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マメを育てる〜その2〜

どうも香川県三豊市で写真撮影・映像制作会社を営んでおります、
藤岡優(ふじおかゆう)です。

今回は私がなぜこの片田舎で写真撮影・映像制作を営んでいるかを生い立ちとともに書いて行きたいと思います。

1.幼少期〜高校

 私はここ三豊市仁尾町で三人兄弟の長男に生まれ、高校まで仁尾町で暮らしました。


今だと、なんらかの病名がつくほど幼少期から落ち着きがない子どもで、いわゆる問題児。

でも友達とはそれなりに仲良くできいつも決まったメンバーで遊んでいました。

(日頃の行いが悪すぎて、いつも遊んでいた友達の親に「うちの子供と遊ばさないでください」と言われたのはここだけの話。笑)

中学校で少し落ち着いたものの、勉強はできず、スポーツもそこそこで学校自体は楽しかったけど、どこか物足りない学校生活のストレスを発散する場所もなく、ほんの少しだけ非行に走ります。

それから、暴走族の総長になり、触れるものはすべて傷つけ、、、、
的な語れる武勇伝もない、ちょっと強めの反抗期くらいのヤンチャで特に将来の夢などはなかったし、なんとなく父親が卒業した工業高校の機械科に進学しました。

当然、機械には全く興味のないし、男しかいない学校生活は思い描いていた

“青春”

とは遠くかけ離れており、次第に、学校に行かなくなり工業高校を中退。


先輩の紹介で土建屋さんで働く事2週間弱。
その2週間弱の間にも、仕事に行ったり、仮病で休んだり。。
見るに見かねた両親が、

親父:「お前を全寮制の学校に入れる!」

と言い出しました。
これは困りました。
起きる時間、寝る時間、食事の時間を決められ、外出もできない。
私にとってそれはもはや、監獄。
絶対に、そう絶対に無理なのです。

必死で抵抗するも、両親も考え抜いた果の決断。
どうやら本気。
私の自由もここまでか。。。と諦めかけたとき、
以前知り合いから「高松に良い通信制の高校があるよ」と聞いたのを思い出し、私はとんでもない行動にでます。

ぼく:「高松の通信制の高校なら行く!!それ以外なら俺は出ていく!」

と「高校は卒業してほしい」と言う両親の気持ちを逆手にとり、この期に及んで駆け引きを持ちかけたのです。

両親も、急遽出てきた通信制の高校に驚いたのと、息子が謎の駆け引きをしだしたのもあってか、返す刀に

親父:「それなら、その高校に行かせてくださいとお願いするべきだろ!」

と一言。
全く持ってその通り。
感情的になっていた自分が恥ずかしくなるほどの正論で黙ることしかできませんでした。
長い沈黙のあと、

ぼく:「通信制の高校に行かせてください。」

ちゃんとお願いすることができました。
こんな無理な駆け引きにも譲歩してくれ、諦めず僕を正しい道に戻そうとしてくれている両親の思いに恥ずかしながら、その時に初めて気付きました。


こうして、両親の思いにも気付き、全寮制の高校を回避し、「通信制の高校に行く!」と啖呵を切ったのもあり、2回目の高校は真面目に学校生活を送りました。
3年になったある日先生から、

先生:「藤岡くんは卒業したらどうするの?」
ぼく:「えっ・・・・卒業??・・」
先生:「大学とか行かないの?」
ぼく:「ん?大学?僕が?」

卒業してからの事を一ミリも考えてなかったし、つい1年半前には中卒だった私に大学と言う選択肢があることに驚き、俄然やる気が出てきました。
それからというもの、大学受験に向け猛勉強とまでは行かないが、それまで封印していた勉強を少しだけ開放しなんとか徳島の大学に合格。


私の人生の大きな転機となる大学生活が始まります。

続きはまた来週。

(全然話が進まない。。不慣れな執筆のためご容赦下さいませ。)

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