キャラ立ちと枝葉末節

前回枝葉末節の話をしたので、それに関連してわたしが思うキャラ立ちについて。

わたしはキャラ立ちが良い作品にはとことん弱く、それぞれのキャラクターのことをしみじみと愛せる作品が好きだ。
話の筋は少々弱くとも、キャラが良ければそこそこ嬉しい。朝ドラは15分しかないので、ストーリーもさることながらキャラクターが大切だ。毎朝会うわけだし、魅力的なキャラクターが多いだけでちょっと良い気分で家を出られる。

ではそのキャラの良さはどこから出るのか。一つまず基本にあるのは、キャラの行動の根拠がぶれずにあること。
そういうキャラは作者の手を離れても、そのキャラはこんなときこんな行動をしそうだ、と予想がつきやすい。

『コードギアス』なんかはキャラが何故そう行動するのかがかなりはっきりしており、それに基づいた行動がなされる。大局を描いているため政治ゲームの中でどう行動するかはわかりやすい。しかし、ごく身近な生活で彼らがどう行動するかは少々想像がつきにくい。

そこでもう一つ必要なのが、身近に感じられるキャラの個性だ。
中原中也が太宰の家にむかって「バーカ」と言った逸話などはその最たる例だ。
歴史的な人物はコードギアスのキャラと同じように歴史上に何を残したかという、大きなスケールで語られる。そこに、スケールダウンしたエピソードが入ると親しみがわくのだ。

『コードギアス』で身近さのあるキャラ表現がされているのはC.C.だ。ピザ好き、謎の人形好きという表現だ。本人の目標や、思考、性格とはあまり関連が見出せないような、無意味な癖や好みがキャラクターを光らせるのである。つまり、枝葉末節なのである。

そういう意味で、坂元裕二脚本の『カルテット』に出てくるキャラクターはキャラ立ちがいい。週刊誌に取り上げられるような経歴ではなくて、楽器を弾く前には指輪を左手から右手に付け替える癖こそが、その人をよりよく示すのである。

#キャラクター #エッセイ #コードギアス #カルテット #坂元裕二

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