2月10日(土)の日記-秩序とカオス-
無意識にアクセスできる状態にする。すなわち、いちど、混沌の状態に戻す。分節化以前の状態に戻す。いや、戻すでなく、知覚する、が正しいか。
少しずつタフになってゆく、負荷の増えてゆく日々が舞い戻ってきた。冬が終わろうとしているからかもしれない。
去年の11月ごろから禁煙を始め、1年間ほど続いていたわけなのだが、今年の年明け、弾丸で神戸へ旅行というか、他の現実を求めての移動というか、移動のための移動というか、そういった理由で芦屋までドライブし、村上春樹の処女作『風の歌を聴け』の舞台になったと言われている打出公園近くで、久しぶりに煙草を吸った。
喫煙が健康を害し、脳の働きを抑制し、経済的にもダメージを与える、文字通り百害あって一利なしの事物だと思っていたフェーズはおわってしまったのだろうか。思考停止の状態を求め、最近ちょくちょく、煙草を吸う。
依存対象としてのニコチン。20代を振り返ると、女・酒・煙草にどっぷりと依存していた。エロス・アルコール・ニコチン。アディクション三銃士とトリップし続け踊り続け、心身が限界を迎え、手放し、空白が日常を覆った。
去年の春頃に初めて小説を書いたとき、これまで用いてきた言語運用システムが大破し、混沌に溺れ、アルコールというフィクションに大いに依存しながら、なんとかギリギリで混沌を新たに分節した。ひっかき傷のようなものをつけることで。
無意識領域へのアクセス。分節化以前世界の知覚。
『バカの壁』でおなじみの養老孟司さんがとあるインタビュー記事にて煙草の有用性について述べられていた。
混沌にいながらにして、覚醒した状態で混沌を記述するには、どうすればいいんだろうか。混沌に目鼻をつけた時点で混沌は<混沌さん>になってしまうらしいが。
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