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だいじょうぶだぁ

だいじょうぶじゃあないんだよ。

きっと自分のお笑いの原点かもしれない。
バカ殿が大好きだった。

だいじょうぶだあもそうだし
志村屋です。くらいから幼いながら
毎週見てたかもしれない。
めちゃくちゃ番組名と人が変わって、
特に社会人になってからはそこまで見れなくなったけど
それでもテレビ付けてやってたら志村ナイトも最後まで見ていた。

今回のことで自分がお笑いを好きになる
最初の最初は志村けんだったのかもしれないと
ふと思い返した。

そもそもザ・ドリフターズが好きだ。
当初は音楽バンドとして活動していて、そこからメンバーも変わりつつコミックバンド的なポジションからコメディアンへと確立していく。

クレイジーキャッツもそうだし、そういう生き方って格好良すぎる。
音楽もお笑いも好きだけど楽器もできないしネタも作れない自分からしたら夢のまた夢。本当に好きなことを楽しんでやって生きているっていうのが伝わってくる。

志村けんはきっと自分の笑いの原点である。

正直このことを他言したことはあまりない。
同世代に言ってもそこまで話は広がらないからね。

そもそもそれを他所に言う気はなかった。
これは自分の中で大事に大事にしたかった。
そしていつか自分が何かで大きくなって
本人にお会いすることができたら
本人にだけこっそり伝えたいなって思ってた。

でも伝えることができなかった。
だからこれを読んでくれた人にだけ伝えたい。
でもきっとそれは自分が大きくなるのが遅すぎた。
そういうことにしておきたい。

「コロナといえば志村けん」
そんなイメージだけは絶対についてほしくない。
今日訃報を聞いてそう思ってしまった。

きっと今、志村けんの話をしたら
絶対にコロナが関連付く。
それは仕方ない。
けど、この先コロナが収束して
改めて志村けんの話題が起きたときに
まず一番にコロナが出てくることだけは嫌だなあ。

亡くなった原因かもしれないけど
志村けんが残したものはそれだけじゃない。
そう強く反論したい。

でもこれほどの大物が亡くなったことで
危機感を持つってことは大事かもしれない。

正直自分も数ヶ月前までは危機感も何もなかった。
けど、ちょうど先月頃にとても元気そうな祖母に会ったときに感じたのだ。

本当にすごく元気だった。
そんな祖母を見て自分の危機感のなさに落胆した。

こんな元気な姿を自分の危機感のなさが原因で
失いたくないと強く感じた。

その後に志村けんの陽性反応のニュースを目にした。
自分はコロナになって亡くならなくても
それが原因で亡くなる人がいる。

そうやって危機感を再確認した。

だいじょうぶじゃあないんだよ。

バカ殿が大真面目に若者に強く訴えているのかもしれない。

志村けんさん

改めてご冥福をお祈りします。
そしてたくさんのお笑いを届けてくれて
ありがとうございました。

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