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紫砦と石の竜 −その2


 「いやはや、驚いたぞ」

 手弓を操る子どもの隣で、ギジムが深いため息を吐く。

 「こんなこともできるよ」

 ストライダ見習いのミルマはそう言うと、弓弦を引き、立て続けに矢を三射ほど放つ。矢は的のど真ん中に命中し、次の二射が最初の矢の矢羽根をこそげ落とすほどすれすれの所に突き刺さる。

 「やー!」ドワーフは大喜びでミルマの肩を抱く。

 「たいしたもんだ!おれの兄貴も弩弓の名手だが、お前に比べたら、お遊びみたいなもんだ!」

 ミルマは嬉しそうに顔を赤らめる。それを見たギジムが再び自分と同じ背丈の子どもを抱きかかえる。

 「気に入った!お嬢ちゃん!これで髭さえあればドワーフとして迎え入れても良いくらいだ」

 ギジムが子どもを振り回していると、ソレルらが作戦本部から戻ってくる。ミルマが師匠の所へ駆け寄ろうとすると、同じく彼の許へ二人の男が歩いてくるのが見える。ソレルのほうも二人を認めると、親しげな笑みを浮かべて手を挙げる。

 ミルマは不安そうに彼らに近寄り、ソレルの隣に立つ。

 「随分と早い到着で」ソレルは二人に向かってそう言う。それから彼は、同じ灰色のマントの年老いた男に向かい、拳で胸を二度ほど叩き、ストライダ式の挨拶をする。レゾッドも同じ挨拶をするが、すぐに砦の防御壁へと歩き出し、そこに座り込むと居眠りをはじめる。

 「うむ、ちょうどここから南のチニカという村で、イェガーを狩っていたものでな」灰色のマントの老人はそう言うと、紐で括られた三つのイェガーの首を差し出す。

 「この仕事が終わったら、すぐにガンガァクスへ発とうと考えている。」

 「いよいよですか」

 「この報酬はお前がもらっておけ。」捲れたマントから見える老人の装備は、ソレルのものと酷似している。

 ソレルは黙って頷き、イェガーの首を受け取ると、老人から目を離さずにそれをそのままミルマへと手渡す。彼女はしかめ面をしながらそのはじめて見る醜い首を受け取る。

 それからソレルは隣にいる茶色いローブの老人に話し掛ける。

 「手間を取らせました、メチア殿。バイゼル様とは何処で?」

 「うむ、すぐそこで鉢合わせてな。…まあ、たまたまだ」メチアは二人のストライダを物珍しげに交互に見る。「しかし、こんな巡り合わせは今後、もう見られないだろうな」初老の魔法使いは感慨深げに頷く。

 「はちみつ酒で一杯やりたいところですがね」ソレルが両手を広げ、そんな冗談を言う。

 「はちみつ酒は無いが、ドワーフの地酒ならあるぞ」ギジムが口を挟む。「こんなところで立ち話もなんだ。宿舎の食堂にでもどうだ?」

 皆はドワーフにうながされ、宿舎へと歩き出す。



 「…それで、メチア殿、その後、竜の仔に変化は?」早速のソレルの質問に、メチアが遠い眼差しで答える。

 「うむ、次第に感情というものも芽生え、健やかに育ったとは言える。少々変わっているがな、今ではすっかり普通の子どもといえるだろう」そう語る魔法使いに、二人のストライダが注目する。

 「例のマリギナーラの塔の出来事を切っ掛けに、言葉も話すようになった」驚く二人に応じるように、メチアは経過を語り出す。

 闇落ちした魔法使いに記憶を奪われ、幽閉されていた銀色のライカンの話。その力を解き放ったのが他でもない、竜の仔であろうという推測。大鴉で繁く連絡を取り合っているとはいえ、直接顔を付き合わせて聞く魔法使いの話を、二人のストライダは興味深げに聞く。

 「いずれにしても、あの塔での出来事を憶えている子どもたちは、誰もいないのでな、…すべてがわたしの憶測にすぎんよ」

 そこで盃の代わりを探してきたミルマが戻って来る。メチアは眼を細め、懐かしげに彼女を見つめる。

 「こんなものしか見つからなかったです」緊張した面持ちのミルマが年寄りたちに端の欠けた器を配る。彼女は皆が自分に注目していることに気がつくと、さらに固まってしまう。

 「…この子か、ストライダの素質があるという子は」バイゼルが少女に鋭い隻眼の瞳を向ける。身体をこわばらせていたミルマは、それでも怖々と顔を上げて、老ストライダと向き合う。

 「女の子か…、」バイゼルが何気なく呟く。

 「でも、弓の腕は確かです!」ミルマがはっきりと言う。

 老人達が眼を丸くするなか、ギジムだけが腕を組み深く頷いている。

 バイゼルはソレルの灰色の瞳を見つめると、そこでようやく表情を緩める。

 「まさか孫弟子が女の子とはな…」老ストライダは何度も頷く。「アマストリス殿の言うように、本当にストライダの在り方も、変化の時を迎えているのかもしれんな」そんなことを呟く。

 「さあさあ!」そこでギジムが両手を弾く。

 「これからの仕事はともかくとして、ガンガァクスに赴くストライダを見送れることなぞ、滅多にあるもんじゃない」

 ギジムがドワーフの地酒を器に注ぎ、皆を促す。皆が器を掲げると、ギジムが音頭を取る。

 「ここはひとつ、門出を祝おうじゃないか!」

 皆が地酒を飲み干すのをじっと見ていたミルマも、腰の水筒を取り出して、訳も分からずにそっと一口だけ口を付ける。



 夜になり、兵士たちが寝床に付いてもストライダと魔法使いは眠らない。鷹に姿を変えて飛び立つメチアを見ると、ギジムが感嘆の声を上げる。

 「杖を持っちゃいないので疑っていたが、こいつは驚いた」ドワーフは飛び立った鷹をいつまでも眺めている。

 外にある簡易的なテントの灯りでストライダが打ち合わせをしていると、司令官のシンバーがやって来る。

 「昼間はすまんな、ソレル」

 「こちらこそ悪いことをした。あまり軍隊というものに頓着がなくてな。」

 「いやいや、こちらの事情なぞ、構わんでくれ」シンバーが大きく首を振る。「どうせおれたちゃ、叩き上げの兵士だ、高貴なお方には頭があがらんよ」自虐的な笑みを浮かべる。

 「で、その叩き上げの兵士のたわごとなのだがな…、」彼は顔を寄せて小声になる。

 「昼間の話、白鳳隊は本当にドラゴンを捕まえるつもりだぜ」

 二人のストライダは別のことをしている振りをして耳を傾ける。

 「なんでも、白鳳隊は今回、そのために本土から来たようだ」

 「なぜそんな無茶なことを?」

 「フラバンジが操れるなら、レムグレイドでも飼い慣らせるのだろうと、そういう算段らしい」

 白鳳隊のテントから人影が見えると、バイゼルが視線だけで合図を送る。シンバーは黙って頷くと、何も言わずにその場を離れていく。

 「…で、どうするつもりだ、ソレルよ」バイゼルが潰れていない方の眉をつり上げる。

 「どうすることもないですな。我々は我々の仕事をするまでです」

 「…それもそうだな。」バイゼルはふっと笑うと、ソレルの肩を軽く叩き、船の方へと引き上げていく。



 バイゼルが去ると、今度は白鳳隊の鎧がソレルに近づいてくる。

 「援軍と聞いていたが、老人が二人とはな」昼間に会議を取り仕切っていた小男が口元を歪ませ、鼻で笑う。

 「年老いて、まさにその力は増していくばかり…」ソレルはただ、『アルデラルの勲』の一節を口ずさむ。

 小男は首を傾げながらも構わず続ける。

 「わたしは白鳳隊副隊長、バロギナと言う。憶えておくがいい」

 ソレルも構わずに、船から持ち込んだ物資を持ち上げ、背中を向ける。

 「知っているとは思うが、わたしはラームのガレリアン・ソレルだ。さしあたり、憶えてもらわなくても構わないがな」

 「貴様!」バロギナは素早く剣を抜刀し、ソレルの首許に突き立てる。彼は立ち止まるりはするが、顔色一つ変えはしない。

 しかしバロギナは急に何かを察知すると、震える腕で剣を慎重に鞘に収める。

 「…と、とにかくだ。…今度、隊長にそんな口を効いてみろ。牢にぶち込むまでもなく、わたしが切り捨ててくれる」バロギナは汗を拭いながらそう言うと、足早に引き上げていく。

 「ふむ」ソレルは小さなため息を吐いて、荷物を手に防御壁の暗がりへと歩き出す。

 「…あの男、すぐにお前に気づくとは、少しは出来るようだな」

 壁の暗がりからレザッドが現れる。彼は巨大な弓を引き、未だにバロギナに狙いを定めている。

 「ふん。このままこの弓の性能を試しても良かったのだぞ?」テントに引き上げていく白い鎧を確認すると、レザッドは古傷だらけのその太い腕を降ろす。

 「そんなことをして、アーミラルダの呪いが降りかかってもつまらんよ」

 「…なんだ、お前はそんなことを信じているのか?」レザッドはその場に寝転がり、取り出した干し肉を噛み千切る。

 「…ラームは皆、信じている」ソレルが厳しい眼を向ける。「呪いは噂ではない」

 しかしレザッドはそっぽを向き、片手を挙げてぺらぺらと手のひらを振る。ソレルはもう一度深いため息を吐くと、何も言わずに壁の上に登って行く。



 翌朝には、防御壁に兵たちを集めて、ストライダが武器の説明をはじめる。

 防壁は正面から東西に海岸を囲うように伸びている。敵が海岸に降り立った時点で、正面と両側から一斉に矢を放てるように建造されているのだ。

 「このクロスボウは特殊な、細く編み込まれた鋼が弓弦に使用されている。だから普通の力で引いてもびくともしない」ソレルは仕組みを説明する。 

 「そこで、ここに繋がっている…」彼は指で弦の先に繋がっている装置を辿っていく。

 「この取っ手を回し、梃子の力を利用する」言ってみせる通りにすれば、弓座の下の部分と並行し、弦が張りつめられていく。「このばねも焼き付けた真鍮製なので、その分、威力もぐっと上がる」

 「だあああ、もういい!細かいことは任せた!」講釈に耐えかねたギジムがそっぽを向く。ソレルは構わずに説明を続ける。

 「石の防壁ぐらいは簡単に貫通する。だが威力は増すが、矢の装填にはかなり時間を要する」

 「それにしたって、ものすごい威力じゃないのか? 王国の新兵器としても使えそうだな」シンバーが感心する。

 「いや、それはおすすめできんな」発射後の歪みが酷く、二発、せいぜい三発使用したところで手直しが必要となる。弓座もかなり重いので修理しようにも動かすことも容易でない。ソレルは丁寧に説明する。

 「こんな高台で敵の的となりながら、誰が修理をするというのだ?」そう告げるソレルに、ストライダの設計図をもとに製造に携わった技師たちも頷く。

 「…なるほど、あくまで今回の作戦のために拵えたってことかい」シンバーが名残惜しそうに言う。

 「それからこの矢だ」足元には各弓座に三本ずつ、かなり特殊な形状をした矢が並べられている。

 「なんなんだ、この矢は、膝が外れるかとおもうほど重かったぞ」ギジムがそうぼやくと、今度は昨夜運搬を手伝った兵士たちも頷く。

 「船で運ぶ際にも、船長に同じようなことを言われたよ」ソレルがおどけると、ギジムが大声で笑い出す。「はっ、船底が抜けるってか」

 「そう、この矢はかなり重いのだ。全体が鉄と鋼で出来ている」ソレルが矢を持ち上げて説明を続ける。

 「この鉄の箆〈シャフト〉の部分から、先端の鋼の鏃の部分までが螺旋構造になっていて、」ソレルは手のひらを返して、矢をくるりと回してみせる。「こう、回転するようにして飛んでいく」こうすることにより、威力を殺さずに飛距離を伸ばすことができる。

 物珍しそうに砦の技師たちが囲む中、逃げ出そうとするギジムの襟首を掴み、ソレルが話を続ける。

 「だが、それだけではない。この鏃を見てくれ」ギジムが渋々鏃を見つめると、乗り気でなかった彼の瞳が輝き始める。

 「…おっと、こいつは」

 「うむ、マリクリア鋼だ。この鏃の先端には、その粉末が塗り込まれている」

 何でも文献によればドラゴンの鱗には銀も鋼も効かないが、マリクリア鋼とミスリル銀は効果があるという。しかしそこにはまるで根拠も無く、それに加え、マリクリアは非常に重い金属であり、ミスリルに至っては、エルフでしかその製法を知らない。つまりこの処置はあくまでも念のためというわけである。ソレルはそう説明する。

 「いやはや、どうりで重いわけだ。どうせ二三発で壊れるものならば、重量を目一杯増して、威力を上げてしまえというわけか」ギジムの見解に技師たちが頷く。

 「…だが、そうまでしなければならんものか?」

 「ドラゴンならば、足りない位だろう」

 「しかし、随分と金のかかったことをやりよる。王国から幾ら踏んだくっとるんだ?え、ストライダ?」ギジムが腕を組み詰め寄る。

 「ほとんど経費に消えるほどだよ」ソレルは笑顔で答える。「それに、このマリクリアは、例のマリギナーラの塔でメチア殿が手に入れ、ラームへと贈られたものだ」彼は顎をしゃくりギジムの背後を見つめる。その視線の先では、骨の調査に行っていたメチアとバイゼルがこちらにやって来る。

 「さあ、この先は、魔法使いによるドラゴンの講義の時間だぞ」ソレルはニヤリと笑いギジムの肩を叩くと、ドワーフは苦々しい顔で低く唸るのだった。


−その3に続く

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