note_h_4_その3

銀と金 −後編


「そういうことか」

 アイカレが杖で痩せた細ったミルマを小突く。彼女は何の反応もしない。すでに気力が尽きてしまったのだ。

 「お前がたぶらかしたのか」アイカレはもう一度彼女を小突き、そうして杖を振り上げる。

 そこで反射的にルグは前へ出る。しかし、彼はなぜそうしたのかが自分でもわからない。

 ぼんやりと佇むルグを見ると、魔法使いは安心し、ルグの肩を強かに打ち付ける。そして何やらぶつぶつと呪文を唱える。するとルグは、立っていることも出来なくなり、魔法使いの足元に跪く。

 それからアイカレは手下を呼び寄せる。ほどなくして、男たちが三人ほどやってくる。

 「こいつらを研究室へ運べ」

 しかし手下たちは誰も動かない。

 「どうした?聞こえなかったのか?」

 三人の男たちは顔を見合わせ、黙って佇んでいる。怯えてはいるが強い反発心をアイカレは読み取る。

 「…もうあんたには従えねぇ」一人の男が口を開く。

 「…アイカレ様、あんたはおかしくなっちまったんだ」もう一人が言う。「おれたちははじめ…その…あんたは子どもが趣味なんだとおもってたんだ」別の男が怯えながら言う。

 「…けど、あんたが怪しい研究をはじめてから、あんたは…まるで、魔物みてぇになって…ひっ!」彼らの言葉を遮るようにアイカレは黒い煙となり、三人の間に現れる。その枯れ木のように長い背丈で、手下のひとりを見下ろす。

 「研究をはじめてからだと?」真っ黒な瞳が睨む。雷鳴が鳴り、続けて強烈な光が魔法使いを照らす。顔の半分の黒い空洞はその輝きにも照らされず、代わりにその闇の中で、赤い血管のようなものが蠢く。

 「研究は、おまえらが小便を垂らしている頃からのものだぞ!」アイカレが杖をかざすと、一人の男がへたり込む。

 「お前らに何が分かる」もう一人の男もへたり込み、涙を流しながらべろべろと魔法使いのブーツを舐めはじめる。

 「お前もこうなりたいか?」アイカレは残った手下を睨む。

 「早くこのガキどもを連れていくんだ」

 「ひぃぃ」残された男は恐怖に引きつった顔でアイカレに従い、ルグとミルマを研究室へと運んでいく。



 雷光が何度も続き、音が遅れずにやってくる。

 ルグは寝台に寝かされ、拘束具を取り付けられる。ミルマは隣で肘掛け椅子に座らされるが、彼女は生気の無い目つきで、ぼんやりと俯いている。

 「さあ、血を全部抜き取ってやろう」先ほどからずっと、アイカレは血を抜き取るための器具を探してはいるが、部屋が散らかりなかなか見つけ出せずにいる。

 「ルグ、お前は死ぬだろうがな。…もういいだろう? お前は誰からも必要とされていないのだ。お前のようなやつは、もう用は無いのだ」

 杖を使い、魔法で床に散乱した器具を全て持ち上げる。どこにある、どこにある、そう呟きながら部屋をさらに散らかしていく。枯れ木がひひひと不気味な声で笑う様子が稲光に照らされる。

 「…だが、…もしかしたら、この娘はライカンになれるかもしれないぞ」雷鳴が低く響き、魔法使いの狂った顔が断続的に映し出される。

 「おそらく、お前らはどちらも死ぬだろうがな」甲高い笑い声。「けっ、けっ、研究には失敗がつきものだからな」何が可笑しいのかいつまでも笑い続ける。「わるくおもうなぁよぉ」

 器具を見つけたアイカレが振り向くと、奴隷の娘が椅子に座っていないことに気がつく。しかし、すぐに銀の寝台に立つ娘を見つけると、にんまりと三日月型に口元が裂ける。



 …げ…て。

 …に…げ。

 声がする。ルグはぼんやりと声を聞く。

 「…逃げて」

 聞き覚えのある声、頭の奥底で鳴り響く高い声。瞼の裏で亜麻色の髪の毛が揺れる。

 ルグは目を開ける。そこには、がりがりにやせこけ、髪の抜け落ちた少女が見える。

 「…ルグ、あなただけでも…、」逃げて。少女が何度もルグの名を呼ぶ。

 ミ……ルマ? 

 「…ミルマ」ルグは声を出す。

 ミルマ? 誰だろう。自分を呼ぶその声は、…自分が呼んだ、その名は、誰なのだろう?

 「いけない子だ」

 アイカレが杖を振りかざす。ミルマが宙に浮き上がり、椅子に引き戻される。見えない指で彼女の首が締めつけられる。

 「だめじゃないか、ちゃんと座っていなければ…」歯の抜けた丸い口蓋からねばつく涎が延々と垂れ続ける。

 「ル…グ…」その名を呼ぶのを最後に、ミルマは意識を失う。



 それからアイカレはルグの腕に針を刺す。血液が管に伝わり、片方の針からぽたぽたと滴る。その針はミルマに向けられる。痩せこけた少女の腕に、針が食い込む。

 右手の拘束が解けている。ルグは反射的に右手を動かし管を持ち上げ、思い切り引き戻す。管が途中から千切れ、大量の血液が飛び出し、魔法使いの醜い顔を真っ赤に染める。

 「このくそガキが!」

 アイカレが急いで杖を手に取る。真っ黒い蛇の様な煙が渦を巻き、ルグに巻き付く。「薄汚い捨て犬めが!」ぎりぎりと蛇が首を絞めつける。

 呼吸ができない。ルグはそう感じつつも、なぜだか少しも不安はない。そんな事よりも、彼はミルマを思い出せたことが嬉くてたまらないのだ。蛇に構わずに、彼はミルマを見る。彼女の胸が小さく上下しているのがわかる。

 おれはルグ。あの子はミルマ。それだけ分かれば充分だ。

 思い切り呼吸をしてみる。空気を取り入れた彼の胸が膨らむ。もう一度吸い込み、そして吐き出す。すると、黒い蛇はその力に抗えず、呆気なく千切れ飛ぶ。

 「なんなのだ!おまえは!」それを見たアイカレが取り乱す。右側の闇から黒い羽虫のようなものが顔中を飛び回る。

 「恐れろ!おれを恐れろ!」

 杖からつむじ風が吹き出す。ルグは銀色の瞳でその醜く歪んだ闇の魔法使いを見据える。それからにやりと嗤う。寝台に寝転がったちっぽけな子どもに恐れを成す、ひびだらけ男を鼻で嗤う。

 その瞬間、雷が塔の天辺に直撃する。もの凄い音が響き、窓ガラスが割れ、天上の一部が崩れ落ちる。

 雷鳴がおののき、雷光が部屋を照らす。

 するとアイカレは、部屋の隅に立つ人影に気がつく。

 「何だ?」誰だ?

 雷光がもう一度影を映し出す。

 そこには少年がひとり、静かに立っている。



 「何だぁお前は?」いつからそこにいたのだ? アイカレは突然現れたその少年に杖を向ける。

 「新しい奴隷の子か?」

 少年は黙って歩き出す。その顔がぼんやりと浮かびあがる。ルグと同じような背丈の子ども。ここドラゴニア群島のものではなく、ハースハートン大陸で一般的に見られる、藍色の服を着ている。頭に何やら見慣れぬ文字が書かれた布きれを巻き付け、所々の布からはみ出した髪は茶色く、すこし浅黒い健康的な肌をしている。

 「お前、奴隷ではないな?」アイカレは再び黒い蛇を出し、その少年を縛ろうとする。しかし魔法の蛇は子どもに触れる前に消滅する。なんらかの方法で、子どもが魔法を無効化しているのだ。

 少年は構わずに歩いてくる。

 「来るなっ!」杖から小さな雷がほとばしる。しかし子どもには届きもしない。「なんなのだ!?」アイカレにはまったく事情が分からない。彼は次に胸元から取り出した巻物を広げる。広げられたスクロールからは青白い炎が勢いよく飛び出し、杖に巻き付く。

 炎は杖の先で凝縮され、もの凄い熱量の火の玉となる。

 「燃えてしまえ!」アイカレが杖を振り上げ、火の玉を投げつける。

 今度の魔法は子どもの許へ届き、顔面に直撃する。

 それでも少年は歩みを止めない。顔面を炎に巻かれながら、平然と歩いてくる。そこでアイカレは見る。はっきりと見える。炎に包まれたその顔の中心で光る、金色の瞳を。

 「く、くるなっ!」アイカレはあらゆる魔法を試す。黒い力で押しつぶそうとしても、氷の刃を飛ばしても、少年の手前ですべてが消え去っていく。

 「お前はなんだ?なんなのだ?」

 顔に纏わり付いた魔法の炎が消えていく。頬の一部が鱗状に輝き、燻る残り火を払いのけるようにして波打つ。頭に巻き付けていた布だけが燃え尽きている。

 アイカレはその不気味な子どもの頭に、何かが付いていることに気がつく。二つの金色の瞳から丁度真上、額のさらに上、髪からとび出しすらりと伸びている、二本の…何かがみえる。

 あれは、角か?

 「なんだそれは?ツノなのか?お前、人間じゃないな!」取り乱し、魔法の力で辺りの物をかまわずに投げつける。「いったい何者だ!?」

 ところが二本角の少年は、そこでくるりと向きを変える。アイカレにはまるで関心さえ示さぬ様子で、ルグのいる寝台へと進んでいく。

 そうして、ルグと少年は対峙する。

 少年はルグの顔をじっと見つめる。金色と銀色の瞳が向かい合う。

 少年は何も言わない。それでもルグにだけはその声が聞こえる。

 ——なぜ。

 ルグには少年の声がはっきりと聞こえる。

 なぜ?彼は少し考える。ああ。そうだな。おれはなぜこんなちっぽけな男に従っていたのだろう。

 ——なぜ。

 少年の瞳がもう一度問いかける。

 ——なぜお前はそんな姿でいる。

 なぜだろう。ルグは答える。だけどここは居心地が悪いんだ。

 ——なぜ。 

 金色の瞳は、それからこんなことを言う。

 ——なぜお前は、あの男を噛み砕かない?

 それを聞いたルグの頭が、すっきりと明確になる。やらねばならなかったことをすべて思い出す。

 ああ、そうだな。

 それがいい。そうしよう。

 その瞬間、ルグは銀色の光に包まれる。それからもの凄い早さで寝台から飛び退く。

 アイカレの身体を光が通り過ぎる。

 瞬間、その身体はもうすでに引き裂かれている。牙が爪が、その残った右腕を杖ごと噛み千切り、消し去っている。それでもアイカレは杖を掲げ邪悪な炎をぶつけたつもりでいる。魔境に堕ちた魔法使いは何も気づかない。もはや痛みさえ感じなくなっているからだ。

 当然、何もおこらない。そもそも腕がないのだ。足もとに散乱した割れた鏡に、自分の姿が映る。右側もぽっかりと、胸の深くまで丸くえぐられている。それでも彼は自分の身に起こった事実を信じない。愚かにも、真実を受け入れることすらできないのだ。

 しかし、鏡に映る銀色の輝きに気がつくと、深く大きな恐怖の感情だけが浮かびあがってくる。

 そこでアイカレはゆっくりと振り向く。巨大な、銀色の狼がその落ちくぼんだ瞳に飛び込む。

 「おお、銀狼」王なるライカン。アイカレは呟き、薄ら笑いを浮かべる。両腕を失いひょろりと細長いだけのその男は、山火事で真っ黒になった消し炭そのものだ。

 「なんと美しい…、」呟くと同時に、アイカレは、自分のこめかみに突き刺さる輝く牙の感触を恍惚のままに聞き、頭蓋の砕ける音を甘美な面持ちで聞く。

 銀狼は、そのまま身体ごと高速回転し、アイカレの首をねじ切る。首を振り、その牙を解き放ち、不浄なる頭部を放り捨てると、伸びやかな鳴き声で、長い遠吠えを上げる。



 マリギナーラの塔を包む嵐の中、一羽の鷹が急降下する。

 鷹は、割れた窓から塔の内部に突入すると、暗い部屋を一回りして、それから舞い降りる。

 鷹が翼をたたむ瞬間に、それは茶色いローブへと変容する。

 初老の魔法使いがゆっくりと床に足をつけた時には、その部屋で起こったことの事態がまるで把握できない。

 「…これは、いったい、どうしたことか?」 部屋中の物が散乱している。子どもが椅子で気を失い。連れの少年がこちらを見ている。

 しかし魔法使いは窓際にいる銀色の巨大な狼を認めると、大方の事態を把握する。

 「…どうやら、もう、すべてが終わっているようだな」

 魔法使いは二本角の少年へと近づく。「お前の成すことはすべて、このメチアには想像もできんな」彼は微笑み、少年の頭を優しく撫でる。

 ほどなくすると戸口から男がやって来る。ひげ面の行商人だ。彼もはじめ、事態がまるで掴めない様子で魔法使いを見やる。しかしメチアは何も言わずに深く頷くと、目線を銀の狼へと移す。

 「ああ、これは…、」男は深いため息を吐き、銀狼のもとへとよろよろと近づいていく。

 銀狼は鼻先を男に向け、すんすんと匂いを嗅ぐ。こうべを垂れ、大きな額を男の身体に押しつける。

 「ああ、ようやくこの時が…」男は感無量で破顔し、その大きな頭をひと撫でし、それから急に厳かな顔つきになり、狼の前に跪く。

 「ルグ様、我王よ、大変なご苦労をかけました」男の頬に涙が伝う。

 ルグはそんな言葉は意にも介さない様子でぷいと顔を背ける。

 男は立ち上がり、メチアと向き合う。「メチア様。本当に感謝いたします。この恩、どう返せばよいのやら」

 「いや、ヒンジバー殿、勘違いなさるな。」メチアと呼ばれた魔法使いは片眉を引き上げ、目玉を回す。「わたしは何もしてはいないのだ」

 「と、言いますと?」驚くヒンジバーに、彼は、「さあな」とだけ言い、肩をすくめ、二本角の少年に目を向ける。

 そこでルグが大きく吠える。二人が銀狼を見る。彼は椅子で気を失う少女の頬を舐め、キュンキュン鼻を鳴らし、彼女の回りをぐるぐる回り、彼女を護るふうにして座り込む。

 「この子は? 奴隷の子どもの生き残りでしょうか?」

 「うむ」メチアが頷く。「それはおそらく間違いないだろう。溶鉱炉の側で、うち捨てられた子どもたちの亡骸を見た」

 二人は少女の具合を診る。彼女の髪はすべて抜け落ち、がりがりにやせ細っている。一目で酷い仕打ちに遭ったことは予想できる。彼らはかなり後になってから、その子どもが女の子だということに気がつく。

 「なんとむごいことを…」ヒンジバーが悲しみと怒りの混ざり合った声で言う。

 メチアは少女を黙って観察する。衰弱してはいるが致命的な怪我は無い。彼は腰のポーチから小さな瓶を取り出すと、黄金色のどろりとした液体を指ですくい取る。

 「とても貴重な物だが、いまこそこれを使わなくてはな」

 「それは?」

 「エルフの飲み薬だ。とても栄養価が高い」

 メチアは少女を抱き起こし、自分の指をそのカサカサになった口に、少々強引に押し込む。すぐに少女の喉元が動き、表情が和らぐのがわかる。

 それから少女は、安らかな顔つきで眠りに落ちる。



 翌朝には嵐は過ぎ去っている。あれほどいたアイカレの手下たちは、一人も見当たらない。おそらく昨夜の嵐に乗じて逃げ去ったのだろう。メチアとヒンジバーはそう検討を付ける。

 彼らは、夜のうちに手分けをして、子どもたちの亡骸を弔い、塔を燃やし炉を埋める準備をし、朝一番にはそれに取り掛かる。

 「蜘蛛眼のオイノス様、あなたの無念は晴れましたぞ」燃え落ちていくマリギナーラの塔を見上げ、魔法使いは感慨深げにそう呟く。

 銀色の狼はミルマを守るようにして眠っている。

 二本角の少年はつまらなそうに遠くの瓦礫に座り込んでいて、頭にはツノを隠すための新しい布が巻かれている。

 メチアは昨夜のことを思い出している。とても奇妙な夜だった。彼は去り際に、闇落ちした魔法使いの首を見つめていた。その時の幻視。首が、何かを囁いたような気がした。いや、あれは決して幻ではないのだろう。

 (見つけたぞ)確かにアイカレの首はそう囁いた。

 あれは、わたしが知っているアイカレとはかなりかけ離れていた。彼は昨夜からそのことを反芻するように思い出している。…だが、去り際に見たその顔も、さらに違う顔をしていた。一体、何者が、何を見つけたというのか? 

 …いや、よそう。彼は思考を中断させる。考えればきりがない。その問題は後回しにしておくことにしよう。

 昨夜、何が起こったのかは分からない。

 しかし、想像することは出来よう。

 メチアは、木陰で眠る銀色の狼と少女を静かに見つめる。

 陽が高くなる頃に、炉を埋め、封印を施したヒンジバーが戻ってくる。その背後からは数人の痩せこけた子ども付き従っている。皆怯え、虚ろな目をしている。

 「かなり過酷な労働を強いていたようです。炉には毒気のある煙も充満していました」ひげ面の男は口惜しそうに言う。

 「愚かな魔法使いがでたらめな研究を信じ込み、どれほどの犠牲者が出たのか…」メチアも彼に同意を現す。

 「…だが、生き残れた子たちがいるだけでも、我々が来た甲斐もあったのかもしれぬ」有能な魔法使いが魔境に落ちるのは散々見てきたが、これほどに酷い出来事はそう無い。

 「それで、ヒンジバー殿はこれからどうするつもりであるか?」

 「…はい…ライカンの里はもうありません。…ルグ様もあの様子です」ヒンジバーは眠る狼に目線を移す。

 「人間の姿に戻ることを思い出し次第、この地を離れようかと…」

 「いずこへ?」

 「我々もいずれはハースハートンに渡ろうかと、」ヒンジバーが答える。

 「他のハーフウルフと同じように、人間に隠れ、人間と共に暮らす道を選ぼうかと」

 「そうか。…それもよかろう」メチアは否定も肯定もしない。

 「…あの少女は?」今度はヒンジバーが訊ねる。

 「うむ。子どもたちは皆、ラームに連れて行こうと考えている。そこならば働き手は多いに越したこともないだろうからな。それまでの道中、この子たちの身体が絶えられればいいのだが…」二人は頷き合い、子どもの身を案じる。

 「それに、この子たちには運んでもらいたい物もあるのでな」魔法使いは、塔から持ち出した小さな布袋を指差す。

 「それは?」

 「うむ、かなり貴重な金属だ。魔法を帯びていてな、我々には運べぬのだ」メチアはマリクリア鋼のことを一通り説明するが、そのことについては、ヒンジバーはまるで興味も示さない様子でいる。

 それから二人はルグの許へ行く。ルグは牙を剥き、なかなか少女を引き渡そうとしない。しかしヒンジバーが根気よく諭し、説得し、優しく首を撫でて彼を落ち着かせると、ようやく理解したようで、ゆっくりと立ち上がり少女の側から離れる。

 メチアが眠る少女を引き取り、抱きかかえる。

 「では、メチア殿、我々はこれにて」ヒンジバーが深く礼をする。

 「何かありましたら、必ずお力になります」

 ひげ面の男はくるりと宙返りをしたかと思うと、地面に着地した時には、すでに真っ黒い大きな狼へと変容している。

 そうして、二匹の狼が森へと消えていく姿を、魔法使いはしばらく見守る。

 それから彼は、少女の具合を少しだけ観察すると、子どもたちに声をかけ、それから踵を返し、少し遠くで退屈そうに座り込む連れの少年を呼ぶ。

 「さあ、ラウよ、我々も沼地に帰ろうではないか」 



−終わり−

ベラゴアルド年代記 −銀と金



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