呪術廻戦の主題ってなんだろねって考えてたら着地点が不明になったしまった私

単純に自分の脳内を整頓する為にノートを書きます。
あくまで私の思考整理に書いているだけなので!!!参考にしないで……

虎杖悠仁に対して祖父が言った言葉
「手の届く範囲でいい」「とにかく助けてやれ」「オマエは大勢に囲まれて死ね」
この言葉が遺言という呪いであれば、主人公虎杖に対して課せられたものは
無償の愛を他人に与えよ”。
その呪いがあるから虎杖は出会って数時間の伏黒を助けた。
本編で明かされていない母親や祖父が死ぬ前に言っていた「俺みたいになるなよ」というセリフの背景に何かがあるのかもしれない。じゃないとわざわざ第一話であんなこと言わないでしょう。

”について
そもそも愛ってなんやねん。ちょっと手元に辞典ないので、ウェブにある辞典を引いてみる。
あい[1]【愛】
個人の立場や利害にとらわれず、広く身のまわりのものすべての存在価値を認め、最大限に尊重していきたいと願う、人間本来の温かな心情。
【引用元:新明解国語辞典様見本ページより】

上記のページを参考にみたところ、愛というと、まぁ色んな愛の形がある。
自分に対する愛、恋人に対する愛、全くの他者に対する愛、家族に対する愛、仲間に対する愛、動植物に対する愛、芸術に対する愛……現代はもっと増えてることだろう。推しとか推しとか。
呪術廻戦の全体に、“愛”に関する描写は多くみられる。
例えば0巻、乙骨憂太が折本里香に対して見せた“純愛”。これが最もたる例。
作品の構成上、0巻1巻はどちらかといえば世界観の説明が多い。特に0巻は1巻から始まる前日譚として「今からこういう世界を描くよ」という作品全体の説明であるとすれば、あれだけ強調された強敵をも打ち砕く“愛”が、キーワードであることは間違いないのではないか。
他の説明しやすい例を挙げるとするならば、
・伏黒恵の姉に対する家族愛
・釘崎野薔薇の“女”であり“術者”である自分への愛
・禪院真希の家族や仲間に対する愛
・東堂葵の上層部の意見すら無視する“推し”や“自分の信念”に対する愛
・夏油傑の“家族”に対する愛、また菜々子と美々子の夏油傑に対する愛
・漏瑚の呪いとして生まれた自分に対する愛
・花御の不用意に壊さないために自らの腕を覆う自然に対する愛
結構強引に感じるかもしれないが、突き詰めていけば大体は愛に帰結するのではないだろうか。魂を動かすその原動力は感情かもしれないが、その感情を動かすものは悦楽であれ怒りであれ、それに対する愛がなければ“無関心”であるのだから。
だから主題は負の感情渦巻く中でも消えない絶対的な愛なんじゃないかなぁ。


ここからはマジで個人的な意見になるのでほんとただのチラ裏

渋谷事変似て五条悟が夏油傑(偽)によって獄門彊(これめっちゃ変換するの大変だったなんだよ難しい漢字使うなよ)に封印された時に起こったこと。
封印の条件として、脳内時間で1分その場に留まらせるというものがあり、実際に夏油傑の姿を見た五条悟はその脳内で高専時代の青春が駆け巡った。
知っているか諸君、この世には“ブロマンス”というものがある。ちなみに女同士は“ロマンシス”と言うらしいぞ。この言葉作った人すげぇよな。

夏油傑が高専というか呪術界を離反する前まで、ほんの3年ほどの短い間ではあるが五条と夏油の関係性はブロマンス的なものだったと言える。
自分が殺したはずの男が目の前に現れただけであの最強である五条悟が動揺するか?アオハルが脳内に駆け巡るか?頭真っ白になるかもしれないが、脳内であんな駆け巡ることはないだろ。
命の危険と隣り合わせな中で、吊り橋効果的なものもあるかもしれないが、おそらく今まで同年代で呪術界に詳しくなく、御三家のことだとか自分の術式の知識などなく、五条悟を分け隔てなく“友人”として扱ってきた初めての存在だったからこそあそこまで動揺したのだろう。まぁこんなこと文字に起こさなくても読者は大体思ってそうだけど。クソデカ感情持ってるよね。だからこそ自分の手で殺したんだもんね。
まぁその感情が大であれ小であれ、五条悟は夏油傑に対して深い友愛を感じていたはずだよね。離反直後に再会した新宿で殺すことができなかったわけだし。

“愛”って気軽に口に出せない言葉。だからこそ言葉を解す人間はその都度に別の言葉に置き換えるんよね。「自分のため」だの「信じてる」って言ったりして。
だって“愛”って目に見えない質量を持たないくせに、重たいもん。
愛なんていらない、って人は大体自分のことを愛してる人なんだよ。自己完結できる愛を持ってる人。じゃなきゃとっくにこのクソッタレな世界からおさらばしてるでしょ、少なくとも私はそう思ってる。
ラブとライクの違いって結局のところ愛のジャンルだよね。それが友情的な愛なのか愛情的な愛なのか。哲学か?オイ。ほぼ哲学みてーなモンだよ。私的には人生の五割以上を与えてもいいと思えるものがラブで、人生の一割以上五割以下を与えてもいいと思えるものがライクだよ。
ただこれの何が問題かって、その与えてもいいって思える割合は人によって違うところだよね。人によっては自分が優先、愛する人が次点…って人もいるし、家族と愛する人が優先、自分が次点って人もいるし。それを知られるのが弱みになるって思う人も多くいるしね。

ちなみに推しは東堂とプロヒモです。クソデカ感情を抱いているのは夏油です。

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