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vol.2 ナンパの技術一点突破で、仕事、お金、女からの承認、豊かな人生に必要な全てを手に入れる!

零時レイ サウザーの白熱教室
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※試聴版。オリジナル版(56:00)は購入後に視聴可能。

第二話(前四話)

人は初対面の人に相対したとき、無意識に「格上か、格下か」を値踏みをする。天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずとは福沢翁の言葉であるが、いくら理性で理解していようとも、この「値踏み」を止めることはできない。太古の昔、石器時代…いやもっと前、我々の祖先が猿だった時代から染み付いている本能だからだ。

美女に相対したとき、並の男は「うわあスゴイ美人だ!」と舞い上がり「は、はじめまして!」と赤面し、焦り、キョドる。この瞬間、美女は直感的に「この男、私より格下」とジャッジし「どうでもいい男フォルダ」に放り込む。こうなると恋愛対象つまりセックスの相手にされることはない。オイオイ身も蓋もないじゃないか、誠実に接すればいつかは…という反論が聞こえてきそうだ。しかし残念ながらこれは、動物としての本能なのだ。こと生殖という極めて動物的な行為において本能が最優先されるのは、何らおかしいことではない。

人が二人、相対したとき、そこには自ずと上下が生まれる。顔や体格といった外見、そして表情・話し方・態度という要素でもって優劣を判断する。ここは勝っているが、ここは及ばない、と感じ取る。総合点と傾斜配点で上下が決まる。綱引きで完全な拮抗が難しいように、完全な対等というのは難しい。完全な対等というのは、例外的に「極めし者」同士でのみなら成り立つであろう。

自然界においては、格上のメスに格下のオスが近づいても、一笑に付され相手にされることはない。ところが、現代の人類には「カネ」という道具がある。本来であれば、素手ではつなぎ止められぬ上位のメスを、カネの力を借りて、つなぎ止めることができる。格上の女からしたら「カネくれるんなら、一緒に居てあげてもいいよ」程度の格下に、自分の身体つまりセックスを支払うことはない。現金というド直球でなくとも、飲食代をオゴる、プレゼントをあげるという行為はカネが形を変えただけだ。「レンタル彼女」は、その最たる例であろう。時給数万円という大きな現金と、遊ぶ経費全モチというカネの力を用いなければ、見ず知らずの男(価値不明なのでゼロとみなす)と数時間を一緒に過ごすことはできない、ということを生々しく如実に示している。

さて初見で互いを感じ取りあい、明らかにな格上・格下でない場合には次のステージに進むことができる。そこでは人間関係のバランスシートが無意識のうちに展開される。バランスシートは、資産と負債の和が必ずゼロになる。人間関係においては、優位の者が劣位の者に価値を与える。価値とは、美貌や知識、話題の楽しさ等だ。劣位の者は返すものが少ないから一般に、カネで支払ったり、食事をご馳走したり、賞賛という精神的報酬を提供したりして、負債を埋めようとする。この対価が格上からの価値を上回っている状態にあるならば、格上はそこに留まる理由ができる。「こんなにもらっちゃってるからな」という気分だ。格下がこの対価を支払っている限りはバランスシートが保たれるのであるが、この「対価」の価値は徐々に逓減していく。時間とともに提供する量・質を上げなければ、価値>対価となったときに格上は去る。美女に貢ぐものが食事からバッグ、アクセサリーになり、やがて現金になり、最後はお別れする。有り体に言うなら「もうコイツといても意味ないわ」と格上が感じるまでだ。

恋愛工学においては、男は筋トレと食事制限で見た目を改善し、各種ルーティンを習得しプロトコルを身につけ、それらを磨くことで自分の能力を引き上げる。そこには高まったセルフイメージと、経験による慣れがあるから、格下の女性に対し優位に立つことができる。女性は格上の男に魅了され、かつご馳走されたりして、負債感を極限まで感じた結果、彼女のできる最大の対価としてセックスを支払う。このように恋愛工学は十分に有用なのであるが、唯一、カバーしていない領域がある。それは

「自分より明らかに格上の女性には通用しない」ことである。

自分より明らかに格上というのは、端的に言えば芸能人だったり、モデルであったり、ものすごい美女だったり、そういうガチで高嶺の花のような女性だ。こういう女性は自分が美しいことを自覚しており、また今までの経験から非常にセルフイメージが高い。恋愛工学の諸テクニックは、こういったガチで強い女性には通用しにくく、効率(ヒットレシオ)も悪い。ゆえにこういった強敵との戦を避け、ヒットレシオを維持しつつ試行回数を最大化させるために格下女性を狙っていく、というのが恋愛工学の基本戦術だ。これは、恋愛工学が「モテ=試行回数×ヒットレシオ」を至上命題とし開発された背景があることに起因する。零時レイさんはセックスそれ自体を重視はしていない。セックスのその先にある「自己啓発」を求めて、女性と関わっていくのである。

先述の通り明らかに格上の女性、アッパークラスの女性というのは美しく、モテるので自分が美貌において上位であると自覚している。並の男と相対すると、その多くがデレデレしたり、お世辞を言ってきたり、食事をご馳走してこようとしたりする。彼女達は、そんなものにはもう飽き飽きしているのである。つまりそういう態度を取ってくる男は間違いなく格下であると本能でジャッジして切り捨てているのだ。女性>男性という力関係においては、女性にとって最大の対価であるセックスを引き出すことはできぬ。ならば男性>女性となれば自ずとセックスは引き出せるのであるが、これをどうやってアッパークラスの女性に感じさせるのか、が本作のメインテーマである。当然、カネは効かない。いいところメッシーだ。小手先のテクニックも決定打とはならないだろう。では何が彼女達の心を打つのか?それは

「モテまくってきた男という振る舞い」である。

モテてモテて、女性には困らず、もう女なんか飽きたわ、おまえもチヤホヤされてるけど、俺からしたら大したことないよ?という態度・言動・振る舞い。美女はこう思う。

「なん…だと…?私を見てもデレデレしないし、口調に焦りが微塵も感じられない。奢ってもくれなさそうだし、なんならアクビしてスマホ見て、私といるのに嬉しくないのか…?むしろ帰りたさそうにしている…ありえぬ…」

「この男…デキる…!」

この瞬間、男と美女の間に、対等以上の第一印象が生まれる。さらにレイさんは言う。

「ノド乾いた。コーラ買って」

ええっ!?私が買うの!?今まで男に奢られたことはあっても奢ったことがないこの私が、奢らざるをえない状況になっているッ!?

「やはりこの男…ただ者ではない…ッ!」

こうして男>美女の構図を浮き彫りとし、美女がお金を払って、男をつなぎとめているという状況を作り出す。ここがすごい。しかしながら、ただのタカり男になれということではない。レイさんは言う。「100円もらったら、100円以上の価値を返さなくちゃ」と。人間関係のバランスシートを思い出してほしい。コーラ(100円)を奢ってもらったということは、美女から負債を負わされている状況だ。この美女からの100円分の期待を、カネを使わずに対価を支払うところに、レイさんの真髄がある。話で喜ばせたり、楽しませたり、一緒にいること自体に価値を感じてもらうこと…そのことについてはVol.3で詳細に語られる。

最初は100円のコーラから始まるが、男が価値を提供し続ける限り美女が支払う対価も比例して大きくなっていく。そしていよいよカネで支払いきれなくなったとき、さしもの美女も「もはやこれまで」と観念し、数多の貢ぐクンがいくらカネを使っても手を触れることすらできなかった、虎の子の宝を差し出す。

「セックス」という最大級の対価である。

つづく。

著・ヤコバシ



【オーディオブックの正しい使い方を伝授する】
1.集中して聴かない。オーディオを聴くための時間をわざわざ取らない。スキマ時間や作業時間に『ながら』で聴くのが正しい使い方である。
2.ぼけーっと繰り返し聴く。聴き返すたびに毎回聴こえ方が違うぞ、とか、刺さる言葉が違うぞ、と思ったならそれは良い聴き方。一回で全部吸収してやろう、と言うのは悪い聴き方。
3.PCのnote.muサイトからMP3ファイルをダウンロードする。itunesその他で、スマホに同期する。電車や車での移動中、家事の最中に聴くのが良いと思う。ストリーミング再生で

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