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魔法使いと竜の卵 −その2−アリアトの密命

竜の仔の物語 –序章– 魔法使いと竜の卵

−その2− アリアトの密命


 アムストリスモから魔法学校の長が訪れた旨を聞くと、自室に籠もるレムグレイド九世は重い腰をあげ、謁見の間に出向いた。

 「久しいな、ウリアレル。」レムグレイド王は玉座に着く前に、大きなあくびをしながら言う。玉座の旁らに近衛兵の他に、二人の王国付きの魔法使いがすでに控えている。

 「お久しぶりです、王。」ウリアレルは顔を上げずに言う。王は手をひらひらと振りかざし、魔法使いに顔を上げさせる。

 「形式ばった挨拶などいらん。友よ。」王は親しげな笑みを浮かべて玉座に座る。

 「・・して、今日は?」

 「はい、わしが呼びつけました。」ウリアレルの代わりにアリアトが答える。「白の塔に保管しておる、ポーチュンの骨を弟子に譲ろうかと。」

 王はまるで興味なさげに頷くと、もう一度あくびをする。「それは珍しいものなのか?」

 「はい、魔法使いにとっては。」

 王は、そうか、とだけ言う。そこで会話が途切れる。

 「とてもお元気そうで。」ウリアレルはにこやかにいう。

 王はぎろりとウリアレルを睨み、「これが元気そうに見えるか!」と、渋い顔をしてそう言い、それからにやりと笑う。

 「お前も老けたが、我も老けた。近頃は退位も・・」

 「王。」そこで黙っていたサァクラス・ナップが言葉を遮る。「ここは玉座の間です。」彼女が静かに王を諭す。

 「うむ。すまんすまん。」王は頬を掻く。

 「我の娘には会ったか?我のラフラン姫には?」王は突然話題を変える。

 「いえ、未だ。」

 「そうか・・。」王は残念そうに言う。その様子を女魔法使いがじっと見つめる。王はひたすらに居心地が悪そうにしている。

 「ウリアレル。すまんが我は忙しいのだ。話がそれだけなら、もう下がってもよいぞ。」王はそう言うと、早々に玉座から立ち上がる。

 「では、その、我が国の宝、その、なんだ、骨か? お前にくれてやる。それでよいな。」王はそう付け加えると、ウリアレルの言葉も待たずに、従者たちを引き連れて、玉座の間を去っていく。

 「相変わらずなお人じゃな。」アリアトが蓄えた白髭をなでる。

 「いや、余計な手間を取らせました。」

 ウリアレルは形骸的な謁見を終えると、早速アリアトと共に白の塔へと向かう。



 「王都は変わりないようですな。」白の塔へと向かう中庭でウリアレルが言う。「王も変わらずで。」含みのある言い方をして、にやりと口角を上げる。

 「はっ!」アリアトが笑う。「あれは、退屈病じゃ。王は武人だでな。内務仕事にうんざりしているのじゃ。」半生を王国で過ごした老魔法使いが小言を言う。

 「なぜ世継ぎのご子息が二人もいて、姫の話を?」

 「ああ、可愛くて仕方がないのだろう。齢五つにして王自らが剣の才を認めたらしい。」アリアトは続ける。なんでも上の二人は内務のことはそれなりらしいが、剣の才能は今ひとつだという。

 「よりにもよって、女の子とはな。」アリアトが再び笑う。

 「王らしいですな。」ウリアレルも笑う。マール・ラフラン・レムグレイド姫。そういえば未だ一度もお目にかかったことがなかった。

 「で、サァクラス・ナップ殿は?彼女の前で、王もずいぶん遣り難そうにしている様子でしたが。」

 「うむ。しかしあれはあれでよくやっているようじゃ。内務はほとんど彼女に任せている。・・まあ、かなりの堅物だがの。それも若さ故じゃろう。」

 タイロン大陸から亡命してきた若き女魔法使い。非常に優秀でほんの数年で王国付きの地位に上り詰めたと聞く。

 「すみません。いろいろ聞いてしまって。王都の事情には疎いものでして。」

 「いや、構わんよ。王都の事など、結局すべて安泰であるが故の憂慮でしかないでな。それに・・、」アリアトの眉に隠れた瞳が急に険しくなる。

 「お前にはずいぶん無理な頼みごとをするつもりじゃからの。」そう呟く。

 二人は白の塔へ入る。急な螺旋階段をゆっくりと歩を進める。最上階に着き部屋に入るとアリアトは辺りを見渡し、鍵をかける。それからさらに扉に二重に魔法をかけて警戒する。

 「これからの話、他言を許さぬ。」そんなことを言う。明らかにいつもと違う師の態度に、ウリアレルはただならぬ事態を予想する。

 アリアトはベッドの下に隠していた箱を取り出す。鍵を開けると、赤い石のような物体が入っている。

 「卵、のようですが。」

 アリアトは黙って頷く。二人は、見たこともない文様が施されたそれを眺める。よく見ると文様は緩やかに輝きながら、その模様をゆっくりと変容させている。

 それから、アリアトは昨夜この部屋に訪れた朱い髪の少女の話をする。少女はどこからともなくこの部屋に現れたという。

 「ちょっと待って下さい。その少女は、肉体そのものを転移させたということですか?」だとすればそれは天大魔法、失われた大魔法。それだけでもとんでもない話だ。

 「うむ。だが、わしが体験したことに比べれば、そんなもの、大した魔法でもない・・。」アリアトは静かに言う。それから、その少女が自分にかけた幻視の話を語りだす。

 それはまさに筆舌し難い体験。何万年も宇宙を彷徨った記憶や、遙かに進んだ文明と愚かな人間の所業。そして竜に焼かれていく世界。それを他人に伝えることは間違いなく不可能であろう。老齢の魔法使いは辛そうに語る。

 まるで前例のないその話にウリアレルは驚きを隠せない。すべてが信じがたい上に、その所業は人智を越えている。

 「それではアリアト様が見たものが、未来のベラゴアルドの姿だと?」

 「いや、わしが見たものは、過去に起こった現実だと考えておる。」

 ウリアレルは考え込む。彼は師のその体験をあらゆる知識や古文書と照らし合わせ、それから静かに呟く。

 「セオは三度 世界を焼き尽した。」

 アリアトは頷き、顔を拭い髭を撫でつけると、肘掛け椅子にゆっくりと座り込む。見れば師の顔には玉のような汗がびっしりと浮かんでいる。

 「わしは、昨夜のことを思い出すだけで、今でも暗い闇に彷徨っている気がしてならなくなる。我々の行く末があの幻視と同じ道を辿るとすれば・・、」

 「セオが世界を焼き尽くしに飛んでくる、ということになります。」ウリアレルは辛そうに話す師の言葉を繫ぐ。

 「・・それでは、昨夜現れたその少女がセオだとお考えで?」

 「わからぬ。だが、あるいはその使いか何かかも知れん。確証はないが、そう考えるほうが、つじつまは合わぬかな。」

 魔法使いたちは黙り込む。お互いの心中で様々な憶測が飛び交うが、二人はそれを口にしない。

 「ひとつだけわかったことがある。」アリアトがそう言い、卵を持ち上げる。

 「わしはこれを竜の卵だと確信しておる。」アリアトはそう断言する。




 窓辺から陽が差し込み、陽だまりをつくる。冬の陽射しが部屋を暖める。外からキタキが二羽飛んできて、窓辺に停まる。二人の魔法使いは気にしない。その野鳥が、魔法で変身した何者かであるはずがないことを知っているからだ。白の塔は、外部からの魔法の干渉を一切許さない造りとなっている。

 「それで、この卵をどうするおつもりで?」ウリアレルが口を開く。

 「お前はどう考える。」アリアトが聞き返してくる。

 ウリアレルは師の承諾を得て卵を持ち上げてみる。両手で収まらないほどに大きな卵だ。念のため魔法を込めてみるが、彼の思惑通り、それは魔法を通さない。

 「葬り去る、というお考えは?」

 アリアトは黙ったまま窓辺へ行き、野鳥にパン屑をあげる。どうやら老人の朝の日課となっているようだ。

 「・・壊すか、見守るか。」アリアトが口を開く。「結局はその判断を託されたということなのじゃろうな。」遠い目をする。

 「破壊する、となると、容易なことではないでしょう。ドラゴンの卵はアリアルゴ銅よりも固いとされています。」

 野鳥が窓辺から飛び立つ。アリアトはゆっくりと肘掛け椅子に戻り、小刻みに震えながら座り直す。昨夜の出来事のせいか、ウリアレルにはその師の姿が以前よりもずっと老け込んでいるように感じ取れる。

 「破壊は、もとから考えておらん。」

 その言葉にウリアレルは深く頷く。それはそうだろう。だとしたらこうして内密に自分を呼び出すはずもない。

 「わしは遙か茫漠なる闇のなかで、何度も正気を失いかけた。いや、こう言うのも変じゃが、何度も気を狂わせていた。」アリアトが静かに語り出す。

 「その度に、どこからともなく光がやってきて、わしはそれを食べると、正気に戻ることができた。わしは何万年もの間、それを繰り返し、精神を保っていた。」

 「・・光とは?」

 その質問にアリアトは首を振る。

 「あれが何だったのか?・・確証はまるでないが・・ひとつの確信はしておる。」

 ウリアレルは師の言葉を待つ。アリアトはしばらく思案に耽り、言葉を選ぶように話を続ける。

 「・・その昔、わしが若かりし頃、妖精の国に出向いた時、妖精王ルーアン様が妙なことを口にした。」

 妖精の国。魔法使いでさえも見つけることすら希有な幻の王国とその妖精王。ベラゴアルドの民と共にドラゴンを退けたとされる神々。平和になった後、この大地に残ったとされる、四の神々のひとつ。妖精王ルーアン。

 「はじめてお目通りしたわしを、どういうわけかルーアン様は知っている様子であった。・・そしてこんなことを言ったのだ。」

 『遙か昔に、我はお前を救ったことがある』

 「ルーアン様は記憶を失っているが、そのことだけは確かに憶えている様子じゃった。・・そして、昨夜の幻視、あの体験で、わしもはっきりとわかった。」

 「その光がルーアン様だと。」ウリアレルは言葉を繋ぐ。

 「うむ。そして、ルーアン様は光をわしに差し出す度に、・・いやその光をわしが食べる度に、なぜだかこう感じたのじゃ・・。」

 竜の仔を助けろ。

 アリアトは低い声で、呟くように囁く。


◇ 

 

 老いたる師は、話が終わると気絶するように眠ってしまった。無理もない。アリアト様にしてみれば、何万年の時を経ての会話だったのだろう。だとすれば、立っているのもやっとだったに違いあるまい。

 ウリアレルは師が目覚めるのを待たずに、白の塔を後にする。その手には箱に収まった竜の卵が託されている。

 「わしの立場では、この卵を見守ることは叶わぬだろう。」師はそう言った。彼が考えてみても、それは明らかだった。

 王国付きの魔法使いが竜の卵を匿っているということが知れたら、王国は間違いなく卵の破壊を命じるだろう。

 それは容易なことではないが、王国の技術の粋を集めてでも、いつかは破壊に至るだろう。竜の呪いが降りかかろうとも、王国は必ずそれを成し遂げるだろう。どんな事情があろうとも、魔法使いがどんなに説得を繰り返しても、王国は竜の卵の存在を許さないだろう。

 人間とはそういうものなのだ。平服か、死か。いつの世も蛮行を美談として英雄譚は生まれる。力ある者には決して屈服しないという、野蛮と勇敢が並列し相反する感情を合わせ持ち、それを美徳とする。それが人間の強さであり、弱点でもあろう。

 ウリアレルはそんなことを考えながら中庭を抜け、宮廷の廊下に入る。彼はもう一度箱を見つめる。

 あるいは、ベラゴアルド大戦での、神話においての竜の所業が広く知られているこの世界で、ドラゴンを庇うという行為自体が狂気じみているのかもしれない。

 しかし、アリアト様の言葉を信じぬわけにはいかぬ。師であり、ベラゴアルド一の大魔法使いの予感を無碍にするわけにはいかぬ。ウリアレルは決心を固める。わたしはこれからの生命のすべてを、この卵に託すことになるだろう。おそらく学園を捨て、この地位を捨てようとも、この使命に代え難いものなどないだろう。

 魔法とは啓示を識ることである。様式を識ることである。そして、すべての詞の意味を識ることである。

 彼は若かりし頃に聞いた、師の教えを思い出す。何度も繰り返してきた言葉。学園で子どもたちに何度も教えて来た言葉をおもいだす。


 そんなことをあれこれ思案しながら、王宮の長い廊下を足早に歩いていると、背後から声をかけられる。

 ウリアレルが振り向くと、そこには若き魔法使い、サァクラス・ナップが立っている。


−その3へ続く

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