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EMiLY CAVENDiSH|エミリー・カヴェンディッシュ、自己紹介。

EMiLY CAVENDiSH|エミリー・カヴェンディッシュという名前。

わたしは日本生まれ(人生の大半は日本育ち)の、英国・バーミンガム郊外のちいさな村で3年を過ごした帰国子女です。帰国後、30歳でふたたび渡英、こんどはイングランド南部ドーセットのボンマスという街に留学しました。

さいしょの滞在が思春期ということもあり、わたし自身の芯をかたちづくるうえで英国がおおきな影響をあたえたのは想像に難くないでしょう。たのしかったことも、苦しかったことも、くやしかったことも、逃げだした後悔もふくめて、特別な場所です。

だから、なんとなく、英国人らしい名前がほしかった。
飛躍しているかもしれませんが、ただ名前がほしかった。なので、“びっくりするくらい英国人な名前”を心理テストから自動作成してくれる無料サイトでつくったのが、この「EMiLY CAVENDiSH|エミリー・カヴェンディッシュ」なのです。

↓ 英国大好きなかたはぜひ自己責任でどうぞ ↓

もうひとつの名前がほしかったワケ。

そんなバックグラウンドもありながら、大人になり、わたしは現代芸術家(ふだんは美術家と言っています)として生きています。芸術家名は、本名をひらがなで表記したもの。そうした理由は、漢字で書くとえらく堅苦しく、そして厳つい、なのにおとなしい優等生的な人物像をあらわしているような気がしてならなかったからです。

ひらがなの芸術家名を名乗りはじめてから、18年ほど経ちました。名前が(表記だけでも)変わると、人生が変わる。「わたしは芸術家なんだ」という意識と、芸術家である自己責任と、ひらがなのわたししか知らないひとと創る世界を映します。親にいただいた名前は、それはそれですごく素敵で気に入っているのだけれど、じぶんの意志で創りはじめた世界はもっと自由で、もっと力づよく、可能性に満ちていた。

そして、二度目の英国から帰国して、芸術家としての人生にさらにアクセルを踏み込みました。でも、走りつづけたのも束の間、うつ病をわずらうことになります。3年ほどうつ病にむきあうなか、こんどは家族性(遺伝性)の胃ポリポーシスという病気が発覚しました。病気が判る直前、約14年愛しつづけた愛犬が虹の橋のたもとへと旅立ち、正直にいえば「なんじゃこれ‥」な人生のターニングポイントにきているなと感じたんです。

芸術家なわたしは、繊細すぎるゆえにとてもたくさんの人格(舞台での役割とでも言いましょうか)を有しています。その人格をぐっ、とまとめ上げる役目をひらがなの、芸術家の、わたしに託していました。でも、走りつづけてしまったエネルギー不足が、うつ病の引き金をひいてしまったようです。本質的には、傷ついてきた繊細な人格たちの傷を、癒されないまま抱えることが、もうできなくなった、というほうが正しい気もする。

漢字の私が抱えきれなくなったもの。ひらがなのわたしが抱えきれなくなったもの。こんどはEMiLYが大人の視点で支え、こんどは癒していければと願い、しばらくはこの名前を使います。それぞれが癒されたとき、わたしはまたしなやかに統合されると信じている。

来歴まとめ。

日本に生まれる。うつくしい漢字の名前をいただく。
9歳ごろまで天才と思われていた平凡で繊細な子。
妹と弟をもつ長子。
7歳で画家を自覚。
両親が可哀想だからと口ごたえをしない優等生として、
抑圧されながら生きた。

13歳で渡英。バーミンガム郊外の村で3年を過ごす。
16歳で帰国。日本での抑圧はつづき、26歳ごろまでの記憶があまり無い。

20歳、ひらがなのなまえで活動開始。
28歳、生きづらさが増すなか、逃げるように再渡英を決める。
30歳、イングランド南部ドーセットのボンマスという街に留学。

31歳、現代芸術家としての意識を高くもち再始動。
(34歳、デザイナーの仕事中にぽきっと折れる。適応障害と診断。)
35歳、おおきな仕事や賞をいただくなか、うつ病発症。
なんとか活動履歴は残しつつも制作はスランプ状態。
投薬をうけながら、認知行動療法→スキーマ療法で治療をはじめる。

38歳になる2日前に愛犬が旅立つ。
38歳になった3日後に胃のポリポーシスが確定する。

(現在、38歳と3ヵ月と6日)


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