note用イカ

ニンジャスレイヤー二次創作:ウォーカラウンド・ネオサイタマ・ソウルフウード:屋台のイカケバブ

 今日は思いがけずツイていた。というのも、俺の仕事――他人の脳内へと潜り込み、トラウマを治療するサイコセラピーだ――の依頼人が施術結果にいたく満足し、その場で追加料金を手渡してきたのだ。元々深刻な悩みを抱えている人間からの依頼が多いため、このようなことはそこまで珍しいわけでもない。しかし感謝の言葉とともに受け取る紙幣のありがたみは、いつだって骨身に沁みるものだ。

「これも日頃の行いッてやつかなァ」俺は頬を緩ませて夜の喧騒の中を歩く。ジーンズのポケットに手を突っ込みながら、自然といつもより胸を張っている。今ばかりは、酔っぱらい同士の叫び声も喧しいだけの宣伝音声も、ただの風変わりなバックミュージックだ。

「……そろそろ、腹減ってきたな」それまでの良い気分は唐突な空腹感により遮られた。ユメミル・ジツによるニューロン潜行治療行為はニンジャとのイクサほどではないにせよかなりの神経を使うし、栄養だって相応に消費する。ぼちぼち胃に何かを入れときたいところだ。臨時収入が入ったことだし、ここはひとつ高い店でパーッと……!

 そこまで考えて、俺はぶんぶんと首を振った。この魔都ネオサイタマにおいて、そういう享楽的な考えが一番ヤバイ。アッパーガイオン時代とは何もかもが違うのだ。カネのある無しで痛い目を見たことは何度もあるし、今の仕事もそれほど儲かっているわけではない。平時のポケットマネーは少しでも余裕を持たせておく方がいいに決まってる。

「テキトーになんかつまんで帰るか……」浮かれていた己の頭に冷水をぶっかけるように、屋台街の方へと足を進めた。それなりに安く美味く腹を膨らませるならあそこだ。様々な食材や調味料の良い匂いが漂い始めると、冷えていた思考もすぐに食欲という名の熱を帯びてくる。人間って現金だよなあ……。

 到着すると、晩メシ時とあって中々に賑わっていた。そこかしこで威勢のいい呼び込みの声が響き、文字通りの熱と活気に満ち満ちてやがるぜ。実際当たり外れも大きいけど、少なくとも俺は画一的極まりないファストフード・チェーン街なんかよりも、こういったトコの方が気に入ってる。まァ、もちろん最初はかなり驚かされたんだけどさ。

 さて、そうなるとどこで何を食うかだ。何しろ遥か向こうまでズラリと並ぶ、屋台、屋台、屋台!「ソバ」「そでん」「テッパン」「オモチ」といったノボリやチョウチンが隙間なく自己主張してるもんだから、ウカツに「どれが一番ウマそうか」なんて罠にハマっちまったらもう食事どころじゃなくなっちまう。

 こういう時はインスピレーションだ。ウダウダ悩むよりも、自分の直感を信じてズバッと選ぶのが、良い結果を生んでくれるもんだ。「お?」立ち並ぶ屋台をざっと見回していると、ある店が目に入った。「イカ」のカンバン。……いや、イカもいいんだが、それ以上に目を引かれたのが店主だ。「ラッシャイドッソイ!!」

「へぇ……スモトリ崩れがイカ屋台ね」チャンコ屋とかやってる元スモトリってのはよく聞くんだけど、こんなとこでイカ焼いてるスモトリは中々お目にかかれないだろう。物珍しさもあって、俺は早足で近づいていく。何より俺はイカが好きだ。網の上でパチパチと音を立てて焼かれるイカの匂いはもちろん香ばしく、空っぽの胃を騒がせてくる。見た感じそこそこ繁盛しているようなのも、俺の背中を後押しした。

「ラッシャイドッソイ! オッ!ネエちゃん、何にする?」カウンター席に座った俺に、スモトリ店主が声をかけてくる。近くで見ると視界の大部分を埋め尽くさん勢いの体格で、迫力がスゴイ。見た感じまだ兄ちゃんと呼んでも通る年齢のようで、笑顔はいかにも人が良さそうだ。そのギャップがうまくプラスの印象を与えている。はやる食欲を抑え、メニューに目を通す。いくつかの種類のイカケバブ。あとはサイドメニューといったところで、実にオーソドックスだ。

「じゃ……このフツーのショーユダレで」「ヨロコンデー!」そういうと店主は準備されていた串刺しのイカを何本も網にセットし、ハケでタレが塗られていく。おそらく現役時代と大差ないであろう巨躯であるにも関わらず、その動きは俊敏かつ繊細で、一端のプロのイカ焼きであることをまざまざと見せつけられる。「焼けるまでちょいと待ってておくれな」「アッハイ」出されたチャを何口か飲みながら、イカと一緒にジュウジュウと音を立てるショーユダレの匂いに包まれる。これは中々に……ハードだぜ。

「アー、その……スモトリ、やってたンですか?」俺は空腹感に抗うべく話を振ってみた。スモトリ店主はテキパキと調理を行いながらも、歯を見せながら笑い、応えた。「そうなんだよ! ガタイだけデカくてもやっぱダメでねェ、俺ァ他の連中みたいに無茶する根性もなかったから……」一瞬、スモトリ店主の笑顔が曇ったように見えた。「こうしてマワシ締めずにイカ回してるようになったってわけだ! ハッハッハ!」が、すぐに元の調子を取り戻してみせた……ようだ。色々と苦労してんだろうなァ。最も、苦労の度合いで言ったら俺もそうそう負ける気はしねぇが……。

「それ俺ン時も聞いたぜ!」「なんも上手くねェっつぅの!」常連と思しきおっさん連中がヤジを飛ばす。俺はそれを見て、つられて吹き出しそうになってしまった。「大体よォ、今のリキシリーグはファックオブファックだぜ! 何もワカっちゃいねぇ!」「おうさ、あンなもんに屈しなかったおめェは正しい! 胸張れよ! サケおかわり!」「おいおい、ありがたいけど、あんまり横で盛り上がるとネエちゃんが困っちまう。なぁ!」皆すっかりできあがってしまっているようだ。確かに騒がしいのはあんまり得意じゃないが、人の和ってヤツを感じる空間を邪魔するほどヤボじゃない。「アー、俺のことは別に……」

「オッ、焼けた焼けたァ! オヤジどもがうるさくしちまったし、コイツはサービスさせてもらうよ!」スモトリ店主の言葉に、俺はやや面食らう。「エッ、いやそりゃ悪ィよ……こんなウマそうなイカだしさ、払うって」「いいっていいって、こんなカワイイなお客さんなんて滅多に来ないもの!」そこでスモトリ店主はニカッと笑ってみせた。常連のおっさん達がそこでまたドッと笑い、めいめいに野次を飛ばす。「アー、じゃあ……いただきます」カワイイと言われるのは未だにあんまり慣れないが……厚意を受けて断り続けるのはシツレイに当たる。愛想笑いを返しながら、串を受け取った。

 渡されたイカは大きすぎず小さすぎず。食べ歩くのに手頃なサイズだろう。さすがにこれ一つで腹一杯とはいかないが、小腹を満たしたい時にはちょうど良さそうだ。しっかりと塗られたタレが妖しく光っていて、思わず喉が鳴った。焼き立てのイカ肉にフーフーと息を吹きかけて、「どれどれ……」耳からかぶりついてみると、その感触は思った以上に……柔らかい!

「お……おっ……!」すんなりと噛みちぎり、咀嚼。タレの風味が口、鼻、脳へと広がる。これは……文句ナシに美味いぞ! いや、イカ自体の味は正直それほどでもないんだが……コリコリとした弾力を失わない程度に柔らかく仕込まれていて、食感のバランスが絶妙でたまらない。タレも見た目ほどしつこくなく、ピリッとした風味がアクセントとして加えられており、むしろサッパリ系だ。

 これまでネオサイタマで色んなイカケバブを食ってきた俺にはわかる。こういった屋台で出るようなイカケバブとしては、十二分に良質な一品だ。業務用の安いイカに安いタレを塗りたくっただけの、文字通りジャンク極まりないヤツもありふれてるってのに……! ここのは素材の安さを工夫で補っているタイプなんだろう、うん、イケる……イケるぞ!舌鼓を打ちながら、三口、四口と食べ進めようとした……その時だ。

 目の前がスパークするような感覚。鮮烈な真紅の火花が飛び散るようなビジョンとともに、俺は「交代」させられた。この身体の、本来の持ち主に。

「アー……あむっ」

 イカとの出会いを存分に味わっていた幸福感は、即座に失われた。そして、「彼女」があっという間に……残っていたイカケバブを平らげてしまったのだ。ニューロン越しの、俺の目の前で。「いいじゃん、ウマいよこれ。……お前またこういうの独り占めとかさァ、ダッセんだよ」スモトリ店主たちは、急に様子の変わった俺を、怪訝な目で見つめていた。「どうしたんだい、ネエちゃん……ンン?」まぁ、髪の色まで変わっているのだから、無理もないが……。

「おっさん、もう一本くれよ」「エッ、ア……ヨロコンデー」既にいい具合に焼かれたイカを差し出す店主だ。彼女は受け取り……俺はそこで我に帰り……声を上げた。「いやちょっと待てッて! さっきのは俺の……」「アイエッ!?」スモトリ店主が驚きの声を上げる。また俺の髪色が黒に戻った上にわけのわからぬことを言っているのだから当然の反応だが、今の俺にとって最早そんなことはどうでもよかった。

「俺のイカ……!」「は?アタシのおかげでオマケしてもらえたんだろ? ならアタシにも食べる権利あるし」「それは……その通りかもだけどさ……」「うん、向こうで食うイカよりも断然ウマいね。スモトリ、やるじゃん」「ド、ドーモ……」一人芝居じみた交代に次ぐ交代も虚しく、俺の抗議は真っ向から切り捨てられ、彼女はお構いなしに二本目にかじりついている。

 表に出ていない間も感覚自体はある程度共有しているので、俺の方にも味自体は伝わるが……あの食感をダイレクトに味わえなければ美味さも激減だ! 俺は生殺し気分で、ニューロン内をゴロゴロと転がり回った。しかし無理に主導権を奪い返すのも気が引ける……元よりこの身体は彼女のものなんだし。ああ、どうすりゃいいんだ!「サケある?」「ああ、あるよ……カップ、300円」「それでイイや。もらう」

「……おめェさん、なんか大変そうだなァ」「二重人格ってヤツか!? すげぇ! 初めて見たぜ!」「ん? うん、なンかそんな感じのアレだよ。ウケるだろ」イカを肴にサケを呑み進める彼女は、客のおっさん連中に対して無愛想に応答した。「……そうか、二重人格ねぇ……ネエちゃんも色々あったンだなぁ」スモトリ店主は何やら一人でうんうんと頷いている。何やら誤解させてしまって……いや、あながち誤解とも言い切れないんだが。

「ホンット、イカ好きなのなァ……ンー、ごちそうさん」彼女はぶっきらぼうにつぶやき、イスにもたれかかった。まあ……普段俺よりも表に出る頻度は少ないわけだし、少しでも楽しんでくれたんならいいよな。うん……。「……」

 すると彼女は突然立ち上がり、紙幣を無造作にスモトリ店主へと突きつけた。「勘定ついでにテイクアウト。もう一本な」「……オウ、ちょっと待っててくんな!」すっかり俺たちのことにも慣れたようで、再びイカを手際よく焼いていく。「よく食べるなァ……」「ア? 何? いらねエの?」「エッ? まさか……俺の?」俺は反射的に聞き返した。「食いたいんだろ? イカ」そこで俺はやっと理解した。彼女なりの気遣いというか優しさというか、そういうやつなのだ。……多分。

「アッ、食う! 食いたい! いただきます!」「……お前がアタシのことどういうヤツだと思ってるか、よーくわかった」「そりゃ誤解だッて!」「フーン。まあいいや、こんなに屋台あるんだしさァ! イカだけで済ませるわけないよなァ!」「えっ、ちょっ、待っ……!」スモトリ店主から透明プラスチック容器に入ったイカをひったくると、彼女は回転ジャンプ着地して、肩の筋肉を大きく伸ばした。「お前身体ナマりすぎ……!」

「なんだもう行くんか、変なネエちゃん!」「最後までおもしれェなオイ!」「ガンバンナヨ!」「ン」彼女は一瞥もせずに手を軽く上げる。「おいおい……エート、イカごちそうさま! また寄れたら寄るよ! オタッシャデ!」すっかり彼女に肉体の主導権を握られた俺は、交代してそれを言うのが精一杯で……「マイドアリドッソーイ!」俺たちは地平線の向こうまで続いていそうな屋台群へと繰り出すことになったのだ。「貯金は……少しでもできりゃいいか」


【屋台のイカケバブ】
イカケバブはイカの胴体から上をまるごと串に刺して焼いた、ネオサイタマではありふれたファストフードである。イカの風味や食感が一般に広く好まれていることや、調理方法が原始的かつ材料などの調達も容易なことから、屋台のような小規模型店舗で手軽に買える定番メニューのひとつになっている。一方、提供される品質もまた極めてピンキリで、あらゆるコストを極限までカットした「イカケバブの形をした何か」を平気で売りつける連中もいれば、そのシンプルさ故に、様々な創意工夫を凝らして真っ当に客を掴もうとする人間も多い。


「……む」俺の意識を現実に引き戻したのは、部屋へとエントリーしてきた娘だった。「メディテーション……じゃないっぽいね、珍しいの」「お前か。入る時はちゃんと一声かけろって言わなかったか」「しーまーしーたー」ピシャリと放った一言は、それはそれは呆れ返ったような声で一蹴されてしまった。……そんなに深く耽っちまってたのか、俺は。

「うっ、そ……そりゃ悪かった。謝る」「はい、よろしい」うーん、ここのところどんどん達者になってきたなこいつは。まあ子供ってのはそういうもんなんだろうが……難しい。俺は軽く咳払いをした。「……で、何の用なんだ」「あ、そうそう。今日のご飯。たまには何か変わったもの食べたいんじゃないかなーって」「アー……。ここのところ魚づくしだったし、確かにたまにはだな……ありがとうよ」「なにがいい? いつも通り、あんまり難しいのはナシね」

 そうだな……と思案するポーズを取ってみる。と言っても、今このタイミングじゃ、もうあれしか思い浮かばないんだが。「……イカケバブだな」「エ? なに?」「だから、イカケバブ。わかるだろ」「……結局シーフードじゃん。しかも何そのチョイス。お酒でも飲む気?」まるで俺の方が怒られている子供みたいじゃないか。急いで言い訳……もとい、説明を始めた。

「いやそれはあれだ……ちょっとした思い出っつーか……昔ちょっと好きで、な」「昔……昔ねえ、フーン……そっかァ」娘は何やら妙に納得したような表情を浮かべている。一体何をそんなに頷いているんだ。これも成長ってやつなのかなんなのか、この年頃ッてやつは本当にわからないもんだ。ともあれ俺は食事を取るべく、娘と一緒に部屋を出た。こんな生活をしていると時間間隔が鈍くなってきちまうが、もうあれから何年経ったんだっけな……まあ、縁があればまた会えるさ。人生ってのは、きっとそういうもんだ。


スシが供給されます。