勝手に震えてろ 感想

2018年初の映画は友達とシネマカリテで観た『勝手に震えてろ』でした。泣いてる私に鼻セレブをくれる友達がいてよかった…と思うくらい泣きました。『勝手に震えてろ』は観てる人が多そうなのでネタバレとか内容への言及をがっつりしていきます。あと、1回こっきり見ただけなので事実関係が間違っていたらすみません。
結論は一番下に書いてあるので、それだけ読みたい人は飛ばしてください。

そんな『勝手に震えてろ』の何が一番好きかって、ヨシカが絶滅すべきでしょうかを歌うシーンだ。このシーンの前と後ではまるで話が違う(『ヒメアノ〜ル』のタイトル前後くらい違う)。

話が始まってすぐに、え、なに、これミュージカル的なノリ……? ミュージカルを小バカにしそうなヨシカのことを、ミュージカルで描いても、絶対感動できないじゃん……と思ってしまった。でも違った。絶滅すべきでしょうかの歌が歌われることで、ミュージカル的な語り口は虚構であるということが明白になるのだ。

どういうことかというと、前半のミュージカルは、ヨシカが想う他人とのコミュニケーションやその距離感の理想を描いている。妄想だ。そして現実は、絶滅〜の歌で語られる「こんな風に話しかけたいけど話せない」というヨシカの本音だ。
そしてその両者には、ミュージカルという強固な虚構がないと超えられないほどのギャップが存在している。それが突きつけられるのだ。だから観客はそのヨシカの絶望感を実感する。

ヨシカの現実に対するスタンスは、妄想だけじゃなくてあだ名をつけるという癖にも現れている。あだ名をつけるというのは、他人という自分の思った通りに動かないものを、少しでも自分に近づけようとする行為だ。千と千尋で湯婆婆が千尋を名付け直して、自分の支配下に置くのを想像するとわかりやすいかもしれない。
(だからあだ名と本名が同じだったオカリナさんとは、対他人のコミュニケーションが成立している)

そんな風にヨシカは自分が思った通りのストーリーを邪魔する他人に怯えるし、予想外な行動をする他人を排除しようとする。虚構や思い出に閉じこもり、そこから邪魔者を排除しようとするから、遠ざけるために、悪口などで攻撃する。

そんなヨシカの元にストーリーを無視するものとして現れるのがニだ。絶対にラブホ行くじゃん……とか、そこは諦めてエレベーターまでしつこく付いて行ったりしないじゃん……と観客やヨシカが考えるところを、ことごとく裏切っていく。ヨシカを好きになったのだって、赤い付箋が胸についていたから、なんていう脈絡のなく、拍子抜けする理由だ。でもだからこそ、ヨシカのことを救うことができる人なのだ。

それに対してイチくんは、ヨシカの妄想の常連であり、オリキャラであり、中身までヨシカそっくりという、他人ではないような存在なのである。でも、そんなイチくんにフラれることで、他人は他人であり、自分にコントロールなどできないという現実がヨシカに突きつけられる。

そうやってイチくんとの破局を経て、ミュージカルの虚構性を真正面から自覚したヨシカは、ニとの交流を始める。現実で、他人と、コミュニケーションを試みるのだ。馬なんか乗っちゃってなんかうまくいきそうじゃん……?と思う。でも、やっぱりヨシカは他人を他人として受け入れられないのだ。

男性経験がないことをバラされて、会社を出ていくヨシカの怒りは、自分だったらこう考える、だから相手もこう嘲笑っているだろうという不安から湧くもので、他人と自分を同一視する行為だ。しかしくるみの留守電を聞くと、自分の何がヨシカを怒らせたかすら、くるみには分かっていなかった。そこでまた、なーんだ他人は自分とは違うじゃん、ということを再確認するのである。それがあったからヨシカはニに電話をかける。

そして、そこで語られるニの言葉は、違うから好き、違うから知りたい、好きだからってなんでも許せるわけじゃない、という言葉だ。それは他人はあくまで他人ということの強調でもあるし、他人のことがわからないのも、自分以上に他人を可愛がれないのも、尽くすことができないのも当たり前なんだから、という人間関係に臆病な人の背中を押す強い言葉だ。
そしてその言葉のシャワーを浴びたヨシカはようやく、ニのことを「霧島くん」と本名で呼ぶ。どんなにあがいたって自分の思い通りにはならない他人として、ニのことを受け入れ、ようやくコミュニケーションの入り口に立って物語は終わる。

つまり『勝手に震えてろ』は自分の世界を押し広げることで、他人とのコミュニケーションから身を引いていたヨシカが、妄想やあだ名という盾を捨てて、生身で他人の前に立てるようになるまでの話だ。
他人を受容する物語なんてたくさんあるよ、と思うかもしれない。しかし、それらは受容される他人の目から描かれたものが多いのではないだろうか。『勝手に震えてろ』は他人というものがどんなに怖いか、コミュニケーションはどんなにハードルが高いかということをヨシカの目線から、丁寧に描いている。だから他の作品とは全く違うし、心を打つのだ。

#映画 #勝手に震えてろ #松岡茉優 #感想 #エッセイ

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