱きながら
そんな風に月をイメージするとらえ方があるのかとなんとなく納得していた
 
「青春」という言葉には続きがあって 朱夏 白秋 玄冬 というらしい
春は青で 夏は赤 秋は白 冬は黒 これは中国の陰陽五行説に由来する
青春は15~30歳 朱夏は30~50歳 白秋は50代後半から60歳 玄冬は60歳後半以降
青春って思っていたより長いな とおかしな感想を抱きつつも
マルシャークの季節のイメージとなんとなく重なる部分があって面白い
 
11月 白秋も終わりに向かい 月の精で言えば壮年期が終わる
やがて来る暗く冷たい冬を恐れるような 身も心も縮こまり老人に近づいて行くようなそんな季節
しかしふと気づく 月は巡ってまた若人の月になり 黒い冬は青い春へと生まれ変わる
それは「再生」という言葉を思い起させ 何かしら心の中に希望が灯るような気になる
田や野山はいったん死んだような眠りにつくけれど 多くの植物たちは玄冬の中 土の中であるいは土に這いつくばるようにして寒さをしのぎ 春に芽吹くのだ
冬を憂う季節は 同時にその先の春を待つ季節でもあるのだな
と感慨に浸る晩秋
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『森は生きている』という劇を観たのは、たぶん小学生の中学年ぐらいのことだったのだと思う。地方都市の小さな市民劇場で。それが自分が初めて観た舞台劇だった。
父親が市の職員で、何かしらそういった催しに関係していたのからなのだと思うけれど、その舞台を客席からではなく、照明や音響や幕などをコントロールする部屋から観ていたことを思い出す。
もちろん、当時はそんな舞台装置のコントロールに興味がある訳もなく、食い入るように遠く小さな舞台を見つめていた。
その体験はもしかしたら、そのあとミュージカルを観ることが趣味になった原体験だったのかもしれない。



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