しんどいときこそ応援しなきゃ、が嫌い

野球観戦はつらい。
自分の推しチームが連敗しているときに、「ここで応援するのをやめたらファンじゃない」とか「苦しい時こそ頑張ってる選手を応援しなきゃ」みたいな表現を目にするけど、私はそれが気に喰わない。
連敗中の地獄モードに入っているチームを見るのはそもそもつらい。
応援すれば上向くとも思わない。つらいものはつらい。ダメなものはダメ。

いや、まあ。私はそれほどまで野球に熱くなれない。
応援すればヒット打ってくれるんじゃないか、とか思わない。
アカンもんはアカン。
これは情熱を失っているとも言える。
野球観戦によって得られるプラスのエネルギーが、球場で声をからして応援している人と比べて、一段と低いという事だろう。
私は彼らが時に羨ましい

阪神タイガースの優勝の瞬間はテレビで見た。
テレビで見たけども優勝インタビューもちょっと見るくらいには見た。優勝特番も何本か録画した。
日本シリーズ制覇はテレビで見たが、その七試合全てで優勝記念Tシャツを洗わずに着て応援した。一応それくらいには阪神ファンである。
(今も洗ってない、洗え、いやー色落ちとかね、手洗いか。)

ただ気付いた事は野球観戦の感情の動きが「現状維持」であることだ。
それは「勝って嬉しい」ではなく「負けなくてホッとした」である。
4タコで終わらずホッとした、リリーフに失敗しなくて安心したである。

例えば、佐藤輝明の確信弾は喜びの感情が大きいが、ホームラン1(減らない数字)が増えた事に過ぎない。「よかった、本当に良かった」というのは安堵の感情である。
例えば、前川右京のレフト前は安堵の感情が大きい。一日の延命である。
「明日もこれでスタメンかもしれない」「評価が落ちなくてよかった」「また使ってもらえるかもしれない」この感情は必ずしもプラスではなかろう。
例えば、小幡竜平の三振は苦しい。「終わりかもしれない」「また木浪が使われてしまう」「小幡がまた年を重ねてしまう」これはもう最悪である。

最寄りの駅広告には、「校歌は歌えないけど、六甲おろしは歌える」と書いてある地域に住み、卒業式の練習で蛍の光を歌えばその後自然発生的に「はんしんたいがーす~」と歌ってしまう高校を出て、ゴリゴリの阪神ファンとして生きてきた。
しかしここまで来たら、阪神の試合に新鮮さを感じる事も減ったのかもしれない。「そこにあるもの」である。
呼吸のように、白米のように、当然そこにあるもの。
白米の大切さは普段ずっと食べていたらわからないだろう。阪神タイガースとは私にとってそういうものである。

チームがしんどい時は私もしんどい。応援なんてしてられない。自分を奮い立たせて選手を応援する事なんて出来ない。
きついから。これ以上傷つきたくない。
頑張っている選手つったって、打たないじゃん。

私は阪神だけでなく、12球団の選手をそれなりに覚えているし、二軍戦もちょろっと追っている。テレビをザッピングしながら野球を見ている。阪神だけを見ているわけではない。ただ、やはり負けがつらいのは阪神だけか。

結果として傷つきにくい野球観戦を覚えた。数字を追う事にしたし、データを好きになった。「仕方がない」とよく呟くようになったし「負けてもいい試合」と表現することも増えた。

そう。応援したって仕方が無いのである。良いボールが来たら打てないし、ど真ん中に投げたら打たれても仕方がない。どれだけ念を送ろうとも、ど真ん中にスライダーが入って強振されたら「それ」はもう止められないのである。
熱心に応援しなくなったから、阪神の応援歌はもう大山しか歌詞が分からない。覚える気がないから。

配球を考えながら野球を見て、結果は二の次にした。
最善を尽くしたらもう後はしょうがない、という考え方はデータ野球と親和性があったし、私にはあっていたようだ。

投手がピンチを作っても耐える事を覚えた。失点しても表情を崩さないようになった。シーズンは長い。一試合で一喜一憂していてはしんどい。
幸い阪神の投手陣は伝統的にレベルが高い。「絶対に抑えてくれる」と思ってノーアウト一二塁を見ている。


ただ、私も野球で感情が大きく動いたことは勿論ある。
WBC2023は台湾ラウンドから見られるだけ試合を見て、アマゾンプライムに加入してまでアメリカーキューバ戦を見た。ギガを大量に消費しながら移動中も見た。
だから吉田のスリーランや村上のサヨナラは声も出したし飛び跳ねもした。

2023年の日本シリーズはずっとナイーブだった。負けたくない、傷つきたくない、ホッとしたい、楽にしてくれ。
負けたくなかった。彼らは負けなかったので本当に良かった。

普段、すぐ「泣きそう」だとかなんとかコメントが出るのは大嫌いだが、甲子園最後の試合、フライを捕った近本がライトスタンドを指差してくれたのには「フフッ」ってなった。

レギュラーシーズンとポストシーズンは別物である。絶対に負けられない。一試合も落とせない。その緊張感はやはり格別だった。珍しく「今日勝ちたいな」と私も言った気がする。

これを書いている今日もまた試合がある。先発は村上である。
「去年程うまくはいかないわ、成績は落とすやろ」「今日に関しては相手床田だしな」「打線も冷え切ってるし」「またノイジーなんやろか」「下位打線誰も打たん」「近本のヒット見れたらそれでええか」「輝にも一本出たらええな」「また中野バントなんやろか」「ゲラが見たい」「岡留はまだやれる」「相手打線調子悪いし」「また今日も堂林出ないやろかね」「まあ今日も勝てたらええね」

予告先発が出て、公示が出て、スタメンが発表される。
まあ六時から見んでも途中からでええか、そんな簡単に失点せんし、得点もせんやろ

今日もテレビの前で三時間半、呼吸をするかのように自然に。

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