第3回:『ローグライク』 「失敗すると無くなるシステムが嫌」となる心理

 風来のシレンは難しいゲームだ。そう言われる要因はいくつかあるが、単純にクリア率が高くないことに加えて「死んだらイチからやり直し」になるからだろう。これがシレン、正確には不思議のダンジョンあるいはローグライクというジャンルの特徴なのだが、風来人のたまご達の中には、これが嫌いだと宣う人もいるらしい。


1.RPGと思うことの落とし穴


 シレンシリーズは「ダンジョンRPG」と称されることが多い。公式でも「1000回遊べるRPG」と銘打っているし、確かに間違ってはいない。
 しかし普通「RPG」と聞くと、どのようなシステムを思い浮かべるだろうか?概ね「戦闘と勝利を繰り返して経験値などを集め、キャラを強くしてから強敵と戦う」といったものだろう。
 では、シレンにおいて戦闘は要か。そうではない。目的はあくまで踏破することだし、主人公を強化する手段は戦闘以外に多岐にわたる。逆に、漫然とフロアを回って殴り合ってるだけではどこかで手詰まりになってしまう。つまり、他のRPGのつもりで始めると、「すぐやられる・負けるゲーム」という印象がついてしまうわけだ。

2.普通のRPGにもデスペナはある


 ただ、どのRPG(というかゲーム全般)においても負けることはあるし、その際にはペナルティを伴うという作品の方が多いだろう。緩いものではドラクエの所持金半減やFFのタイトルに戻る、厳しいものになるとファイアーエムブレムやウィザードリィのキャラロストなど、ローグライクに引けを取らないような重いデスペナルティを課せられる作品もある。

 しかしこれらの作品で「負けるとロストするからイヤ」という声はあまり聞かない。この差はどこにあるのか。ひとつには「救済措置の手広さ」が考えられる。近年は難易度設定などでペナルティを緩くできる作品が多く、タイトルに戻るかリトライするか選択できる(戻ったあとの道中をカットした体である)ものもある。慣れているプレイヤーならリセット前提で進めたりするし、ひどい時は所持金を使い果たして対策した上に「デスルーラ」といって移動手段にしてしまう。
 シレンでも風来救助やタグ・怪しくない店などの救済要素はあるが、それらがカジュアル化に貢献しているかと言われると怪しいところである。難易度は下がっているものの、一度は失うという心理的負担は拭えないからだ。ここに原因があるのだと思う。要するに、そこまでプレイしてきた成果が全て無駄になるかもしれないという感覚がイヤなのだ。
 上に挙げた作品群は、負けても途中からやり直せるので、失うのは少しの時間だけだ。その時間的損失も、難易度変更により大幅に少なくできる。しかし、ローグライクではこうはいかない。

3.「ランダム性」という根本的要因


 ローグライクでブチ上がる瞬間といえば、真っ先に思い浮かぶのが「良いアイテムを手に入れた時」だろう。そのアイテムが毎回拾えるかはわからないからだ。そうすると、次に連想するのは「このアイテムを駆使して(早く・楽に)クリアしたい」となる。同時に「このチャンスを逃したくない」という欲も出てくる。そして、そこで失敗すると、高揚感が大きかった分、落胆も大きなものになる。
 こうなると、慣れていないプレイヤーは「またあの状況になるまでやり直すのが面倒くさい」という心理に陥るのだと思う。何故なら、ローグライクを『RPG』と認識しているからだ。稼ぎ直すのは苦行だし、周回プレイなど一部のファンの遊び方だ、と。
 一方、ゲームに聡いプレイヤーなら、ローグライクは麻雀やカードゲームに近いものだと理解しているだろう。何度もプレイする前提だし、運やランダム要素で負けることもありうる。それが本質だ。
 この認識の齟齬こそが、「死んだらやり直しは嫌いだ」になってしまう原因なのだろう。

結びに


 風来のシレンは難しいゲームだ。いや、厳しさを教えてくれるゲームだ、と表現した方が適切かもしれない。それはまるで社会の理不尽のようなもので、その厳しさを学ばせる為に「義務教育にシレンを採用するべき」という戯れ言を耳にすることがあるくらいだ。
 ローグライクのジャンル認識によって好き嫌いが変わるのと同じように、人生への認識の違いが、そのまま生きることへの好き嫌いに繋がるのかもしれない。

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