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魔法使いと竜の卵 −その3−レムグレイドの猟兵


竜の仔の物語 –序章– 魔法使いと竜の卵

−その3− レムグレイドの猟兵


 「もうお帰りですか。」サァクラス・ナップがウリアレルに近づき、声を掛けてくる。

 「ああ、師が居眠りをはじめてしまったのでな。」

 そう言いながらウリアレルは若き女魔法使いを観察する。整った顔立ち。浅黒い肌。両方の目元には赤い入れ墨が口元まで引かれている。なんでもそれは、タイロン人の奴隷の印だそうだ。

 「そうですか。」

 サァクラスはそれだけ言う。静かで落ち着いているが、どこか愁いを帯びた声。タイロン国は今だ魔法の存在を認めてはいない。かの国では、だいぶ苦労もしたのかもしれぬ。ウリアレルはそんなことを思う。

 「いやはや、寄る年波には勝てぬのでな。このような日よりには、老人はなにかと眠くなるものです。」他愛のない話をする。

 「そうですか。」サァクラスはぼんやりと言う。

 しばしの沈黙が訪れる。彼女は何も言わずただ初老の魔法使いを見つめている。

 「・・それでは、急ぎますので、わたしはこれで。」ウリアレルは話を切り上げることにする。思い返せば彼女とはそれほど交流を持たない。

 「そうですか。」彼女は三度、同じことを言う。ところが、どういうわけか、その瞳はウリアレルを捕らえて放さない。タイロン人特有の青身がかった髪。同じく深く碧い瞳。若くして左眼が虹色の、魔法使いの眼をしている。

 しばらく二人は見つめ合う。ウリアレルがほほ笑みを絶やさずにいると、彼女は緩慢に目線を外して、「それではまたいつか・・。」と呟く。

 それから彼の元をゆっくりと通り過ぎる。

 ウリアレルが立ち去ろうとすると、「ああ、そうでした。」と呼び止められる。彼は聞こえないふりをしてそのまま歩き出すが、サァクラスは構わずに話かける。

 「ポーチュンの骨。わたしにも見せてください。」彼女がふたたび近づいてくる。

 僅かな緊張が走る。ウリアレルはそれを気取られぬようににこやかに振り向く。

 「あなたも知っての通り、ポーチュンの骨は強い毒を発する。」ウリアレルは鞄を拡げ、中の箱だけを見せる。「ここで広げるわけにもいきますまい。」

 しかしサァクラスは鞄すら見ようとはせず、またしてもウリアレルの瞳をじっと見つめている。

 なんなのだ?この人は。初老の魔法使いに不信感が募る。

 すると、サァクラスがゆっくりと口を開く。

 「・・つい先日、雨の中、飛ぶ鷹を見ました。」そんなことを言う。

 「鷹が燕を連れて飛んでいました。」

 「ああ、」ウリアレルは顔をほころばせる。努めて柔和な態度を取る。

 「お気づきでしたか。あれはわたしと、アムストリスモの者です。二人で魔法を帯びた雨の調査をしていました。」正直に言う。

 「・・おお、そういえば、その燕、ユニマイナと言いますが、彼女もとても優秀な魔法使いです。年頃もあなたと同じとみえる。そうですな、機会あらばいちど連れて参ります。きっと話も合いましょう。」箱から気を逸らそうと、つい多弁になる。

 「そうですか。」

 やはりサァクラスはぼんやりと、それだけを言う。ウリアレルは一瞬、彼女が何かしらの魔法をかけているのかと勘ぐる。しかしそんな気配は見て取れない。

 そうして彼女は、ふたたび緩慢な動きで踵を返すと、「それではまたいつか・・。」と同じことを呟いて去っていく。

 ウリアレルはその背中を少しだけ見守る。それから歩き出す。まったくの勘だが、彼女が何かしらを感づいていることを、彼は察知する。



 王都を抜け、北西の街道を進む。馬車を乗り継いでナイララという港町を目指す。鳥に変わればすぐにアムストリスモに到着できるが、ウリアレルはたっぷり二日かけて帰り道を行く。彼は不必要な時に魔法を使わない。優れた魔法使いは、魔法の使い所を滅多に見誤らない。

 ナイララに着き船を待っていると、案の定、追っ手がかかっていることに気がつく。船を待つ客の中に密偵がいる。商人を装った者が二人、それからあそこの老夫婦もそうだ。ウリアレルは船に乗り込むまでに、その人数を確かめる。

 ここで問題なのは、王国の手の者がどんな命令を受けているのかだった。追っ手を仕向けたのはサァクラス・ナップに間違いあるまい。ウリアレルは思案する。遠巻きに見張りながら、直接尋問に来ない所をみると、事を公にも大ごとにもしたくはないとみえる。

 しかし、それも本土だからこその動きかもしれん。ハースハートン大陸は名目上、王国の管理下にあるとはいえ、治安としてはかなり悪い。向こうの大陸に渡れば、多少手荒な真似をしたとしても、僻地の兵隊の不手際だとか、伝令の行き違いだとか、言い訳などいくらでもできよう。

 大ざっぱに考えれば、王国側は、学園に申し訳さえ立てば、わたしの身柄などどうでも良いとも考えられる。王との古い交流があるが故、友好的な関係を保っているとはいえ、わたしが直接王国に貢献した功績はほとんどない。そんな者がレムグレイドからの帰り道に失踪したとて、王国の痛手になることもなかろう。魔法使いは最悪の場合も視野に入れる。


 船に乗り込むと甲板に出る。寒空の中で外に出る者は少ない。旅の魔法使いと見て取った親子連れが近づいてきて、子どもに加護を授けてくれとせがむので、ウリアレルは小鬼除けの咒い(まじない)を施してやる。

 航行は順調で、密偵の者たちも甲板には姿を見せない。それほど切迫した命令は受けてはいないのかもしれない。ウリアレルは考え直す。それはそうだ。アリアト様に預かった箱が何なのか、単純にサァクラスはそれだけが知りたいだけなのだ。

 しかしこちらからしてみれば、それだけは、絶対に見せるわけにはいかない。彼女には申し訳ないが、真実を語ることはできないのだ。

 おそらくは、彼女からすれば、頑是ないのはこのわたしのほうなのだろう。

 それでもウリアレルは、念のために見通しの良い所を見つけると、純白のローブのフードをすっぽりと被り、寒さを凌ぎながら、甲板の上で過ごすことにする。



 港へ着くと、ウリアレルの憶測は、半分当たっていて、半分外れていたことがわかる。

 船着場の桟橋で兵隊が検問をしているのが見える。レムグレイドの駐屯兵、それからタミナの民兵も協力している。それは彼も予測していることだった。しかし、さらに背後には、風変わりの装備をした黒い兵隊が控えている。

 あれはレムグレイドの猟兵。

 ウリアレルは観察する。あれが本命のサァクラスの手回しだろう。駐屯兵には、ただ、老人の箱を調べろ、という命令が下っているだけなのだろう。おそらくその箱が、ポーチュンの毒を撒き散らす可能性があるということも、知らされてはいないのだろう。

 それに付け加え、あれはバンバザル隊だ。黒い鎧に施された青い小鬼の装飾。間違いあるまい。ハースハートンの知られざる精鋭部隊。命令遂行のためには手段を選ばず、死に神のように追い続けるという。

 「さて、どうするか。」思わず声が出る。船を下りると人混みに紛れる。見張りの密偵たちが距離を詰めてくるのがわかる。

 ウリアレルはローブのなかで杖を光らせて、幻覚と目くらましを混ぜ合わせた魔法をかける。

 バンバザル隊に司(つかさ)が混じっているのがわかる。あの司が幻の司(まぼろしのつかさ)だとすると、少々困ったことになる。そう思いながら魔法使いは橋桁を渡る。

 桟橋でひとりづつ呼び止められていく。兵士達が荷物や人相を確認している。旅人の列に紛れてウリアレルは通り過ぎる。誰も魔法使いに気づく様子をみせない。

 うまいことに、魔法は猟兵にも効果をみせる。彼らも人混みのなかに魔法使いを見つけることが出来ずに、ウリアレルを素通りさせる。 


 かなり離れた場所にくると、ウリアレルは振り返る。猟兵たちが肩をすくめる様子がみえ、船から尾けてきた密偵たちが首を振っている。

 「うまくいったようだな。」

 ウリアレルは街道を早足で歩き始める。彼はこれからのことを考える。学園に迷惑はかけられない。あそこには闇落ちする子どもたちを救い、導いていくという使命がある。そのためには、王国との関係は常に対等でなければならないだろう。人々は魔法の存在を大概軽んじている。武力や財産こそが人々を裕福にさせると信じている。学園は目立たず密やかに魔法を育んでいかなければならない。そのためには、この問題はわたし個人の問題とせねばならない。

 岬を南に進み、アムストリスモの学園都市が見える頃に、背後に違和感を感じる。どうやら猟兵が後を追って来ているようだ。ウリアレルは精神だけを頭上に飛ばし、追っ手の位置を確認すると、バンバザル隊が着実に距離を詰めてくるのがわかる。

 街道を逸れ、草むらに入る。都市を迂回してぐるりと回りこみ、秘密の抜け道から学園に入り込もうと進む。

 草むらを進むが、一向に背後からの違和感が拭えない。ウリアレルはもう一度精神を上空へ飛ばす。やはり猟兵が二人ずつ、感覚をあけて後ろから付いてきているのがわかる。

 「どうやら司の力を頼り、追って来ているわけでもなさそうだ。」ウリアレルは独りごちる。猟兵が僅かな手掛かりを辿り、こちらに向かってきているのだろう。

 「レムグレイドのレンジャーはずいぶん優秀なようだ。」ウリアレルはそう呟くと、左に折れ曲がり、もう一度街道に出るためのけもの道を歩く。

 街道に出て、都市へと続く坂道を中腹まで進むと、ウリアレルはローブを脱ぎさり、トネリコの杖に被せる。するとローブはむくむくと動き出し、彼と同じ姿になる。

 「後は、ミダイ殿ならうまくやってくれることだろう。」

 ウリアレルは、彼の代わりにアムストリスモ学園へと歩き始めたローブと杖を見送る。それからもう一度、草むらに潜り込み、東を目指す。



「妙だな。」

 目つきの悪い男がしゃがみこみ、呟く。街道の坂道を歩く魔法使いを見つけたバンバザル隊が集結する。

 確かに魔法使いが街道を歩いていくのが見える。しかし、この場所から先で足跡だけがぱったりと消えている。

 男は楊枝代わりの藁くずをしがみながら、ぬかるんだ道に足跡の代わりに残された、小さなくぼみに指を触れる。

 「おい、司、どうなっている?」男の指示で後ろにいた司が前に弾かれる。男は司を睨む。

 「わ、わからんよ。」司の男が震えた声でいう。

 「おれはただの杜の司(もりのつかさ)だ。小鬼除けの咒具を売って身を立ててる。せいぜい魔法といえば、獣を罠にかけたり、毒草を見分ける力が使えるだけだ。」

 そう言う司の男を隊の部下が小突く。

 「ちぇっ、まるで役立たずじゃねえか。」口々に罵る。

 「大体、司風情に金を払い、魔法使いを見つけろなんていうのが無茶過ぎるんだ!」司が言い訳をすると、痩せた男が胸ぐらを掴み軽く殴り飛ばす。

 「よせ、ジジマ、そいつに当たってもしかたがない。」ジジマと呼ばれた男はそれを聞くと大人しくなる。

 「隊長、どうします?このまま追いますか?」別の男が指示を仰ぐ。

 バンバザル隊長は藁くずを唇で弄びながらしばらく思案する。

 「お前達はこのまま学園へ向かうじじいを追え、五人ほど、おれとジジマに付いてこい。」そう言うと立ち上がり、司を睨む。

 「お前もおれと来るんだ。」バンバザルが司を睨む。

 「も、もう、金はいらないから、勘弁してくれ。」

 そう懇願する司の男の襟首を掴むと、バンバザルらは、草むらへと入り込んでいく。



−その4へ続く


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