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魔法使いと竜の卵 −その5−ハーフリンク


竜の仔の物語 –序章– 魔法使いと竜の卵

−その5− ハーフリンク


 魔法使いは、近くで絶命しているハーフリンクのもとでしゃがみこむ。刺さる矢を抜き、仰向けにして瞳を閉じてやる。それから猟兵と共にいる杜の司を悲しげな顔で見つめる。

 「おまえは司であろう。これがどういうことがわかるな。」

 司は黙って頷く。猟兵たちは弓を構え、魔法使いから目を離さない。

 「ウリアレル殿ですね。」バンバザルが口を開く。「あなたに令状が出ています。」そう言うと部下に合図を送る。

 部下たちがゆっくりと魔法使いに近づいていく。

 「箱をお持ちですね。その箱を渡していただきたい。なんでも、あなたが王国の宝を持ち出したという話なのでね。」ウリアレルが抵抗する様子を見せないので、バンバザルは弓を下ろす。

 しかし、魔法使いに近づく部下たちが、まるで違う方向に歩き出したことが分かると、彼はすぐに弓を引き、躊躇なく矢を放つ。

 だが矢は、魔法使いからは大きく逸れ、大きなカシの木に突き刺さる。

 「引いてはもらえぬか。」魔法使いが哀しげに言う。

 バンバザルが振り向くと、そこにはハーフリンクの子どもを抱きかかえ、立ち上がる魔法使いの姿がある。

 「箱を渡してもらえばすぐにでも引き上げますよ。」そう言いながら、バンバザルは杜の司の腕を掴み、引き寄せる。「あの爺さんがおれたちにかけた魔法を解くんだ。」小声でそう言う。

 部下たちはまるで見当違いの場所で、それぞれ別の木に向かい、警戒した様子で弓を構えている。

 「その男を強要するでない。その男には何もできはせぬ。」魔法使いが睨む。

 「こちらも事を荒でたくはないのですがね。」そう言いながらもバンバザルは矢をつがえる。「大人しく箱を見せてもらえませんかね。」余裕があることを態度で示すように、口元の藁くずを左右に遊ばせる。気取られないよう、相手の意識をこちらに向けさせる。

 背後からそろりとジジマが魔法使いに近づいていく。

 魔法使いは何も言わず、腕で眠るハーフリンクの子どもをただ見つめている。

 「箱を見せるんだ!」バンバザルは同じことを繰り返し、弓弦を張り詰める。背後で静かに近ずくジジマの弓も、魔法使いを捉える。

 「後ろです!ウリアレル様!お逃げをっ!」杜の司がそう叫んだ瞬間に、レンジャーの二人が同時に矢を放つ。

 前後から放たれた矢に、ウリアレルが大きく目を見開く。避けられない、司がそう感じたと同時に、魔法使いは煙のように消え去る。

 「早くここを去れ。」

 猟兵たちの頭上から声がする。バンバザルは位置を探ろうとするがまるで位置が掴めない。

 「すぐにギリドゥがくるぞ。早々に森を出るのだ。」その言葉を最後に、魔法使いの気配はぱったりと消えてしまう。

 魔法から解放された部下たちは、まるで事情が掴めぬままに隊長のもとへ集まる。

 「逃げられちまったみたいですね。どうします?」ジジマが杜の司の腕を引っ張りながら指示を仰ぐ。

 バンバザルはしゃがみ込み、辺りを観察する。

 魔法をかけられた部下たちが怖じ気づいている。「あのじじぃ、とんでもねぇ・・」「勝ち目はあるのか?・・」「何がおこったんだ・・」小声でそんなことを言い合う。

 「どうします?隊長」その様子をみたジジマがもう一度バンバザルに聞く。

 バンバザルは飛び散るハーフリンクの血液のほかに、森の奥へと続く血痕を見つける。彼はしゃがみ込み、血に触れ、指をこすり合わす。「魔法使いってのは、化け物ってわけではなさそうだな。」にやりと笑う。

 「追うぞ。こっちだ。」

 レンジャーたちは森の奥深くに入っていく。



 「困ったことになった。」ウリアレルは木のうろを見つけると、魔法で眠らせたハーフリンクをその腕から降ろす。それから肩の傷を確かめ、袖を裂き傷口にあてがう。大地を観察すると、少ないが転々と血痕が続いているのが見える。

 彼は魔法を唱え、辺り一面を霧で覆い尽くす。それから羊皮紙に何かを書きつけると、口笛を吹き、森の鴉を呼び寄せる。

 「ストライダが近くにいればいいのだが。」そう呟くと、羊皮紙を鴉に託し、飛び立たせる。

 野を駆け回るストライダがタミナの街から南にひとりも見当たらないということは、滅多にない。賭けには違いないが、まるで運に任せるという行動でもなかろう。そんなことを考えながら立ち上がり、うろの方を振り向くと、ハーフリンクが目を覚まし、起き上がっている。

 ウリアレルはその大きな瞳を見つめる。ハーフリンクの子どもは何も言わずに魔法使いを睨み、それからこう言う。

 「・・・お前ら絶対に許さないからな。」水晶のような大きな瞳が潤みを帯びている。

 「お前らなんて、おれの不滅の剣で皆殺しにしてやる。」ハーフリンクはそろそろと木のうろから出ると、魔法使いから距離を空ける。

 「・・だが生憎、不滅の剣を家に忘れちまったようだから、今日の所は見逃してやる。」そう言いながら、ゆっくりと後じさる。ウリアレルはハーフリンクが家など持たぬことを承知しながら、黙ってその様子を見つめる。

 人間が何も危害を加えて来ないことが分かると、ハーフリンクは背を向けて、恐る恐る森へと歩き出す。

 「・・・お主、行くあてはあるのか?」

 立ち去ろうとする子どもの背中に優しく言う。すると、子どもはぴくりと背中を振るわせて、立ち止まる。

 「この先に、ハーフリンクの王国があるんだ。十万の同胞たちを連れてきて、お前らなんかやっつけてやるから、待ってろ。」そう言うが、子どもは一向に立ち去ろうとしない。

 「そうか。お主、名は?」ウリアレルは静かに訊く。

 「シチリ、ハーフリンクのシチリ様を知らんとは、さてはお前、もぐりだな?」シチリはなぜだか得意そうに言う。

 「そうだな、すまない。ここの事情には疎いのでな。」ウリアレルは話を合わせる。

 「なんだ?おまえ、ジュンナラの森ははじめてか?」

 「ああ、そうなのだ。」ウリアレルは困った顔をしてみせる。ハーフリンクという種族は、どういうわけか森で迷った者がいると、親切に帰り道を教えてくれるという性質がある。

 シチリは腕を組み、少しだけ魔法使いに近づいて、訝しげにその顔を見上げる。

 「お前、あいつらの仲間か?」用心深く身体を傾ける。ウリアレルはしゃがみ込み、出来るだけシチリに目線を合わせる。

 「違う。だが、すまない。すべてわたしの責任だ。」シチリの瞳を見据える。どう謝ろうと済まされる問題ではない。ウリアレルは言葉にはせずに眼で訴える。人間は愚かだ。だがその愚かさ故に強い。いつでもそのしわ寄せはこうしてか弱き種族が被ることになる。

 「他にハーフリンクはこの森にいるのか?」そう訊くと、シチリの瞳が奇妙に歪み、またしても潤みを帯びてくる。

 「すまない。」ウリアレルはもう一度謝る。それから両手を広げ、深く頷く。するとシチリは魔法使いの大きな胸に躊躇なく飛び込む。抱きしめられると、すぐに泣き出しはじめる。

 ウリアレルは小さく弱きその種族をしっかりと抱きしめ、子どもが落ち着くまで辛抱強く待ち続ける。



 バンバザル隊が魔法使いの血痕を追う。

 最後の手掛かりを確認すると、その先の森の奥は、深い霧に包まれている。

 「これは魔法の霧に違いねえ。」ジジマが用心深く辺りを見回しながら言う。「そうだろ?」項垂れている杜の司を小突くと、彼は小さく頷く。

 「ここからは固まって先へ行く。二人ずつ、仲間が見える位置を保つんだ。」バンバザルたちは弓を構えて濃霧へと入り込んで行く。

 森は静まりかえっている。バンバザルが先頭を進み、手掛かりを探しながら歩く。部下たちは神経を尖らせ、矢をつがいながら歩く。誰一人として、小枝を踏みしめる音さえ立てない。

 「妙だな。鳥の声がまるでしない。」木々を見渡すが鳥の姿は見えない。気がつけば虫の音もまったく聞こえない。

 「おい、ダザール、もっと距離を詰めろ。」しんがりを歩く部下にジジマが声をかける。

 「おい、ダザール。」しかし返事は帰って来ない。「ダザールはどうした?」後ろの部下たちも首を振るばかりだ。

 猟兵たちは異変に気付き、立ち止まる。円になり互いの背中を守る。

 ・・っちょう・・

 どこからか声が聞こえる。

 ・・隊長、・・たす・・けて

 「ダザール!? どこだ?どこにいるっ!」猟兵たちが辺りを見渡す。霧が濃くてまるで先が見えない。

 「ダザール!」バンバザルがもう一度部下の名を叫ぶと、「ひっ!」短く叫び、杜の司が腰を抜かす。

 猟兵たちが司の目線を追う。弓を構え、上を見上げる。

 深い霧の中から影が降りてくる。そこには、逆さまに吊された部下の姿が現れる。

 ダザールは身体中に枝が突き刺さり、目玉はくり抜かれ、その眼窩からは木の根がびっしりと伸びている。

 「ちっ!」もう現れやがったか。バンバザルはそう呟くと、宙づりになった、すでに助からないであろうダザールの脳天に矢を打ち込み、とどめを刺す。

 それから慎重に、ゆっくりと司を立ち上がらせる。

 ギギ、ギギギ、と不愉快な音をたて、木の根や枝が霧の奥から伸び、猟兵たちを取り囲む。バンバザルはその様子を落ち着いて観察し、僅かな隙間を見極める。 

 「走れ!」

 隊長の叫びと同時に、猟兵たちは走り出す。木々が一斉にざわめき、人間たちを追いかけはじめる。



 「ギリドゥがきた!」

 ウリアレルの胸に埋もれていたシチリが突然に顔を上げる。ウリアレルは立ち上がり、辺りを見渡す。

 「ギリドゥを鎮めることは出来るか?」魔法使いは念のため訊いてみるが、シチリは首を大きく振る。

 「だめだよ。もう父ちゃんも母ちゃんもいないから、誰もギリドゥを止められないよ。」

 ウリアレルは黙って頷く。それから余り時間がないことを承知で、もう一度しゃがみ込み、シチリに目線を合わせる。

 「シチリ。わたしはこれからギリドゥを鎮めるために大きな魔法を使おうと思う。」シチリが不安げに頷く。

 「お前は、ハーフリンクだからギリドゥに襲われることはない。この木のうろに隠れて、すべてが終わるまで待つんだ。」ウリアレルはゆっくりと諭すように言う。シチリは何度も肯き、大きな瞳を歪ませる。

 「もし、わたしが倒れたら、ストライダを探すんだ。」

 「ストライダ。」シチリが魔法使いの言葉を復唱する。

 ウリアレルは深く頷く、「そうだ、きっとストライダが来るはずだ。そしてお主を安全な場所に連れて行ってくれる。」

 魔法使いは立ち上がると、急いで辺りの木々を眺めはじめる。運の良いことに、近くにトネリコの巨木を見つける。彼は咒言葉(まじないことば)を唱えながら、その冬芽をひと枝積み取る。

 「力を貸してくれ。」二度ほど息を吹き込み、トネリコの冬芽を大地に突き刺す。そうしてウリアレルは長い咒言葉を唱えはじめる。

 すると、すぐに霧の奥で叫び声が聞こえる。木々が騒ぎはじめ、鳥たちの声がぴたりを止む。

 もう来るか。ウリアレルは神経を集中して大地に訴えかける。

 しかし、別の場所から来る、別の気配にも気がつく。ウリアレルは身構える。人間にしては気配が弱い。気配を消してやって来るのがわかる。猟兵に囲まれたか? 緊張が走る。彼は仕方なしに咒を中断させる。

 ところが、霧の先から見える影を捉えると、魔法使いはほっと胸をひとなでする。猟兵に似てはいるが、少し違う特徴的な装備。彼にはそれが、明らかにストライダのものだとわかる。

 「これでひとまず、・・といったところか。」ウリアレルはため息をつく。

 小走りで霧から飛び出てきた年老いたストライダがウリアレルを認めると、意外そうな顔をする。

 「まさか、こんなところであなたに出会うとは。」

 同時に、魔法使いも驚き、眼を丸くする。

 灰色のマント、隻眼の瞳。そこにはベラゴアルドに名を轟かす、最強のストライダがそこに現れる。

 「ああ、バイゼル殿。まさかあなたが来てくれるとは。」

 二人の老人は、久々の再会を喜ぶ間もなく、事情のすり合わせをはじめる。


−その6へ続く

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