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ファンの在り方

昨晩寝ようとしたら衝撃的なニュースが飛び込んできた。

ピエール瀧、逮捕。

電気グルーヴとしての瀧よりも、俳優としての瀧を知る人のほうが多いのではないかと思う昨今、昔から電気好きの友人もいたので、複雑だった。どうにも内容がまずい。いや、捕まるようなことをしたこと自体まずいのだけど、よりによって国内の出回りが少ない薬って…

複雑な気持ちでツイッターを眺めていたのだが、電気ファンは「瀧が卓球よりも先に捕まるなんて夢にも思わなかった」とか「卓球じゃなくて瀧⁉」とか…少なからずショックもあるだろうに、電気グルーヴらしいというか、もうほんとこの人たちわかってるな…と、ちょっと笑ってしまった。もちろん笑い事ではないのだけれど。

ファンは所詮ファンなのであって、他人。だから介入はできない。
ただ応援する、見守るしか術がない。
信じていたのに裏切られた、といって罵倒する気持ちがあればそれはそれは自分の視点でのことで、相手にしてみれば裏切ったつもりなどないかもしれない。
当の本人はそこにまで考えが及ばない、仕方ない。仕方ないのだ。盲目なのだから。
ところが一周回ってなのか、電気ファンは「卓球も逮捕して獄中ライブやればいいのでは」とか言ってしまうくらい、強い。笑いのネタにしている。でも、笑うことって一番の薬だとも言うから、きっとどこかで痛みは生じているのだと思う。

私は当事者になったことはないのだが、去年某役者さんが淫行的なアレで画面から消えたことによる影響を食らったことがある。1人がやらかしたことで2人の推しの別作品に影響が出て見ることが困難になった。作品ごとお蔵入りすることが危惧された中、1作品の映画は期間限定で1館のみ上映という苦渋の決断をしてくれたおかげで見ることはできたが(連日満員だったよう…)もう1つは陽の目を見ることなく…の流れだったのだが、今年6月いよいよ上映解禁に…!
性犯罪は今回の件とは全く色が違うので並べて語ることは申し訳ない気持ちもあるのだが、共演者が起こしたことによって推しが見られなくなった、ということを体感したときのやり場のない気持ちはよくわかる。ただその時のファンの在り方を今考えると、罵倒していい?のはその人の本質をよく知る周りの人のみで、ファンはただ経過を見守るしかないのだと。

待つのも自由、去るのも自由。それがファンというもの。

今回の電気のファンの発言は、辛いけど笑って待とうぜ!という真の在り方を見たような気がした。

音楽は死なないのだから。
岡村ちゃんも帰ってきたし、更生して裸で土下座でもしてまた始めようよ。

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