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武道館・アリーナ・2列目

いわゆる“目移り”がした数時間だった。音楽に集中できなかった。それが本音だ。
初めて斉藤和義のライブに参加してからもう何回目だろうか。今回の武道館の公演で初めてアリーナ2列目という席を獲得した。そのチケットを手にしたとき目を疑った。何度も何度も見直した。今の人たちの表現を借りれば“神席”だ。
 
6時半からの開演なのに、私は5時半すぎにはその席に座っていた。まわりの席もまだ人がまばらで、私はお門違いの場所に来てしまったような気がしておずおずとしていた。目の前には人の身長ほどの高さのステージがそびえたち、その周辺には黒い布で覆われた大掛かりなカメラや機材が累々と横たわっていて、これまた黒一色の服を着た色とりどりの髪の色をしたスタッフたちが立ち働いていて、「ああ、ここは芸能界なんだ」ということを実感させられた。
それは、目の前に斉藤和義が現れても変わらなかった。私はどこを見ていいか迷った。斉藤和義の顔、姿、動き、ギターの右手の動き(左手は見てもどうしようもない)、ステージや客席をくまなく撮影しようと動きまわるカメラ……ああ、何としても曲に集中できない。待ちに待っていたバラードも確かに美しいのだが、どうしても入り込めなかった。
 
それでももちろん楽しかった。斉藤和義という人はこんなに大掛かりなステージの上でも、たくさんのお客さんの前でも、まるでそこらへんにいる人に話しかけるように話す。
「そういえば、サッカーすごかったですね。2試合ぐらいしか見なかったんですけど。日本戦じゃなくて、どっかとどっかの国がやってるやつで……。ホテルの部屋でひとりでおーっとか声を上げちゃいましたけどね」
1万人近い人を前にそれはないだろうという語り口。聞いているこちらも「へえ、そうなんだ」と思わず相槌をうつ。後ろの方から「どっかとどっかかよ」と苦笑まじりのつぶやきも聞こえた。
それが曲が始まると途端に変貌する。期待通りの美しいギターの音とまっすぐな歌声。斉藤和義はほとんど目をつぶったまま演奏するので、アイドルと違って歌いながら客席に目線を投げかけたりはしない。今回のように席が近ければ、一度ぐらい目が合うかと期待していたが無駄だった。ファンとしてはちょっと残念だが、それほど“音”に集中しているのだろうと思えばこちらとしても満足だ。いずれにしても、遠い席の客にも近い席の客にも彼は平等だった。それがわかっただけでも満足だった。もうこんな席に座ることはたぶんないだろうから。
 
今私は、大切な音楽に集中できなかったことを残念に思うとともに申し訳なく思っている。しかし許してほしい。なにしろ言葉通り“慣れない席”だったのだ。初めて障害物なしに斉藤和義を見た。間にあるのは空気だけ。実を言うと、ほんとうにほんとうに普通の人だった。ただただ素晴らしい曲を素晴らしい腕前で演奏する普通の人だった……。
ああ、小さなライブハウスでこの人の曲が聴きたい。いつもそう思うのだが、今回は特にそう思った。そうすれば、彼が伝えたいことがまっすぐに客に伝わるのではないだろうか。そう、もっと昔、私が斉藤和義を知らなかった頃、きっとそうやっていたはずだ。そうしてその中から見出されて、こんな大きな人になってしまった。
私は勝手に思っている。斉藤和義はどんなに大きなステージになってもその頃のやり方は変えない、と決めているのだと。

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