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見えなかった社会の影 3

数年前、小中学時代の同窓会へ参加しました。一部の家族は止めました。しかし、どうしても確認したいことがあったのです。

参加後 一人の友人に今後 同窓会へは参加しないこと・・・参加するとしても、他界が始まる70歳近くになると伝えました。もちろん、理由もです。確認したかった事は、「いじめ」が私の被害妄想であるかもしれないと思ったからです。自殺を考えていたことを伝えると友人は、

憶えている。酷かったもんね。無理しないでね。参加する時は声をかけて。近くにいるから。

「いじめ」に、裕福な家庭の有無は関係ありません。豊かな環境だからこそ子供にストレスがかかっていることもある。私がハッキリと言えるのには、理由があります。大人から対岸にいる「友達」の家庭環境を知らされていたからです。いじめられる子の対岸にいる子供は、何らかのストレスが、いじめに発展するのです。

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いじめで辛かったのは、長期にわたり ぼほ毎日だったこと。一度短期間でしたが兄弟にまで いじめがあったこと。同級生の兄弟が同じクラスだったのです。泣いて帰ってきたときは、子供ながらに堪えました。

※ いじめを「第一期」「第二期」に分けます。その理由は、全く発端が違うからです。

・ 第一期: いじめの切っ掛けになった事です。小学三年生時のクラス内は、4人1グループで、確か担任が出した問題に答えた数が多いグループから担当の係が選べるのだったと思います。私は、手を挙げ発表が苦手でしたから同じグループ二人が困り(怒り)嫌がらせが発端でした。これが拡大し学年全体に広がったのです。この第一期、思いもよらぬことが起きたのが、中学二年時。ユニセフの募金活動に繁華街で組織で立っていたのです。三人の男の子中一人が近寄ってきます。1000円札を入れてくれました。少々男性恐怖症だった当時の私は、顔を見ません。そこで一言・・・

〇〇さんだよね。〇〇だけど憶えてる?いじめてごめんね。今も いじめられてるって!?(涙目)僕は、本当は〇〇さんが好きだったの。こんなに長くなるなんて思わなかった。本当に、ごめんなさい。

彼は転校しており、いつの間にか学校からいなかったのです。久しぶりでショック状態でした。

去っていく彼は振り返りつつ、時折 立ち止まり 深々と頭を下げてました。姿が見えなくなるまで。

彼の家庭も学校での立場も 厳しいものだったんです。そんな彼が、づっと心に傷として残していることに、私は恨みどころか悲しくなりました。その時、忘れてしまうことを心に決めていました。謝ってくれたことに安堵感があったのです。