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3次元”立体視”が苦手な自分がここにいる


1.自分の特性の一つの面


 こんにちは。”フカンして・みると”です。

 唐突ですが、私は3次元が苦手です。
 といっても「2次元世界に生きるんだ」とか、そういうのじゃなく。

 物体の全体像とか空間をイメージ理解・把握するのが、不得手だという意味です。
 また加えて、視覚的にも、奥行きや距離感の把握が非常に苦手です。
 要はピント合わせが上手くない。コンマ何秒でしょうけど人より時間がかかるし、精度も低い感じがする。

 その影響だと思いますが、例えば、靴紐を結ぶとか、ネクタイを結ぶとか、あるいは立体パズルなどは、まあド下手です。
 もっと言えば、疲れたり体調くずすとまるで酔っ払いみたいに、目の前のコップをつかみ損ねて引っくり返すほどです。 ←数十センチの目測が狂う
 そして、まれに電柱にぶつかります。 ←昭和のマンガか

 球技はからっきしです。距離感・遠近感がとにかくつかめないため、うっかりするとケガするレベル。

 きわめつけは、極度の方向オンチです。
 初めての場所はほぼ100%迷います。断言できるレベル。

 地図やスマホナビがあっても。なにしろすぐ右と左を間違える。
 なので、早めに出発しても、必ず1・2回迷う。
 下手すれば分岐ごとに間違えるので、いつも大体時間ギリギリになります。できれば誰かについていくのが無難。
 車の運転も極力控えています。
 そんな感じで、出不精になりがちです。

 このように、外回りの仕事はとても務まらないレベルです。
 ほぼ選択の余地なくデスクワーカーを選びました。

2.生来の特性と幼少期の経験のブレンド

 
 ところでなぜ、自分の特性を説明することを思いついたかというと、
 ”笑わせるセールスマン”さんの次の記事↓ に触発されたためです。

 この記事中の一文に心当たりがありました。

『ものが立体に見える大半は経験によるものです。

 心理学では、この経験は幼少期の間に培われ、大人になってからは培われないとされています。』

 これを読んで、物が立体に見えるのは”経験”、なるほど、そうかもしれないと。

 生まれて数か月ほどの0歳時ワクチン接種後の高熱で、生死をさまよってから生還ののち。3歳頃までドクターストップで運動外遊び禁止。

 狭いアパートの一室で多くの時間を過ごしました。
 ドクターストップ明けた頃にはすっかり超インドア派の幼児に育っていたようです。今でもそうなので、3つ子のたましい百まで、でしょうか。
 結果的にですが、もしかしたら、その時期の”立体視”の経験は不足気味だったのかも?
 まあそのおかげか、コロナ禍のステイホームもさして苦でもありませんでしたので、物事にはだいたい両面あるよなーとも思います。

 それとおそらく、先天的な資質も大きいと思います。
 もう亡くなった伯母と体質が似ていると母から言われるのですが、伯母も車の運転はしないようにしていました。
 たぶん遺伝なのかな? 空間などの認識能力そのものが弱いのかなと。
 3次元だけでなく2次元の図形も苦手なので、物の形を立体的にイメージする力が弱い気がします。

 素人考えですが、先天的な能力特性と後天的な経験のブレンドとして、自分の特性・特徴・能力・適性といったもろもろが形作られているのだろうなと改めて感じました。
 考えてみれば当たり前っちゃ当たり前の話です。
 長所・得意・好きといったポジ要素も同様ですよね。
 
 前々からモヤモヤと感じていたところ、ほかの方のnote記事がヒントとなりました。
 おかげでより明確に意識でき、少しもやが晴れた気がします。
 この場を借りて、”笑わせるセールスマン”さん、改めてありがとうございました。

3.今回のまとめ


 ということで今回の記事は、次のポイントにまとめられるかと。

・私自身の特性の悲喜こもごもを示したこと
・先天的な資質と後天的な経験のハイブリッドで形成される自分を再認識したこと
・ほかの人のnote記事を読み気づいたこと
・その記事を本記事で紹介したこと
・以上のことに触発されて自分のモヤモヤを記事に昇華させたこと

 そして、私のクリエーター名”フカンして・みると”にも意味がかかっていたりします。
 立体視は不得手だけど、俯瞰視は得手・・・というアイデンティティ。

 いずれ俯瞰をテーマに記事が書けたなら、またさらにアイディアの流れがつながっていくかもしれません。
 今回はここまで。

(了)

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