2020/10/11 ② 自分にとってのロックを聴き続ける理由〜THEE MICHELLE GUN ELEPHANTとの出逢いが大きい

2003年10月11日、一つの大きなロックバンドがその歴史に幕を下ろした。
そのバンドの名前は…、THEE MICHELLE GUN ELEPHANT。

ミッシェルは1991年に活動を開始し、1996年にメジャーデビュー。
シングル16枚、ミニアルバムを含めたオリジナルアルバム9枚をリリース。
日本でアリーナクラスでスタンディング仕様のツアーを行ったり、
海外勢の多く出演するフェスでヘッドライナーを飾ったりと日本のロックシーンに大きな爪痕を残しており、
2020年にオンライン開催されたRISING SUN ROCK FESTIVALやFUJI ROCK FESTIVALでのアーカイブライブ配信でもYouTubeの投げ銭にあたるスーパーチャットが絶えず起こるという事象も起こしている。
(RISING SUNの時に24時間で3回配信があったが、3回ともスーパーチャットも凄かったなというのを覚えている)

私がミッシェルと出会ったのは1996年の2月のこと。
THE YELLOW MONKEYの吉井和哉氏がパーソナリティを務めていた時に、同じレーベルからデビューするバンドという事で「世界の終わり」が流れてきた。
イントロのギターのカッティングが流れてきた時の衝撃があって、「うわっ!すごっ!何これ!!」というような感触だった。

その当時の音楽シーンはプロデューサーブーム全盛期であったり、ドラマ主題歌の大ヒット、ミリオンセールスのシングルが20枚以上出てくるなど非常に賑やかな時代だった印象がある。

個人的には売れているのも聴いていたが、THE YELLOW MONKEYとTHE HIGH-LOWSはその中でもスーッと自分の中に入っていった印象がある。
それと同じような感触をミッシェルでも味わうことが出来た。

演奏している姿を初めてテレビで見たのは1998年の2月にHEY!HEY!HEY!に出演していた時。
その時にスーツ姿の四人が「バードメン」を生演奏でかき鳴らしていた。
度肝が抜かれるほどカッコ良かった。
勝手に次の曲のイントロをやり始めたのも印象的だった(後日「ハイ!チャイナ!」という曲だったのを解散以降の連続放送時期の特集番組にVHSで録画していたのを見て知った)
翌日スキー学習のバスの中でその日に見たミッシェルの話をしていたのを覚えている。

ライブに行きたいなと思っていたけれど、その時にはライブに1人で行くという発想が全くなかった。
色々と勿体無いなと後から振り返ると思う。
この時にバイトして、ミッシェルのツアーや出るイベントにたくさん行きたかったなと思う。

そこから時間が経って2003年。
6月27日にミュージックステーションに出演した。
その時に流行っているアーティストたちに混ざってミッシェルが出ていたが、その日に出演予定だった海外アーティストがゴネてドタキャンになり、代わりに2曲ミッシェルが演奏したという事態が起こった。

その当時は色々とうまくいかない事が重なり、訳がわからない状態になっていた。
その時に観たミッシェルのテレビでのライブにボルテージが熱くなって、翌々日にアルバムを買いに行って、CDに封入されていた先行予約で9月に始まるツアーのチケットを取った。

ツアーが始まる直前の9月1日、ミッシェルが9月から始まるツアーを最後に解散する事が発表された。
2003年の9月13日、ZEPP札幌でのライブが自分にとって最初で最後のミッシェルのライブになってしまった。
その時のライブの事は今でも覚えていて、終わりに向かうからこその刹那が色濃くてどっしりと音や言葉が刺さるライブだった。

ロック以外にも色んな音楽を聴くけれど、一番好きな音楽はロックバンドが鳴らす音楽だというのは今でも変わっていない。

今でも色々なロックバンドを聴いたり、フェスやライブに行き続けているのはTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTとの出会いがあって「ロックバンドの鳴らす音や姿のカッコよさ」が今でも自分の中のツボとしてあるからなのかなと改めて感じている。

これからも音楽を聴き続けていく上でTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTは、自分の中で大きいバンドであり続けていく。10月11日という日に改めてそう実感した。

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