舞台版ぼっち・ざ・ろっくを見た後、気が付くと下北沢にいた
孤独。それは人が永遠に抱える課題の一つ。
誰かと一緒にいたい。誰かと同じ話をしたい。誰かに理解されたい。
そういった気持ちは大なり小なり誰にでも起きうるもので、僕を含む誰にとっても身近な話であろう。
だからこそ、孤独を抱えた少女の物語『ぼっち・ざ・ろっく』は令和最新の大ヒット作品となりえたのかもしれない。
……みたいなダルい導入を考えていたのだが、そんなことはこんなタイトルの記事を開いている全人類が理解していることであり、いいから早く本題に入れよとみんな思っていることだろう。
がしかし、それでもあえて書く必要があったのは今回僕が話すのが原作である漫画でも、大ヒットの火付け役となったアニメでもないからだ。
そう、今回のぼっち・ざ・ろっくは漫画でもアニメでもなくLIVE STAGE……舞台である。
そして結論から言おう。この舞台、ハチャメチャに面白すぎた。
僕は初日配信で1回、16日の回で1回観劇し、後者の方はその感動のままに新宿から下北沢へ直行した。
もう一度言おう。この舞台、面白すぎた。
なんか後藤ひとりすぎる人がいる
突然だが、舞台を鑑賞する際に気にすることとはなんだろうか?
人によってまちまちではあると思うが、僕は特にその作品の世界に入りやすい工夫がなされているかどうかを大事に見ている。
例えば演者が役に入り込んでいるとか、音響がこちらを上手く乗せてくれるだとか、現実にある質感を大事にしてくれているだとか、そういうとこだ。
特にアニメを元とした舞台という場合だと、当然ながらアニメのキャラクターがそのままいるわけではないし、大抵の場合声だって違う。
現実の人間が生身でアニメのキャラクターを演じるというのは、基本的にはおかしいことなのだ。
その問題に対して、舞台版は回答の一つとして「後藤ひとりっておかしいだろ…………」というある種の開き直りとも言える形で見事に舞台で作品の世界を作り上げている。
例えば、この公式動画を適当に開いて見てみると。
なぜか後藤ひとりがいっぱいいる。
そう、この舞台では俗に言うアンサンブル(盛り上げ隊みたいな人たち)の方々が全員後藤ひとりなのである。
舞台の最初に後藤ひとり(本物)曰く、舞台版イマジナリーフレンドなのだと説明される。なるほど、イマジナリーフレンドなら仕方ないか。
しかし、舞台が進んでいくにつれて目を惹くのはイマジナリーフレンドの方よりもこの後藤ひとり(本物)の方なのではないか……?とも思うようになっていく。
まずこの後藤ひとり(本物)、舞台の上で本当にギターを思いっきり弾いている。
そう、今回の舞台は結束バンド演じる全員(あと廣井きくり役の人)が舞台の上でそのまま楽器を生演奏するという本格派バンド舞台。
タイトルのLIVE STAGEという言葉に嘘偽りなく、ライブを含めての舞台作品なのである。
その中でも後藤ひとり(本物)は演奏時間が飛びぬけて長く、弾きながら喋ったり歌ったりと原作やアニメ同様(舞台にしかない演奏もあるのでそれ以上)にせわしない。
だというのにも関わらず、演技の方も常に真に迫ったものがあり舞台の上でも視線は合わせないわ演奏しながら下向いてるわでこの人一体何……?と思わせる気迫があった。
今回後藤ひとりを演じるのは守乃まもさん。一体何者なんだと思って検索しても、今回の舞台以外の情報が何一つ出てこない。
本人のTwitterでも見てみるか………………
絶っっっっっっっっっ対陰キャだ………………………………
このTwitterの使い方は陰キャかクイズ正解は一年後の二択だが、後者はアニプレックスが許さなそうなので消去法で陰キャだと思う。
舞台版のパンフレットを読んでも過去に関する話がほぼなく(社会不適合者であることは匂わされている)、要するに今回の舞台が初出演で偶然陰キャでギターが上手く顔も可愛い後藤ひとり向きの人材がいたということらしい。
この人一体何……?
生まれて初めての下北沢
8月16日の公演を終え、僕ら一行(オタク3人)は「下北沢でも行く?」の一声で舞台の余韻に浸りながら新宿駅に直行していた。
僕はこの日まで知らなかったのだが、舞台版ぼっち・ざ・ろっくを公演している新宿から下北沢まで電車で10分で行けるのだという。みんな知ってた?
下北沢の位置を雑に「神奈川のどっかでしょ?」と認識していた僕の浮かれ具合は有頂天に達し、そんなに近いならと即座に電車へGO。
ウッヒョ〜〜〜!!!
よっしゃ〜〜〜!!!
ぼざろまみれのヴィレヴァン〜〜〜!!!
街を適当に歩いているだけでもなんとなく見覚えのある風景が見えたりして、それなりに気分がいい。
ぼざろ劇中のライブハウスSTARRYのモデルになった下北沢SHELTERも勿論あったが、聖地巡礼に関する注意書きもあり写真は撮ってこなかった。
次行く際はライブハウスの中も含めて訪ねたいところだ。
ちなみに僕は実際に到着するまで「下北沢ってオシャレを気取ったいけ好かない街なんだろ……!」と偏見丸出しだった。聖地巡礼しに来ておいて最悪の態度である。
まぁ実際いけ好かないオシャレな部分もいっぱいあったわけだが…………
でもだんだんどこへ行ってもエモーショナルな写真を撮りまくれることに気付いてくると散歩が楽しくて仕方ない。
もうちょっと涼しくなったら気合いを入れて散歩しに来たい街第一位、下北沢。
ぼざろと全然関係ない写真を撮りまくり、ぼざろと全然関係ないピザ屋で夕飯を済ませた後はちょうど陽が沈んだ後に行きたかった場所へ。
でもあたし、確信したんだ。
ぼっちちゃんがいたら夢を叶えられるって!
だからこれからも沢山見せてね。
ぼっちちゃんのロック…… ぼっち・ざ・ろっくを!
あの日あの時の結束バンドに拍手を
アニメ第8話の聖地再現をやりきったところで舞台の話を、もう少しだけ。
実は舞台版も、物語は例のシーンまでの内容を約2時間半に詰め込んでお送りされている。
先述の通りキャストによる生演奏ライブも舞台の一つなのだが、ご想像の通り一番の盛り上がりどころはなんと言っても第8話の『ギターと孤独と蒼い惑星』、『あのバンド』のシーンだ。
第8話の客もまばらだったあの日、あの時の結束バンドが舞台で再び描かれる。
結束バンドのかき鳴らす音と共に、舞台は一瞬にしてライブハウスへと変貌していく。
そうだ、僕らは今舞台の客ではない。結束バンドのライブを見せられている観客なのだと、ステージ越しに理解させられる。
これこそが、この舞台、この作品、この体験の真骨頂だと言っていい。
結束バンドによる全力の『あのバンド』が終わると、会場は拍手に包まれる。それは原作にもアニメにもない、けれどもあったかもしれない拍手だ。
キャストは芝居と演奏で、観客は拍手であの空間をまだ見ぬ『ぼっち・ざ・ろっく』の世界へと完全に塗り替えてしまった。
これはステージと客席が同じ場所にある、この舞台でしかできないことだ。
敢えてこういう物言いをするが、先程から貼っている公式の動画はゲネプロ時のものであり、僕が実際に観劇した16日の時点ではもう全く違うクオリティのものへと激変している。
16日の時点で既に技量も顔つきもファンサービス(カーテンコールでは喜多×後藤で手合わせてハート作ってくれてた)もゲネプロや初日とは比べ物にならないほどなら、20日の千秋楽では一体どうなってしまっているのだろう………………
えっ、ライブシーンが見物なのに2曲しかやらないのかって?
さて、本当に2曲しかやらないかどうかは……実際に自分の目で確かめてみてほしいところである。
「実写だから見ない」でもいい
ここまでざっくりと舞台版ぼっち・ざ・ろっくの話をしてきたわけだが、一番話しづらい部分の話も少しだけしておこうと思う。
「でも二次元は二次元が一番じゃん?」「実写はちょっと…………」
そういう風に思って舞台を敬遠している人もいるだろう。
僕も、舞台作品を見るようになる前はそう思っていた。二次元を三次元に無理矢理起こしても変になるだけじゃん、と。
いや実際、変になるだけで終わってしまう作品もあるだろう。
その上で、今回の舞台版ぼっち・ざ・ろっくはそのヘンテコさも含めて作品の個性が存分に際立っていると感じたのも事実だ。
だって後藤ひとりって、いつでもどこでもヘンテコな存在だし。
だから行ってみた。それだけなのだ。
……とまぁこんな風に語ってみても、実際のところ僕が行く決心をした理由の一つは「実写版『がっこうぐらし!』が面白かったしきらら系実写作品はちゃんとやれる!ぼざろも実写映画化しろ!」と思っていたから、みたいな要素もあるし、見たくないと思っている人に強要するようなことはできない。
自分の好きな作品がとても酷い実写化を迎えて大きなダメージを受けたとか、そういう経験がある不特定多数の人へ向けて「それはまともな作品に触れていないからだ!」みたいなことを言いたくはないし、どう足掻いても僕には何もできないだろう。
それはおそらく本当の意味で個々人の抱える孤独であり、きっと簡単には解決しないものだとも思う。
舞台と孤独と蒼い惑星
ところで、僕が孤独を感じるのは自分が面白いと思ったものが誰にも伝わらなかった時だ。
「こんなに素敵なお話なのに」「こんなにも挑戦的な内容なのに!」と、自分だけが空回りしていると思うことがある。
だからこそ、いつも自分にできる範囲で自分の知らなかった楽しさ・面白さを見つけたいなと考えて普段はあっちこっちをフラフラと歩き回っていたりする。そうすれば、孤独の先に行けるような気がしているからだ。
そして、それは今回もそうだった。
下北沢が実際想像していたようなオシャレぶった街というよりは、古風な洒落っ気の残るエモーショナルな風景であったことも、僕は足を運ぶまで知ることはなかった。
後藤ひとりがヘンテコだと二次元・三次元問わず面白いということも、結束バンドのライブに拍手を送る楽しさも、きっと行かなければ知ることはできなかっただろう。
自分から未知に触れるのは、存外に楽しいことだと最近は思う。思えるようになってきた。
たとえ自分しか価値がわからないもので誰かと共有できなかったとしても、確実に自分で選んで手にしたものだと言えるからだ。
一方で未知のものから傷付けられてきたり、恐怖を抱えてしまったりといった人もいるだろう。それこそ、後藤ひとりのように。
舞台を作っている人たちはみんな、それをわかって作っている。だって、『ぼっち・ざ・ろっく』がまさしくそういう物語の作品だから。
その上で、舞台を見に来てくれた観客一人一人にどうやってその未知と恐怖の先を知ってもらうのか。いかにして孤独を切り拓いていくのか。
そういった部分に熱意で体当たりしていく姿勢は客席からでもひしひしと感じ取れるし、その物語性こそ僕が『ぼっち・ざ・ろっく』に見ているロックの精神でもあると思うのだ。
えっ、舞台版って……凄すぎか……?
そんな『ぼっち・ざ・ろっく』の美味しいところを詰めに詰め込んだ舞台版は8/18現在なおも公演真っ最中であり、場合によっては現地チケットもまだ買えることがあるらしい。
加えて言うと、8/20の千秋楽公演(12時、17時)は初日同様に映像での配信もあるので現地に行けなかったとしても観劇が可能である。
(8/20追記↓)
千穐楽公演はアンコール演奏まで付いてきて、配信で見てるのにひっくり返って過呼吸になるかと思った………………
ちなみにLIVE STAGE「ぼっち・ざ・ろっく!」のBlu-ray&DVDは2024年2月発売らしい。陰キャども、発売されたら絶対に観ような。
じゃあ、最後にこれだけ言いたくなったから言っていいか?
陰キャなら舞台をやれ!!!!!!!!
(これはぼ喜多の匂わせが凄い写真)
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