芝生

それぞれの芝生

先日、職場の人とこんな話をした。

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その人には20代半ばの姪っ子さんがいて、その姪に男性の恋人ができたのだそうだ。彼女は普段両親とともに実家で暮らしているので、少し前に恋人を実家に連れて帰り両親と顔を合わせる機会があったとのこと。

その時に姪っ子さんの恋人が彼女の家まで乗ってきた車は、走るときに爆音がするようなスポーツカーだった。

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という話を聞いた職場の5,6人の反応としては、「そんな男はやめた方がいいんじゃないか」「スポーツカーで相手の両親に挨拶に行くなんて非常識だ」という意見でほぼ満場一致だった。

私もその場では、確かになあ、と思っていた。でも、その話をしたちょっと後に、話の輪の中にいた一人から「でもまあ、二人がそれでいいのなら周りがとやかく言えることじゃないと私は思うのよ」と言われて、うんうん、そうだよなあ、とも思った。私は本当に他人の意見に流されやすい。

この話で思ったのは、交際や結婚の相手に求めるものなんて人それぞれだよなあ、ということだ。絶対的に「良い」恋愛の形なんて、絶対的に存在しない。

上の姪っ子さんの話に関しても、他人事として聞いていた私たちは、「相手の家にスポーツカーで行く男はろくな相手じゃない」なんて平気で言ってしまう。でも、姪っ子さんと恋人の間の関係性や、恋人の人柄なんて、私たちは全く知らない。ただ、他人から聞いたたった一つのエピソードを判断材料に、彼らについてのジャッジを下してしまう。まあ、ここで私たちが話すことが当事者には伝わらないという前提があるから言える、というのもあるとは思うが。何にせよ、どういう恋愛の形を幸せとするかなんて、その人自身にしか分からないのだ。

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他人の恋愛話を聞いていると、そういう恋愛観もあるのか、と気づかされることがよくある。

恋人と温泉旅行に行って、部屋で恋人が携帯ゲーム機でゲームをするのを後ろから眺めたまま一晩を明かしたという友人がいる。その話を聞いたとき、「えっ、折角の旅行なのにそんな過ごし方でいいの⁉」とびっくりしてしまったのだけれど、友人はその夜が楽しかったらしい。

また別の知人は、誕生日に恋人からもらったプレゼントの値段を調べて、自分が相手にあげたものより安かったら落ち込んでしまうらしい。私はそこまで恋愛とお金を結び付けて考えていないので、その話を聞いて純粋に「大変だなあ」と思ってしまった。

結局、恋愛観なんて人それぞれなのだ。交際相手に何を求めるかなんて、他人によってバラバラだ。

顔やスタイル重視の人もいれば、趣味や話が合えば良いという人もいる。自分のために使ってくれる金額で相手の愛を推し量る人もいるし、何かフェティシズム的なものがあって、そこに当てはまる人ならば誰でもいいという人もいなくはないだろう。

だから、よそのカップルが幸せかどうかなんて、他人が分かるわけがないんだと思う。冒頭の姪っ子さんの恋人だって、爆音の出る車に乗ってるからと言ってその彼女が幸せになれないかといったら、そんなこと誰にもわかるはずがない。爆音の出る車の善悪に関してはここでは置いておくとして、実際何か二人の間に惹かれ合うものがあったから二人は一緒になったわけだ。それを車一つのことで周りが色々口を挟んだところで、余計なお世話以外の何物でもないだろう。

私だって、いま恋人がいてこれ以上ないほどに幸せだけれど、周りから見て幸せそうなのかと言ったら、どうなのかよく分からない。幸せなんて、それを味わっている本人からしか、正確には観測できない。

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だから、自分が幸せになるためには結局、周りの声には振り回されずに自分がやりたいようにやるしかないのだと思う。折角恋人と楽しそうに過ごしているのに、周りのカップルと比べるせいで落ち込んでしまったり、別れてしまったりする話をよく聞く。隣の芝生は青く見えるというけれど、改めて自分の芝生をよく見てみれば、隣にはない綺麗な花が咲いていたり、涼しい木陰を作ってくれる木が生えていたり、そういう発見があるかもしれない。芝の青さだけ比べて、自分の芝生が人のそれより劣っていると決めつけてしまってはもったいない。

こんなことを書いている私自身、ついつい芝生の青さを隣と比べてしまうタイプだったりする。昔はよく、他人の恋人と自分の恋人を比べて、自分はあの子より愛されてないと落ち込んだりしたものだ。でも、歳や経験を重ねたことや、恋人と付き合う年月が長くなるにつれて互いの考え方が変化してきたことで、他人がどう思うかに関係なく私は幸せだと思うことができるようになった。私の芝生には花畑もあるし、小さな魚が泳ぐ池もある。木陰のベンチや、カラフルなベンチもある。外からは見えないのかもしれないけれど、私を笑顔にするたくさんのものが、確かにある。だから、他人の評価なんて必要ないのだ。

私はこれからも、「私の芝生はこんなに素敵なんだよ」って言い続けるし、他の人には「あなたの芝生、素敵だね」って言ってあげたい。同じものなんて一つもないから、すべての人が自分の思う一番の幸せにたどり着けますように。


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