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ニンジャソウルによる殺戮衝動説について考察

結構前からまとめてみたかったネタなのでここでがっつりと書いてみます。

テーマとしましては「ギルティ・オブ・ビーイング・ニンジャ」で登場した「ニンジャ修道会」が掲げるこのお題目。

「反省しております。またしても、邪悪なニンジャソウルの誘惑の前に、屈しました…!」ワッチタワーが沈痛な面持ちを作る。「まあよい。全てはニンジャソウルのためだ……ゆえに我らは衝動のままに人を殺し、罪を犯す。誰もこの呪いからは逃れられぬ……ゆえに我らは隠れ、潜まねばならぬ……」

要するにニンジャソウル憑依者になると人を殺したくなったり罪を犯したくなったりするのは逃れられない宿命なのだ、全部ニンジャソウルが悪い。
という主張ですね。

この修道会そのものは誰が見ても欺瞞まみれもいいとこな組織ではありましたが、こういった衝動に身を任せてるようなニンジャは作中でも実際少なくなく、一見それなりに正当性のある主張のようにも聞こえます。
ニンジャソウルは基本的に邪悪な性質を持ちますし、我らが主人公であるニンジャスレイヤーも、度々ソウル由来の衝動に飲み込まれそうになっています。

ただここで、ある程度本編を読んだ人間なら当然出てくるであろう疑問もあります。
「でも邪悪じゃない味方のニンジャも多いし、みんながみんなそこまで殺戮衝動とか抱えてるわけでもなさそうだよね?」と。

その件に関連するザ・ヴァーティゴ=サンによるしつもんコーナーでの答えがこちら。

「ドーモ、質問です。ニンジャは元来邪悪な殺人衝動を持っているようですが、この欲求に抗うことは典型的なニンジャにとって実際どれほど辛いものなのでしょうか。」V「修道会の連中の言い分は嘘くさい。」(@dhtlsでの2013年5月6日のツイートより引用)
フジキド=サンの周囲にはニンジャソウルの闇に呑まれていないと思われるニンジャが何人かいますが、彼らは極めて特殊な事例で、通常は殺戮衝動... ? V「殺戮衝動説にはちょっと欺瞞めいたところがある。だが命の扱いが軽くなるのは確かだ」
殆ど機械なネブカドネザル=サンは感情も希薄な感じでしたが殺戮衝動もサイバネ化していくことで薄まるのでしょうか? ? V「殺戮衝動の考え方には欺瞞的なところがある!」(@the_v_njslyrでの2014年11月22日のツイートより引用)

どれもかなりバッサリといってますね。
このへんを掘り下げてみたいと思います。

読み取れるのは、まず殺戮衝動説そのものを完全否定しているわけではないということ。
これは実際に本編でもソウル由来の殺戮衝動の存在が明記されているニンジャ(フジキドやジェノサイドなど)がいますので、否定されるとそのへんと矛盾してしまいますしね。

ただ二つ目の質問の流れからすると、「ネブカドネザル=サンにもソウル由来の殺戮衝動がある(基本的にニンジャ化したら殺戮衝動が付与される)という前提で質問している」という認識にマッタをかけているように思えます。

要するにニンジャソウルのせいで殺戮衝動を抱える奴もいるけど、それが当たり前ってわけじゃないぜと。
そんな感じのニュアンスではないでしょうか。

でも実際結構アアーッ!殺したくてたまらねぇーッ!ってニンジャも結構いるわけで、そのへん含めての考察。
大別すると三つに分かれると見ています。

・本人の意思に関係なくソウルから殺戮衝動が付与されるタイプ

一つ目は本当に自分の外側から、殺戮衝動という言わばステータス異常のようなものをソウルによって付与されたケースです。
フジキドがまさにこれじゃないですかね。
本人の本質はさほど変質していないにも関わらず、度々悪魔の囁きに苛まれているような。
ニンジャ修道会が掲げる「ニンジャ殺戮衝動説」に最も合致するものでしょう。
しかしこの手のは高位のソウル憑依者に見られやすい傾向だったりで、実際そこまでメジャーなケースとは思いにくい。
「欺瞞めいた」という言葉が意味しているところは多分そのあたりにあります。
そこで次です。

・ソウル憑依者となって倫理観が変化し、その結果殺戮衝動が湧くようになったタイプ

この話のメインがこちら。
一つ目のと似てますが決定的に違うところがあります。
それは「殺戮衝動の出処はどこなのか」という点。
順を追って説明していきますと、まず前出の引用部分でもザ・ヴァーティゴ=サンが言っているように、ニンジャソウル憑依者になると「命の扱いが軽くなる」というた変化が精神面に起こります。

これがどういうことかと言うと、「邪魔である・敵であると見なした者を殺傷することへの心理的ハードルが極限まで下がる」ということ。
ヤモトやカタオキ、ウミノやスカラムーシュと言ったそれほど邪悪ではない面々にも例外なく適用されている絶対のルールとも言える作用です。

例えば、何の変哲もない善良なモータルである貴方にニンジャソウルが憑依し、ニンジャになったとしましょう。
そこにヨタモノが襲いかかってきたとしたら…貴方は「アイエエエエ!?」とはならない。
殺しはしないまでも、「返り討ちにしてやるか。病院送りになっても悪く思うなよ」ぐらいの感覚になるはず。
そんな感じの変化が訪れます。

貴方が善良なモータルのままであれば、もし近くにナイフや銃が落ちていて…反撃し殺したり、重傷を負わせてしまったとしたら、間違いなく何らかのショックを受けることでしょう。

ニンジャになると、そういった心の動きが極限まで薄まります。
限定的な範囲ではありますが、「良心の呵責」から解放されるのです。
それが、大多数のニンジャが持つ邪悪性の根源とも言える部分です。

ニンジャとなり「良心の呵責」から解放された結果…身近に存在している邪魔な者を排除することを厭わなくなる者は多いでしょう。
冷たい家族であったり、鬱陶しい知り合いであったり、カネがたんまり詰まった金庫を守る店員かも知れない。
そういった相手を殺し、良心の呵責が発生しないとなれば、あとはやり遂げたという達成感や自分を縛る者がいなくなった解放感、目的の物を手に入れられたという充足感などに支配されるのは道理です。

そこで脳は行動による快感を学習していきます。
邪魔な者は殺してしまえば、自分は満たされるのだと。
それが結果的に「自分の内側から湧き上がる殺戮衝動」のようなものに繋がるのではないかという見方です。

もちろんこれは一例に過ぎませんが、要は殺戮衝動をもたらしているのはソウルそのものではなく自分の脳であるという話ですね。

なお、どこからどこまでを「敵・邪魔者」と見なすかは当たり前ですが本人次第です。
ニンジャとしての邪悪性を多く見せながらも、一貫してユダカとのユウジョウがブレなかったキャリバーという例もあれば、ニンジャ化当初こそ素直な弟であったものの、兄を自分たちの意に沿わない存在と見なすや次第に殺意をも隠さなくなっていくジロとサブロという例もあるように、度合いは千差万別。

ザ・ヴァーティゴ=サンによるニンジャ修道会の主張を指して欺瞞めいているという解答は、連中の本質はこちらなのに、あたかも一つ目のケースであるかのように振る舞うという、極めて自分たちに都合のいいすり替えを行っている可能性が高いからではないかと思います。
少なくとも、本人の意思に全く関係なく機械的な殺人衝動に苛まれるというケースは全体を見ても相当レアっぽいですし。

※ただしヨロシサン製のバイオニンジャに関しては、バイオインゴット由来の殺戮衝動・戦闘衝動が設計段階で組み込まれているという特殊な例です。

またその現れ方についても色々あります。

一つは依存症化
殺しの快楽にハマってしまうタイプですね。
程度の差にもよると思いますが、重篤なのは意外と少ないかも。
衝動という意味ではこちらの方がしっくりとは来ますね。
実際それで苦しんでいるタイプもいるんだろうと思いますし、修道会の連中も実態は多分こんな感じだったんじゃないかなぁと思わなくも…
依存症患者同士による自助グループが共感と正当化を繰り返してカルト化していっちゃった的な…

一つは他者を傷つけることに対する抵抗が極限まで少なくなった結果「殺す」という選択肢がごく自然に出てくる状態
きっとニンジャとしてはこっちのが遥かに一般的ではないかと。
ちょっとしたストレス解消だったり、手慰み程度のものだったり、遊び感覚だったり。
私達が普段行っている日常的な仕草の中に、ごくごく自然に殺傷行為が追加されているとでも言いましょうか。

道に落ちている枯れ葉をクシャッと踏むとちょっと気持ちいい。
いい感じの大きさの石を見つけると蹴飛ばしたくなる。
周りに小さな虫がいると潰したくなる。
手持ち無沙汰だから意味もなくペンをくるくる回す。

こういった何気ない行いと同じ次元に「殺人」が含まれるようになるというような、おそらく基本的にはとてもシンプルな話。
これらの行為が「邪悪なニンジャソウルが理由のない殺戮衝動をもたらしているように見える」だけなのではないでしょうか。

ただまぁどれぐらいの重要度を伴って殺傷行為に及んでるのかはそれこそ個人差が非常に出るでしょうから、このあたりは明確に分類しきれるものでもないと思います。
所謂グラデーション状態ですね。

少なくとも、ニンジャソウルが普遍的に持ち合わせる精神面への直接的な影響は、そう広範囲に渡るものではないはず。


・ソウル憑依者となって倫理観が変化したけど殺戮衝動が湧いていないタイプ

最後にこちら。
味方ニンジャは基本的にコレですね。

無駄な殺傷はしないけど仕事とかで必要ならいくらでも殺すよってタイプのニンジャも割といますので、必ずしも人間的な善性とセットになっているわけではありません。
ぶっちゃけフジオなんかもこっち寄りでしょうし。

総じて前述したニンジャ化による倫理観の変化に飲み込まれなかったタイプと言えます。
このあたりはニンジャ化する前の本人のパーソナリティであったり、良いメンターに出会えるかどうかに寄るところが非常に大きいと思われます。

ヤモトやカタオキのような善性が強いタイプは、遵法精神や共感性などで己を自然に律することができているのでしょうし、フジオやブラックヘイズのような仕事人タイプは単に無駄な殺傷行為に及ぶ意義を見出していないといった感じでしょう。
やはり個々人によって事情は異なります。

目の前に財布が落ちているのを見て、ネコババするか交番に届けるか、どちらも選ばずに無視して去るか…ニンジャにとっての無関係な人間の命というものは、その程度のものではないでしょうか。


というわけで、非常にざっくりとですがまとめてみました。いかがでしたでしょうか。
ハッシュタグ上でもちょくちょく話題に上がることがあり、なんとなく気になって考えていたことを自分なりに言語化してみた次第。

ついでなんですが、多分「破壊衝動」や「支配衝動」などに置き換えて考えてもほとんど問題なく意味は通ると思われ、結局のところは人間が本来奥底に持っている本能的な欲望・邪悪さがニンジャソウル憑依によって曝け出されやすくなっているだけである、とも言えそうです。

こんなところになります。あくまでも個人的考察以上のものではありませんが、腑に落ちたという方がいらっしゃれば幸いです。
もしツッコミどころなどあればガンガンお願いします。

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