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「表現の不自由展」の不自由さについて

あいちトリエンナーレの「表現の不自由展」もろもろの雑感メモ。

最初に、「表現の不自由展」というアプローチは、いい球なげたなーと思います。正直シリーズ化して欲しい! 

一方で、アートのメタ視点で考えると、これは「不自由だけど、押し通せた表現展」と感じてしまう。だから、本来みるべきもの…「表現の不自由展」の真の価値は、「ここで取り扱われなかった表現やメッセージ」なのではないか?と思うんですね。

扱われなかったものが何か!?
それが知りたい!
見てみたい! 


表現の不自由展で扱われたもの、扱われなかったもの

そのような視点で「表現の不自由展」をみると、気になることは、作品のもつ政治的なポジショニングの偏り。で、この偏りが、「表現の不自由展」の素晴らしい可能性を、かなり不自由にしたと感じる。

なぜかというと、「救済される不自由な表現達は、監督の政治的ポジションと近いもの限定」というメッセージが生まれてしまうからだ。

それは極論すれば、「右寄り封殺が左寄り封殺になると、こうなりますよ展」となりかねない。これはちょっと、もったいないと思う。

できれば50%ぐらいは、「監督の嫌いなもの」や「監督の政治ポジションと対立するもの」などが置かれてると、よりよいメッセージが出せるのかなと。(この点に関しては、面白いコメントをいただきました。文末にP.S.4として追記してあります)。


OKとNGの境界ラインのこそが、真に必要なこと

「表現の不自由展」で本当にやって欲しいことは、2つあって

・「ある視点での健全」は「別の視点では不健全であること」
・様々な文脈においてOKとNGの境界はどこにあるのか?

この2つの可視化だと思うのです。でも今回の展覧会は、こういった価値観の境界を問うていない。

作品の政治的なメッセージを集約してしまうと、「現政権、支配体制から封殺されたメッセージはこれだ!展」になってしまってる。絶対悪と犠牲者という構図を作ってしまうと、OKとNGの境界ラインの議論とかは、生まれないと思うのですよね。


さらに、トリエンナーレはアジアの作家を多く招いているのに、アジア各国の封殺に関する作品群は、表現の不自由展には存在しない。たとえばクマのプーさん的な中国政権批判、たとえば例えば韓国の親日修正主義とそこに対する意見の封殺。こういったものは、今回の「表現の不自由展」のスコープ外だったりする。

僕は慰安婦像置くのは、(表現の視点としては)よいと思うけど、どうせなら慰安婦像とライダイハン像青線問題のアートを並べておいて欲しかった。そこまで並べてしまえば、「歴史と政府と性暴力と事実認識」に純化したメッセージが出せるのに、慰安婦像だけだと「我が国の体制批判」というメッセージ性が乗っかってしまう。

おんなじように、イスラムへの風刺をしたシャルリー・エブド事件とか、美術館からバルテュスや、ウォーターハウスの絵が撤去されたこととか、身近なところだと、TVでの小人プロレス、チビクロサンボ、コンビニからのエロ本撤廃、アニメの白い謎の光ろくでなしこさんの逮捕…、芸能人逮捕による作品の回収、過剰なポリコレによる萎縮効果など、様々な文脈が全て切り捨てられている。

これらは、「表現の不自由展」からも見捨てらた表現であって、その非展示こそが、表現の不自由展のもっともロックなところだと(個人的には)思う。なので包括的なボツのリストが見たい。そこに価値がある。

で、それらの作品に対して、「OK / NG」の議論が喧々諤々と炎上することこそが、真の意味で「表現の不自由展」でやって欲しかった。今回は、なんか政権に封殺されちまったぜ列伝みたいになってるのがもったいない。


そんなわけで、今回は「表現の不自由展 vol1、反体制編」ということにして、第二回以降で「倫理からの逸脱編」とか「宗教への叛逆編」とかもやってくれると、すごい素敵だなぁと思います。

自分が賛同できない表現も尊重するのが、表現の自由ということで、全方位的にガンガン攻めることで、結果的な中庸性が出るといいなぁと。ぜひ第二回へとアップデートされて欲しい。

そんなこんなで、津田さん頑張れ!


P.S.

表現の不自由展で、SNS投稿を禁止するという表現規制するのは、ちょっとロックだと思った。


P.S.2
こんなタレコミもらいました。こういう話が、超面白いので、こっち系で盛り上がって欲しい。


P.S.3
「展覧会のコンセプトが、2015年以降に美術館で撤去された作品だから、このチョイスは仕方がない」という指摘をいただきましたが、これはちょっと自分としては反対。なんでかっていうと、「美術館撤去ネタから収集」は手段レイヤの話であって、目的レイヤ(表現の自由を指摘する、議論する)ではないからです。目的と手段がミスマッチになったら、手段レイヤを変更するほうがよいと思います。「前回(便宜的にvol0)は美術館ボツネタでしたが、今回は続編&トリエンナーレなのでより多角的に収集、議論できるようにしました」とするほうがいいんじゃないかなぁと。


P.S.4
コメント欄に下記のような情報をいただきました。自力でファクトチェックできている情報ではありませんが、興味深いお話です。

右翼的表現の併設を津田氏が提案したところ、より過激、より差別的な表現が大きかったことを理由に主催者側が却下してしまったことにあります。

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piece of cake CXO。THE GUILD代表。ユーザーの行動を設計するデザイナです。 UXデザインやUIデザイン、noteのカイゼン報告などについて書いていきます。

コメント9件

アートを隠れ蓑にした邪悪な企みをが透けて見えましたからね。「アート」の代わりに弱者、平等、平和、市民、博愛、LGBTなどの言葉に置き換えても同じですが多くの場合、邪悪な企みを感じてしまいます。ご指摘の中庸性を持って企画されるイベントならいいと思います。ただ津田氏には荷が重い。
なかなか議論されにくい視点でのお話、有意義でした。

今回の企画は表現の自由から漏れた作品からメッセージを感じとるというより
一方的なイデオロギーアピールにしかなっていなかったのが残念です。

津田大介氏自身は、日頃から他人の作品にナショナリズムを勝手に感じ批判する、
表現の不自由を行使する側の人物ですので、彼を監督に据えたのは間違いでした。
できれば、中庸性を担保できる方に改めてこの企画を練り直して欲しいところですが、ここまで炎上してしまえばそれも難しいでしょうか。

表現の不自由展でSNS投稿を禁止というのはロックといえばロックですが
津田氏にそこまでの考えがあったかは大いに疑問。
今回の展示が左傾化/政権批判になってしまった原因として、右翼的表現の併設を津田氏が提案したところ、より過激、より差別的な表現が大きかったことを理由に主催者側が却下してしまったことにあります。
深津さんの求める本当の表現の不自由はここに隠れていますね。
不自由展拝見しましたが、中々インパクトがあります。
少女像に触れるメディアが殆どですが、私は安倍政権によって海外展示を拒否されてしまった福島関連作品や福島の除染状況のまばらさを写した福島サウンドスケープの方がよっぽど取り上げられるべきだと感じました。
>右翼的表現の併設を津田氏が提案したところ、より過激、より差別的な表現が大きかったことを理由に主催者側が却下してしまったことにあります。

これ、初情報です。 ここはもっと世に出て欲しい情報だし、これは(程度はあれ、なんらかの形で)押し通して欲しかったですね…
福島サウンドスケープは、チャレンジとしてかなり面白いかつユニークなので、実際にみてみたいです。
ありがとうございます。
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